「ねえねえ、私さ、昨日見ちゃったんだけど」
「なになに?」
「昨日の帰りに雲雀先生と三浦先生が一緒の車乗ってるとこ!」



がしゃーん!一時間目からの移動教室で、教科書とノートと筆箱の一式を持って友達と仲良くおしゃべりしながら廊下を歩いているとき でした。友達がこそこそ話をするように声を小さくしたから、私はそれにつられるように声を小さくして耳を寄せた。そして友達の口から 出てきた言葉は、とてつもない威力を持っていた。私が思わず手に持っていたものを全部落とさせるくらいの、威力で。何がどれだけの 威力を持っているかなんて友達にはまったくわかるはずもなく、突然のがしゃーんって音にびっくりして立ち止まってくれた。み、三浦 先生といえば、今年入ってきたばかりの新人だけど生徒からも人気のある若くて美人でかっこいいくせに可愛いあの完璧な三浦先生だろう か。一緒に車に乗って帰ったって、そ、それって、あの、二人きり…?いや、でも待て、疑うのは早いぞちがうかもしれないっていうか ちがってくれないと困るっていうか。いや、ないないそれはないよね!



「あの二人、付き合ってるのかな」



せっかく全部拾って立ち上がって歩き出そうとしたのに、友達のつぶやいたその言葉にまた全部落としてしまった。疑っているのは私だけ じゃなかった。一人で勝手に想像しているときはまだ、私だけ考えていることおかしいのかなって思えるけど、誰かが同意してくれると 自分だけじゃないって言うのが嬉しいのと同時に心強さが生まれてしまって、自分の中で疑いが確定してしまう。付き合ってる。恋人。 先生と、お付き合い、交際させていただいているのは私じゃないんですか。そもそも、先生と生徒がそんな、恋人同士になるなんてことは やっぱり漫画の世界だけの話で、実際にそんなことあるわけなかったのかな。でも私はちゃんと確認したよ。いや、先生もしかしたら交際 の意味を履き違えているのかも。でも先生頭いいよね。何の教科の質問にいっても簡単に、しかもわかりやすく説明できちゃうくらい頭 いいし。そうなると、私が間違っているのかな。交際。付き合う。好きって、先生いってくれたよね。一回だけだけど、私はちゃんと 聞いて、いまだに頭の中に残っているくらい、ちゃんと覚えていて。でも、それも全部勘違いだったのかな。私が、つっぱしっちゃってた だけなのかな。先生にとって、私はなに?



授業なんてやっぱり頭に入らなくて、ぼけーっとしていたら時間なんてどんどん過ぎて、あっという間に三時間目になって、三時間目は 国語の授業だったんだけどやっぱり頭に入らなくて、ずっと電子辞書をいじってた。「交際」とか、「付き合う」とか、先生に言われた 言葉を一生懸命思い出しながら調べていたら、三時間目もあっという間に終わってしまった。辞書を引いたって、なんだかよくわからなか った。やっぱり私が考えていたような意味もあれば、友情とか信頼とかそういうことが書いてあったりで、もう、辞書がある意味で恐く なりました。無知な私がいけないんだろうか。一人で勝手に舞い上がって、馬鹿みたいだ。でも、先生、じゃあどうして私にキスしたんで すか。あれは、そういう意味でしかとれないですよ。ここは日本です。人との交流にキスなんてする人、あんまりいないと思うんですが。 あ、そういえば雲雀先生ってうちの学校くるまえまでイタリアにいたって聞いたことがある。だからなのかな。雲雀先生はどこで生まれて どこで育って、どんな人と関わって、どんな生活を送ってきたんだろう。私は何にも知らない。恋人だと思ってた。でも、ちがったのか な。結局は距離があって、私は一人、空回り。



「始業のベルはもう鳴ったよ。早く席に着きなさい」



びっくりして、顔をあげたら思い切り目があった。でもすぐにそらされて、教卓の前に立って生徒の視線を一身に受けていた。あ、れ、 四時間目ってホームルームだよね。担任の先生がくるはずなんですが、あれ、雲雀先生?クラスメイトの一人が手を上げて、私が今疑問に 思っていることを大きな声で先生に聞いてくれた。雲雀先生はたんたんとした口調で男子に答える。



「君たちの担任はちょっと会議が入ってね、僕がかわりだよ」



会議、か。今年に入って何回目だろうか。うちの担任の先生、今年は学年主任になったとかで、ちょこちょこ授業が自習になったりしてい る。はじめてというわけじゃないからあまり驚いたりはしないけど、かわりの先生がくるのははじめてかもしれない。しかも、雲雀先生が くるなんて。雲雀先生はすっごく若い(絶対に20代だ)くせに、なんだか変に権力を持っていて、すっごく年配の先生が敬語をつかったり しているのを見たことがある。先生同士で敬語を使うのはめずらしいことじゃないかもしれないけど、雲雀先生の場合、相手の先生は敬語 だったけど雲雀先生はちがった。タメ口、という言い方とはちょっとちがうような、上司が部下に対して話すような口調だった。それに何 も言わない相手の先生と、取り繕ったかのような笑顔に違和感を覚えていた。だから、こういう場合はもっと権力の低い、というか、若い 新任の先生とかが優先的にまわされるものじゃないのかな。雲雀先生がくるっていうのがちょっと、意外だ。



