ハーゲンダッツというものが高いというのは、幼いころに植えつけられたイメージで、小さいときは何となく庶民の私には遠い存在だと思っていた。ハーゲンダッツというのが何かはよくわからないけど、高くて手が届かないもので、きっと宝石みたいにきらきらしたものなんだろうなと想像していたまだ真っ白だったころの私。



「おい、ちょっとコンビニ行ってくっけどなんかいるもんあるかよ」
「ハーゲンダッツ」
「あん?」
「ハーゲンダッツのアイスクリームでまだ熱い体を冷ますのです」
「黙ってろ」



情事のあとだった。隼人が服を着て、財布だけ持ってどこへ行くのかと頭を上げてみれば起きてたんだなと驚いたように目を見開いて声をかけられた。こんな時間にコンビニへ何のご用がおありなんでしょうね、このお坊ちゃまは。ああ、そういえばさっき冷蔵庫を開けたら何も入っていなかったっけ。のどが渇いたから何か買いに行こうとか、そんな感じでしょうか。こんな夜中にわざわざコンビニまで行くなんて、水道水でいいじゃないか。同じ立場だったらきっと、私もコンビニへ行こうとしたんだろうけど。枕に頭を乗せて目を閉じたら、ゆっくりと睡魔が私の頭をノックしてきた。さっきは別に眠っていたわけじゃない。目を閉じて余韻に浸っていただけだ。ああ、そういえば男の人よりも女の人のほうが余韻に浸りたがるって聞いたことがある。男の人は眠たくなるらしいけど、どうなんだろうと思って隼人を見上げてみたら目もはっきりしているようで、全然眠そうじゃない。あれ、まだやりたりないですか。なんちゃって。



「どうしたの?」
「なんか行く気失せた」
「ハーゲンダッツはー?」
「たけぇだろうが」



自分で色々なものを買うようになったころ、ハーゲンダッツのアイスクリームの値段をよく見て、少し不思議に思ったことがある。ひとつ320円。別にそこまで高いというほどでもないだろう。アイス一個が何万円もするんだと言われれば思わず高いと口に出してしまうだろう。でもこれは何万円もするわけじゃない。千円にも満たないものなのだ。これを高いというのはなぜだろう。若い私はそう思った。でも自分で稼ぎ始めて、世間を知って、普通のアイスクリームの値段をいうものを知って、ハーゲンダッツが高いものという理念がわかった気がして、大人になった気がした。私の価値観というのもはいつもずれているように思える。情事のあとだからだろうか。まともなことを考えられない。隼人を見たら、財布をテレビの上に置いていた。時計を見たら、今は午前の3時。



「ねえ、ハーゲンダッツは?」
「自分で買い行け」
「そうしよっかな」



体に力をいれて、うつ伏せだった体を起こしたら隼人の腕が私の肩を横に押して仰向けになるよう転がされた。上にまたがってきて、私はあられもない姿を上から下まで舐めるように見られて。さすがに恥ずかしい、です。というか私は起きて服を着ようと思ったんですけど。隼人くん、お邪魔ですけど。




「うぃっす」
「色気ねーな」



馬鹿にしたように、顔をしかめて小さく笑った。色気なんて、私に感じたことがあるんでしょうか隼人くんは。顔が近付いて、経験上自然に目を閉じたら唇に温かくてやわらかい感触がした。キス、は、いつまで経っても飽きない。好き。もしかしたらセックスするよりも好きかもしれない。だからってセックスが嫌いってわけじゃない。頭がおかしくなりそうになるあの熱はどこから生まれるんだろう。あの熱を感じているうちはとても心地いい。なんだか冷めてもまだ頭に残るようなあの生温い感覚は嫌いだ。熱いうちは気持ちよくて、冷めてすっきりするっていうふうだったらいいのに。ああそうだ、終わったらやっぱりコンビニへいってハーゲンダッツを買いに行こう。コンビニへ行くまでがけだるくて眠ってしまいたいけれど、きっとすっきりして気分がいい。隼人、買ってくれるかな。腕を組んで久しぶりに歩きたいな。あ、でも2回もしたら隼人さすがに疲れて寝ちゃうだろうか。



「おい、集中しろ、よ」
「私はストロベリー」
「はあ?」
「隼人は?」
「何が、だよ」
「アイスの味」
「ばーか、全種類買ってやっから黙って喘げ」



黙って喘げ。黙ればいいのか喘げばいいのか、結局どっちなんだ。でも全種類買ってくれるらしいから、私も集中するとしよう。隼人は嘘をつかない男だ。男に二言はねえ!って前に言っていたし。セックスしているときの隼人の真剣な顔とか、切羽詰まった顔とか、大好きだから。それこそハーゲンダッツよりも。大好きなものが両方手に入るっていうんだから、今の瞬間に私ほど幸せなやつはいないだろう。ハーゲンダッツの隼人味があればいいのに。ああ、どうして今日はハーゲンダッツのことばかり考えているんだろう。もう一度されたキスの味はとっても甘かった。本当に甘いわけじゃない。キスに味なんてあるはずないから。頭がとろけるようなこの感覚を甘いと呼ぶのであれば、これはハーゲンダッツのアイスクリームよりも全然威力の高い、甘さだ。





20070408