奏でよう、


うちと同盟を結んでいるファミリーのボスが先日亡くなって、それから間もなく新しいボスが選ばれたらしい。そのファミリーはなかなかでっかいとこで、うちとしては同盟を結ばせてもらっているから心強いものの、敵となればびくびくおびえていなければならない大組織。新しいボスが決まったというならば、どこよりも早くかけつけてその新しいやつに顔を覚えてもらわなければならない。なるべく好意的に接しなければならない。契約を切るなんて言われたらキャバッローネ歴代のボスたちが築きあげてきたものを、俺が、全部壊すことになってしまう。そうなればファミリーのやつらにだって悪いし、情けない。俺は一ボスだ。ファミリーを守るためには、安全な道を選んで進まなければならない。新しいボスの目星はついている。二、三人の顔が頭に浮かび、それぞれの対応を考えた。大丈夫、これまでどおりやればなにも問題はない。



俺が予想していた男たちのどの顔も、そこにはなかった。新しいボスは俺の予想の中の誰でもない、一人の女。何かの間違いかと思った。女がボスになるなんて、そんなのありえるんだろうか。最近の社会では男女平等を掲げる者も多いが、マフィアという格式高い、しかも歴史のあるこのファミリーで、女がボスになるなんてことはありえないはずだった。しかもその女というのが問題だ。目の前で高そうなカップを口につけて、優雅に紅茶を飲んでいるのは、俺の記憶が確かであれば、知り合いだった。知り合いというのはおかしいかもしれない。俺たちは友達だった。学友という名の。同じ学校へ行き、同じ教室で学び、一緒に笑いあった女。そっと伏せられているまつげは長く、化粧のせいかはしらないけどその顔は遠い昔に見たその顔よりもずいぶんと大人びて見えた。当たり前か、何年経っていると思ってるんだ。俺もこいつももう十分大人だ。だけど、きれいになった。



「はじめまして、キャバッローネ」
「あ、ああ」
「私が新しくボスに就任したです。どうぞよろしく」



カップをソーサーにおいてから口を開いた。唇に引いた赤が色っぽい。そんな色、きっと昔は似合わなかった。ずいぶんと大きくなったんだな。見とれたわけじゃない、昔とのギャップに少し驚いていただけだ。「キャバッローネ」ろれつよく編み出されたその言葉が耳障りがよく、だけどなんだか単調で、とてもつまらないもののように感じた。昔はお前の声が大好きだった。今もそれはかわらないはずなのに、なぜか物足りなさを感じるんだ。声音は変わらない。あえていうというなら少し大人びて、落ち着いたくらいだ。でも前のような魅力は感じない。昔はお前の声を、ピアノを弾くように話す女だと思ったのに、今では少しちがう。オルガンの音を聞いているようだ。ピアノほど、あの圧倒されるような音はない。オルガンはとても単調で、つまらない。昔みたいにまた、ディーノと呼んではくれないだろうか。



「同盟の契約更新の件ですが」
「ああ、引き続きお願いしたい」
「条件付でもよろしいのであれば、お受けいたしましょう」
「条件?」



他人行儀に話す。そうか、俺たちはもう大人になったんだ。あのころには戻れない。親しげに昔話をしたい衝動が一気に冷めていく。俺だけが過去にとらわれたまま進めないみたいな気分だ。置いてきぼりを食らわされたような、あんまりいい気分じゃない。が目を細めて、口に弧を描いて微笑んだ。その顔はすごくきれいなのに、やっぱり物足りない。前みたいに笑えよ。太陽みたいに笑うお前が大好きだったのに。無邪気なお前が好きだったんだよ。一緒に馬鹿やって、お互いの成績をけなしあって、そういうのお前としかできなかった。というか、お前以外の女に心なんて許すのがなんだか、変な気がして。お前のことは忘れたことない。一目見て、ずいぶんかわったお前に一目で気付けたくらい、俺の中でお前の存在はまだまだでっかくて、できることなら、ちがう場面で再会したかった。前みたいに笑いあえる日がくるだろうか。俺は、寂しいのかもしれない。お前一人が前を歩いているみたいで。あんたなんかもういらないんだよ。私は忘れちゃった。そう言われているみたいで、つくったみたいな他人行儀な顔が俺を苦しめた。顔に貼り付けた笑顔が引きつる。 が一枚の髪を真っ白なテーブルの上に置いた。のぞいてみれば、契約書で、その内容はすごくふざけたものだった。



「この額を今すぐに用意できるというのであれば、お受けいたします」
「ちょっと待ってくれ!これだけの額を今すぐだって…!?」
「無理というのであれば、お断りするまでです」



