気づいたときには、性格という性格が反転してしまったかのように変わっていて、実はには双子の姉だか妹だかがいて、そいつといれ かわっちまったんじゃないかってくらい、性格がまったく変わってしまった。中学までのは、明るくてクラスのムードメーカーで、 男子にも女子にも人気があって、いつでもきらきらしているようなやつだった。高校に入学したばっかのときもそんな感じだったと思う。 すぐに友達もできて、確か彼氏ができたのも入学して間もないころだった気がする。相手の男がクラスのやつだったせいか、すぐに話題に なってクラス中で冷やかした。主に俺が中心に。でも、二年にあがるころ、とはまた同じクラスになって、だけどの彼氏は別のクラス になっちまって、が暗いのは全部それが原因だと思っていた。でも、クラスのやつに聞いたうわさによれば、たちは春休みに別れて いたらしい。じゃあが元気ないのはあいつのことを引きずっているからだろうか。下手に触れて傷つけるよりは、時間が忘れさせてくれ るのをゆっくり待てばいいかと思っていた。
でも、あいつはいつまで経っても変わらない。夏休みを過ぎた残暑。それでもまだあいつは暗くて、元気がなくて、なんていうか、本当に 性格がかわってしまったようだった。今では男子も女子も誰一人として近づかないような、暗くて陰険な女子になっていた。いくらなんで も引きずりすぎだろう。女っていうのは切り替えが早いって聞いたことがあるけど、あれは嘘だったんだろうか。それともが例外で、 あいつはそれほどに、恋人である一人の男を愛していたんだろうか。興味が、わいた。

ってかわったよな」
「よく言われる」
「自覚してるんだ」

休み時間に、ただ黙々と本を読んでいるに声をかけたら、顔も上げずに答えを返された。この声を聞いたのも久しぶりだ。最近では 教室でも声をめったに聞かない。が声を出すときと言えば、授業であてられたときくらいだ。国語でも、英語でも、何の授業だって つまることなく流れるようにすらすら読み上げるその声はあのときと何も変わらず、凛としていた。何か変わったところがあるとすれば、 その声に心がこめられていないところ、だろうか。心がこもるこもらないでどうちがうとか、音読するのにどうやったら心をこめるのか とか、そんなこと聞かれたら全部知らねえって答えるしかないけど、でも、ちがった。無機質というか、無感情。ただたんたんと文字を 目で追い、口に出す感じ。聞いていてとてもつまらない、むしろ空しささえ感じるような音だった。今のだってそう、何も感じない。 無機質な音が、口から紡ぎだされているだけ。力を感じない。

「斉藤のこと引きずってんの?」
「山本」
「ん」
「私に近づかないで」

斉藤、という名前を出したせいかはわからない。でも、空気が変わった。そして紡ぎだされる言葉。顔が持ち上がって、視線が俺のほうを むいて、の目が俺を捕らえて、表情ひとつ変えずに、口だけ器用に動かして告げられた、言葉。重みがあった。物質的なもんじゃない。 なんか、なんていうか、精神的な重みが、その言葉にはたくさんつめこめられていて、俺はむしろ何も感じられなかった。近づくな。 拒絶、拒み、変えようのない真実。でも、悲鳴に聞こえた。無機質な声で、無表情なその口で、吐き出されたその言葉の重みを俺は 知らないけど、何も感じられないけど、俺は何かを感じて、そして何かを考えて、飛び散った。興味がわいた。

興味本位なのかもしれない。というか、それが半数以上を占めていることは間違いないだろう。でも、あんな拒絶をされたってめげない ってことは、興味本位の何かが俺にあきらめるなと攻め立てて、駆り立てて、お前のことを求めるんだ。
翌日、は目の下にわかりやすいほどわかりやすい濃い隈をつくって遅刻してきた。荒い息で「遅れてすみません」と告げる声が、人間 らしくて、人間なのに人間らしいという言葉の似合うその女のことが、気になった。熱かった。その日はとても。まだまだ熱い気温が、 温い空気が、俺の頭をぼんやりさせた。頭がぼんやりするだけ俺はのことを考えてしまう。休み時間は昨日のことがあったせいか、 はすぐにどこかへいってしまって捕まえることができなかった。捕まえて、どうするというんだろう。何を話せばいいのかも考えられ ないくせに、俺はいつでも衝動的で、馬鹿な、人間だ。

