「ずっと、好きでした」

地球温暖化のせいでしょうか。まだ2月の下旬、春の香りはまだ遠いはずの時期だというのに、桜はすでに八割方咲いてしまっております。このままで4月の入学式までもつものだろうかと不安になる今日この頃です。本日は卒業式。3年間の幕引きである記念の式典も、つい1時間前に終わりまして友達との涙のお別れをしているところ。このあとどこか行こうか、なんて会話の中でした。担任である銀八先生が私を呼ぶ声がしました。話を聞くと、なんでも私に忘れ物があるそうです。友達を待たせ、先生のあとをついて廊下を進みながら、ふと思いました。ロッカーの中は2月のはじめに空っぽにしておいたはずだし、さっきの最後のHRで席に着いたとき机の中には何もなかったようだし。はてさて、いったいどこにどんな忘れ物があるというのでしょうか。私がその疑問を口にしたのは、教室に足を踏み入れた頃でした。教室の真ん中で立ち止まり、こちらを振り向いた先生にゆっくりと歩み寄ると、一言。

「俺の恋心」

ここで私が自分の耳を疑わざるを得なかったことを、きっと皆さん理解してくださったと思います。疑いました。自分の耳の性能を存分に疑った結果、聞き間違いだと思いました。ありえない、今のはたぶんきっと必ず聞き間違いだ。私がそう思うのも、先生の表情も声もいつもとなんら変わりがなかったからなのです。なので私は思わず「え、え?」などと先生に対しては失礼と思われるらしい態度をとってしまったのですが。そんなことはもちろん気にしない我らが担任、銀八先生は私に言葉を返してくださりました。

「ずっと、好きでした」

地球温暖化のせいでしょうか。まだ2月の下旬、春の香りはまだ遠いはずの時期だというのn

おっと、つい現実逃避してしまいました。聞き間違いもここまでくると、いっそ夢なのではと疑ってしまいました。でも、ありえない。だって、先生の顔いつもと同じような顔だし、同じような声だし、同じように目が死んでるし。さすがに常に目が死んでる先生だって告白のときくらいきりっとするでしょう、目だってきらめくでしょう。それなのに今の先生の写真を撮っても何の場面かわからなさそうなくらいいつもと同じ顔してるんだもの。私は、何が本当かわからなくなる。

「先生、笑えません」
「笑わないでください」

いや、笑えませんけど。どうやら、やっぱり、告白なようです。え、え、本当に?思考回路が停止する。いや、停止どころかむしろぐるぐる回りすぎて自分が何を考えているのかわからなくなってくる。好きって、私のことを?一体いつから。だって、そんなふうにはまったく見えなかったよ。そもそもあなた教師でしょう。そして私は生徒なわけで。いや、でも今日で卒業なんだから。関係ないか。あ、だから先生も今日告白なんてしてきたんだろうか。いやいやでも私にとってあなたは先生で、私は生徒で、あれ、でも先生は私のことそんなふうに見てないってこと?私のことを生徒じゃなくて、一人の女として。

頭の中が、電子レンジに生卵を入れたみたいな状態になった。いや、実際になってしまったら本当に困るんですが。そのくらい、ビッグバンでした。正直、告白されたのが初めてというわけでもありません。前もこんな風にパニックパニックしましたが、ここまでぐうの音も出てこない状況は初めてであります。で、でも先生は黙ってる。これはきっと答えを待ってるってことなんだ。な、何か、言わなきゃ。

「ご、ごめん、なさい」
「おー」

ちらっと目線だけ上げて先生を見ると、ちょっと目を細めて微笑んでいた。傷ついた顔して見せないのは、大人だから?それとも返事を予想していたからなのかな。先生は私のすぐ目の前まで近づいてきて、ふと手を差し伸べた。わたしはさっきの今でとてもびっくりして、思わずびくっとなってしまったのに先生は一度ふっと笑って、ちょっとだけ傷ついたみたいな顔をして見せた。その顔が、なんだか私までとても痛くなってしまって。先生の大きな手は私の頭の上に乗って、安心させるみたいにぽんぽんと上下する。それだけで、卒業という感傷も手伝ってか、なぜだか簡単に涙があふれてしまって、私はあわててうつむくことになった。

「3年間、楽しかったな」
「は、い」
「お前の担任やれて、本当に幸せだったわ」
「わたし、も、たのし、かっ」
「卒業しても頑張れよ」

先生、とつぶやいた声は、言葉になんて聞こえてはくれなかった。涙声は教室に響いて、先生の手の動きが止まったことに、なんだか終わりを告げられているみたいで、寂しくて顔があげられなかった。涙がとめどなくあふれて、ぬぐってもぬぐっても袖を濡らすばかりで止まる気配を見せない。かっこ悪い、わたし。先生はいつもどおりでいてくれて、安心させてくれているのに。私もこれから、先生のような大人になっていくのに。それが無性に寂しいの。大人になんて、まだまだなれないんだと思っていた。早く大人になりたいって思っていたのに。こんなときばかり、私は現金で。卒業なんかしたくない、まだここに痛いって思ってしまう。私はまだ、終わりたくないのに。



頭の上に乗せられていた先生の手が私の頭の後ろのほうに回るのと、先生が私の名前をつぶやいたのはおんなじくらいだった。頭を引き寄せられて、気付けばタバコ臭い先生のスーツに額をうずめていて。先生の匂いは、教室の匂いと少し似ていた。

「前言撤回。ずっと、笑っていてください」

いやじゃなかった。こうやって、先生の服に顔をうずめて泣いているのは。なぜだろう。むしろこうしていたいって思った。先生の言葉の意味を、頭ではきっと半分も理解できていないのに。なぜか体のほうが先に理解できていたみたい。涙ばかりが先に出て、先生の次の言葉を聞いてから、私はやっと頭でも理解したんだ。

「お前の笑った顔、ずっと好きだった」

頬に手を副えられて顔を上げたのに、私は笑えずに泣いてばかり。かわりに、困ったみたいに笑った先生の顔を、わたしは大好きになった。









(tittle)そして私は恋をする