ゼロが延々と続きそうな額だった。契約金でこれだけ出せと?このファミリーはそんなに財政が厳しいというわけでもないだろう。むしろこの額にゼロをもう三つくらいつけても即金がでてきそうな大組織だ。それなのに、どうして金で。わからない、こいつの考えていることが。これだけの額を今すぐに出すというのは、無理じゃないがかなり痛い。しかしこれだけ出して同盟の更新をしてくれるというのなら、安いことなのかもしれない。しかし、マフィアというのは金のかかるものだ。うちの財政を厳しくさせてメリットがあるのか。近ごろ雲ゆきのあやしい小さなマフィアがいるという。そのためにも、できるだけ出費はおさえたい。どっちだ、どっちを選ぶべきだ。どちらを選べば俺はファミリーを守り抜ける。



「断らせて、もらう」
「ご自分の名前に泥をぬってまで守りたいものがおありですか?」
「俺がどうなろうと、うちのファミリーには手を出させねえぜ」



とんだ、強がりだった。もしかしたら俺はここから生きて帰れないかもしれない。ここで断れば俺たちはもう何もない、マフィア同士になる。同盟という心細い糸でなんとかつながれていただけの関係が、ぷつりと簡単に、切れてしまう。そうなれば俺は終わりだ。俺がここで終わろうとも、ファミリーたちが無事ならそれでもいい気がした。お前かわったな。いじめとか見つけるとすぐにかけつけてって自分より体の大きい女だろうと、男だろうと、殴りかかってったのに。そんな姿が好きだったよ。お転婆でじゃじゃ馬で、そのくせ泣き虫で。喧嘩だって弱いくせにむやみやたらに突っ込んでいくお前が好きだったのに。お前に置いてかれたっていいや。俺は変わらない。むしろ変わったのか?昔はお前の背中見てるだけだったけど、俺にも守りたいもんがたくさんできて、それを守るために体はれる。俺の目標だったのに、それだけが残念だ。



「カーッコイーさっすがへなちょこディーノ」



からかうみたいなその声は、昔と一緒で、何も変わってなくて、驚いた。俺が昔のお前を望みすぎて白昼夢でも見ているのか。



「条件を変更いたしましょう。キャバッローネ」
「は…?」
「私をお嫁にもらってくれたら、うちのファミリーをキャバッローネに吸収させてあげてもいいよ。ディーノ」
「はあ!?」



口調が、すっかり昔通りだ。頬杖ついて、試すみたいに、馬鹿にするみたいにこっちを見る目がまったく変わってなくて。上から目線なその口調とか、そのままで。なんだ?俺はいつの間に失神して夢を見出したんだろうか。それとももう死んじまったのか?もうわけがわからねえ。こいつは誰だ?



「私ね、私を置いてって勝手にマフィアのボスになっちゃったディーノをうらんでたのよ?」
「は、いや、お前なんの話を」
「そんであんたを驚かせてやろうと思って、あんたんとこのファミリーよりでっかいとこ入って、見事に実力でボスの座を勝ち取りました。すごいっしょ?ねね、びっくりした?」



目の前が真っ暗になりそうだ。いや、むしろ真っ白になりそうかも。なんだ、こいつ、誰だ。わけがわからねえ誰か説明してくれ俺は一人踊らされてたってことか!?ていうか、俺を驚かせたかったってだけでボスになれるもんなのか。いや、そんなはずはない。しかも女だ。こいつは、本当にたくさん、努力していたんだろう。どうしてそんなに。こいつの言っているとおり、俺を驚かせるためだけにやったのだったらお前の根性に尊敬するよ。エンターテイマーとかになりゃいいのに。なんだか、いらいらしてきた。俺ばっかどきどきして、命まで覚悟したってのに。俺がむっとした顔でそっぽを向いたら、は楽しそうに笑う。ああ、この声、ピアノの旋律が頭に流れてくるみたいにすっきりしてる。視線を戻してみたら、が楽しそうににっこり笑った。



「お前は知らなかったかもしんねーけど、俺は、昔からお前のこと、好きだったよ」
「知ってたよ」
「え」
「ディーノは嘘が昔から下手だったじゃない。私だって好きだったんだもの。だからこそ、置いていかれたことが悔しかった」
「いや、あの、お前、え?」
「私も好きよ、ディーノ。でもね、あなたは私よりもマフィアを選んだの。だから今度こそ、マフィアよりも私のほうを向かせてあげる」
「お、い」



「結婚してくださいますか?キャバッローネ」






君との旋律


20070420