秋の日差しは強いという。夏とのちがいなんてわからなくて、どっちも熱いじゃねえかと文句をつけたくなるくらい暑くて、俺は額から 頬を伝って流れる汗をぬぐって帽子を被り直した。キャプテンの声が聞こえる。馬鹿みたいに暑い太陽の下、じゅうじゅう鉄板の上で 焼かれているような気分の中、俺は馬鹿みたいにボールを追った。部活中だった。外野でただ球が転がってくるのを待って、暑さで軽く やられてしまっている頭を振ったらが校舎から出てくるのが見えて、 気づけば体が動いていて、気づけば言葉がのどから飛び出て、気づけば走り出していた。 俺の声に一度顔をこっちに向けたくせに、無視するみたいにまた前を向いて歩き出すあいつが憎かった。ちくしょう、もっとこっち向かせ てやる。意地みたいにそう思って、俺はかけだして、金網に手をかけてもう一度声をかけた。フェンス一枚はさんであるだけなのに、 俺たちはそれぞれとても遠い場所にいるみたいに錯覚した。いや、事実そうなのかもしれない。実質上ってやつでは俺たちの距離は 数十センチだけど、俺との心の距離は何十キロ、何百キロ、何万キロ、もしかしたら地上にある単位じゃはかりきれないくらい遠いのか もしれない。人間なんてそんなものか。誰だって、人間の心が重なることはない。いつまでも遠いままだ。

「今帰り?図書室でも行ってたのか?ひどい顔してるぜ?」
「山本」
「おう」
「近づかないでって言わなかったかな」
「言った」
「近づかないでよ」
「なんで」
「なんで山本は私に近づくの」
「興味がある」
「意味わかんない」
「お前のこと好きなのかも」


「一時の感情のくせに」

人間らしい、表情だった。ほかにどう言い表せばいいのかわからない。久しぶりに、あいつの無表情以外の、ロボットみたいな表情以外 の、人間らしい、一人の普通の女の子みたいな、顔をした。顔をゆがめて、全身で相手を拒絶するような表情、声。思い切り拒絶された くせに俺はうれしくて、笑い出したくなった。俺はエムだったんだろうか。怒ったみたいな顔で歩き出したをぼんやり見送っていたら、 いつの間にか、って声をかけていて、それに律儀に立ち止まるがなんだか、おかしかった。

「なんで今日遅刻してきたんだ」
「寝坊して」
「なんで」
「昨日家に帰るのが遅かったの」
「なんで」
「遠くへ行っていたから」
「なんで」
「色んなものを見るために」


「誰と」
「ひとりで」

俺が聞くことには、ちゃんと返事をして、無視しないを愛おしいと思った。あいつは人を拒絶しているくせに、人を求めているんだ。 ひどく人間らしい人間のくせに、それを隠そうと必死でもがいてる。あいつは、あいつのことがもっと知りたいと思った。俺が「なんで」 を繰り返せば答えをくれるんだろうか。まだ質問を繰り返そうと思ったのに、後ろからキャプテンの俺を叱る声が聞こえて、返事をしたら は自嘲気味に笑って、小さく、言葉を吐き出した。震える声、泣き出しそうな声。自分を蔑むみたいに弧を描く口元も震えていて、俺 は、何をしているんだろうと思った。


「私を、知らないで」


酷い、矛盾だ。

は言った。一時の感情のくせにって。でも、人間ってそんなもんじゃないのか。感情やら衝動やらで体が勝手に動いてしまうような 生き物なんじゃないのか。お前はそれを憎んでいるみたいな顔をした。ひどく汚いものを見るかのような目をして、怨むような声で俺に 何かを訴えたんじゃないのか。俺は、論理とか理念とか、そんなの全然わからなくて、感情やら衝動やらで動いてしまうような単純な人間 で、それを後悔したことが何度もあったけど、俺は直すことができずにいる。だって俺は人間で、そんなことを繰り返して成長していく もんだと思っているから。それなのに、お前はそれすら拒むような。成長すら、おぞましいもののような態度で、俺を拒むのか。俺を拒む くせに、どうして無視してくれないのか。なんでと聞いたら答え、呼び止めたら立ち止まるような、そんな態度はひどく思わせぶりで、 ひどい悪女みたいに思えるのに、どちらかというとお前は小さな子供のようだ。構うなというくせに、本心では寂しいと言っている。あい つはひどく矛盾している。矛盾さえも隠して、表情と一緒にどこかへ隠して、何かに堪えながら生きているみたいで、ひどく、馬鹿馬鹿 しく思えた。お前は俺に何を伝えたいんだ。何も、伝えたくないのか。

ざあざあ降りの大雨だった。心地良いくらいに響く音に耳を澄ませながら、俺は頬杖ついたまま心の中で小さくため息をついた。帰れな い。濡れて帰ってもいっかって思ってたけど、なんだか濡れたらもっとぼんやりしてしまいそうで、それはなんとなくいやな気がして、 俺は土間に座り込んで雨が止むのをぼんやり待っている。結局は、どっちにしたってぼんやりしてしまうんだから、こうなりゃ走って 帰ろうかと思うものの、足に力が入らない。なんだか立ち上がることさえ億劫だ。いっそのこと学校に住むか。できたら、苦労しない。 馬鹿みたいなことを繰り返し考えて、もう三十分待ってみようと思った。三十分後に降っていても降ってなくても帰ることにしよう。 俺の予想では、きっと降ってる。
ただ上から下に勢いよく落ちていく雨粒たちを見ているだけにも飽きて、時計をみたらまだ五分しか経っていなかった。暇だ。だったら 帰ればいいくせに、なんだか濡れることがいやで俺はあと二十五分経つまで校内をうろつくことにした。律儀に三十分経つのを待つなん て、まったくおかしな話だ。

図書館、なんて、すっごい久しぶりに入る。教室行っても誰もいなくて、どっか涼しくて湿気があんまないとこを想像して思いついたのが ここだった。図書委員の生徒は一度頭を上げて俺を確認してからまた手元の本を読み出していた。気にすることなく中へ進むと、独特な本 のにおいがした。図書室ってこんなに広かったっけ。一年のときに校内見学した以来かもしんねえ。本なんて普段関わりないから、くるこ ともない。時計をみたら十分経っていて、あと十五分だった。半分過ぎたかとぼんやり思いながら奥へ進んだら、自習室の白いテーブルに 一人だけ伏せている生徒がいて、よくみたらで、なぜか俺は歩くスピードを少し速めて近づいた。背中がかすかに上下して、完全に 眠っている。顔をのぞきこんでみたら、長いまつげの影が濃くできていた。ああ、ちがう影じゃない、隈だ。まぶたが震えて、まつげが ゆっくり上にあがった。黒い瞳が俺をとらえて、それから目玉が零れ落ちるんじゃないかってくらい目が見開かれた。

「な、に」
「よお」
「何回言えば、わかるの」
「こんなとこで寝てっと風邪引くぜ?」
「私に、近づかないでって言ってるのに!」

荒げられたその声は、静かな図書室に響いて、自身がとても驚いていた。あわてるように立ち上がって、早歩きで図書室の出口を 目指すのを追うと、出て行く直前に小さな声で、「図書室では静かに」という図書委員の声が聞こえた。一度振り返って手を振ったら あわてて本に目を戻された。前を向いたらはもう廊下を結構進んでいて、俺は少し小走りで追いかけた。防音の聞いている図書室から 出たとたんに、雨音が廊下中に響いていて、だけどそれ以上に俺が走る足音が響いていた。どこまで行くのかと、一定の距離を置きつつ あとを追ってみたら、は教室まで行って、俺が教室に入ったとたんに振り返った。

「そんなに知りたいなら教えてあげる。何でも聞けばいいじゃない!聞いてから、あんたが私にどんな態度を取ろうが、あんたの勝手 だもんね」
「じゃあ聞くけど、お前は何をそんなに恐がってるんだ」
「恐がってない」
「恐がってるだろう」
「恐くなんてない!」
「じゃあ、何をそんなに拒絶してるんだ」
「私には、人を愛する資格なんてないのよ」

何を言い出すかと思えば、高校生が、愛を語るのか。

「二年になって、お前変わったよな。あれわざと?」
「私は、人を愛する資格なんてないから」
「なんで」
「わたし人間を殺したのよ」

雨の音が、一瞬止んだかのように錯覚した。

「中絶、わかるわよね。お腹にできた子どもをおろしたの」
「誰の子って、斉藤、だよな」
「ほかに心当たりなんてなかった」
「それ、斉藤には?」
「言った。私は、産みたいって言ったけど、あの人は妊娠のことを聞いてすぐ、別れようって言った。引くって言われた」
「なんだそれ」
「あの人が悪いのかな。そう思うのが、普通だと思うけど。人間だもの。私たちはまだ子どもだもの。重いって思うのが普通だよ」
「そんで、子どもは」
「親に言ったら、有無を言わさず病院つれてかれて、おろさせられた」

この、数分間の間に、俺は一度だって瞬きをしただろうか。目はからからに乾いて、のどもからからに渇いて、なんだかもう、俺の耳に 入ってくるのは誰の声だとか、目の前にいるのは誰だとか、現実逃避をしたくなった。テレビや新聞の中での話だと思っていた。こんなに 身近で、こんなことが、起こっていたのか。やっと瞬きをしてみたら、の顔がよく見えるようになって、涙をこらえて必死にこっちを にらみつけている姿がみえて、俺は逃げ出したくなった。なに、してるんだ。何言わせてるんだよ。謝りたくなった。だけど謝るのは おかしい気がして、でもほかにどうすればいいのかもわからなくて、ただ口をぽかんと開けて立ち尽くすしかなかった。

「私は、あの子の一生を奪ってしまった。だから、あの子が見るはずだったものを見て、学ぶはずだったものを学んで、読むはずだった ものを読んで。あの子のできなくなったことを、全部私がしてあげなくちゃいけないって、思って。私が、できることなんて、ほかに わからなく、て」

一度あふれた涙は止まることなく流れ続けていて、目から何本も筋ができていて、あごまで伝ったそれは地面に落ちていった。

「死のうかとか、考えたけど、そんなの逃げにしかならないって言われて。私は命の重みを知って、それから逃げるように死んだらいけな くて、私はもう一人の奪ってしまった人生を背負って、生きなくちゃいけないから。私は、もう、逃げちゃいけなくて」
「なんで、逃げちゃいけないんだよ」

きっと俺が言う言葉は、悪魔のささやきだ。

「お前がそんなに苦しむくらいなら、逃げちまえよ」

そんなんで、たった一人の馬鹿な男のせいで、お前の人生全部壊して罪を償うことなんて、ないんじゃないのか。 なんで俺が泣いているのか、全然わからなかった。 思い切りに手を伸ばして、抱きしめたら、汗と雨のにおいがした。 俺が産まれてこれなかった子どものかわりに、お前に抱かれていちゃだめかよ。 俺は逃げないから、お前くらいは楽になれよ。いくらでも、逃げちまえよ。お前は十分すぎるほど知っただろう、重みを。 俺なんかにはわからない命の重みってやつを、苦しすぎるほど、一人で抱えてきたんだろう。ちょっとくらい逃げろよ。 誰にでもいいなんて言いたくない。俺にだけ、分けてくれよ。少し持つから、なんで、なんでこんな。


赤ん坊の、聞こえもしない悲痛な叫びが、お前の耳を占領しているのか。


「一緒に、死んであげればよかったのかな」

声、声が、人間らしい声が、痛くて、俺の胸に刺さるみたいに痛くて、腕の力をこめたらぐにゃって崩れてしまいそうで、恐くて、俺は。

「愛して、あげたかった」


赤ん坊が泣けない分、お前が泣けよ。そんで、赤ん坊が笑えない分、お前が、笑えよ。雨の音が耳について離れない。 赤ん坊が泣き止まないみたいに、ずっと、ずっと、降り続ける。







どうかこのつまらない時間さえ



20070426(愛してあげたかった あなたを 小さなあなたを抱きたかったのに)