「先生、今日物理の授業ないから用意持ってきてませーん」
「いらないよ。ホームルームをやってくれと頼まれている」



ちらり、こっちを見るような視線。目が合って、思い出した。先生、そうだよ、できることなら今は会いたくなかった。私一人の、勝手な 判断で、もしかしたら先生を振り回してしまっていたんだろうか。ちょっと、恥ずかしいような。でも、先生を責めたいような。いやい や、悪いのは全部私なんだからそんなことはできないです、けど。なんだか、胸につっかかるみたいなこの感情はなんだろう。どろどろ していて、もやもやしている。どろどろしているくせにつっかかるってどんなんだよ。一人、自分を突っ込んでみたけど、気は晴れない。 どんどん頭が重たくなってくみたいに、頭が、下がる。



「何をしたい?」
「先生、質問があります」



雲雀先生はクラスの担任もってないから、ホームルームの仕方とかわからないのかなぁってぼんやり思っていたら、友達の声が聞こえた。 視線をそっちに送ったら、ちょっと楽しそうに笑って目を細めていた。いやな、予感がする。



「雲雀先生は三浦先生と付き合ってるんですかー?」



クラス中が一気にざわついて、友達と雲雀先生の両方に視線が集まる。な、なな、なんて質問を…!信じられない。びっくりして口を ぽかんと開けて友達のほうを見ていた。できることなら雲雀先生の顔を見たい、でも、見れない。恐い。でも、好奇心にはかなわなくて、 横目に雲雀先生をのぞきみたら、眉間にしわを寄せてちょっと不機嫌そうな顔をしていた。え、それは、どっちの反応?今の私には、 なんで君が知ってるんだあいつばらしたのか、みたいにしか、思えないんですが。頭がひんやりするような、血の気が引いていくような いやな感覚に襲われて、だけど顔から火が出そうなくらい熱くなって、もう、私はうつむいていることしかできなかった。聞きたくない。 肯定の言葉なんて、絶対に聞きたくない。でも、否定の言葉だって、今は隠しているようにしか思えない。恥ずかしさでいっぱいで、 嫉妬心とかもう、溢れそうなくらいどろどろで、目尻に涙がたまっているのがわかる。



「誰がそんなことを」
「だって昨日一緒に車に乗ってるとこ見ちゃったんです!」
「ねえねえ、先生って彼女いるの?」



クラスのざわつき具合がすごい。友達が昨日目撃したらしい、雲雀先生と三浦先生の同車疑惑を発言したとたん、きゃーとか、えーとか、 もう、なんていうか、すごい。いろんな声、高い声から低い声までが入り混じっていて、どの声もひとつひとつちがうのに、どの声だって ちゃんとした言葉は耳には届かない。頭ぐるぐるする。そんなときに、あんな質問は、ないだろう。「かのじょ」ってなんですか?



「いるよ」



ぐるぐるしていた頭が、急に機能を停止した。電源のコードをぶちって抜いたみたいな、感じ。あれ、私はロボットだったのかな。電池が 切れたのかな。もうどこにも力が入らなくて、目の前だってよく見えなくて。全身から力の抜けた私はそのまま前身が倒れていって、机に 強く頭をぶつけてしまった。ごちーんって、すごい音がしたのに、クラスのざわざわに飲み込まれて、私のことに気付いたのは両隣の席の 人くらいだよ。その人たちだって気にしないみたいにまたしゃべりだしちゃってる。私の耳はきーんってして、それからぼーっとする。 頭がじわじわ熱くなってきて、おでこはもっと熱い。彼女、いるんじゃないですか。私はなんだったんだ、やっぱり勘違いか。彼女いるく せに、何私と遊んでるんですか。いや、遊んでたのかな?遊ばれてたの?でも、雲雀先生みたいなかっこいい人と遊べたってこれは、名誉 なことですよ!きっと。遊ぶって、なにさ。よくわかんない。キス、だって、気持ちがないならしてほしくなんかなかった。私は雲雀先生 のこと好きでしたよ。雲雀先生が私に言ってくれたような意味とはちがったみたいですけど、もう、いいや。馬鹿みたいだ。おでこが 痛くてなのか、体が動かなくてなのか、もうよくわかんないけど、涙、でた。



そのあとはよく覚えてないけど、もっとすごかった。誰ー?とか、どんな人ー?とか、叫び声が入り混じって、だけど先生は何も言わなく て、少ししてから別の先生が入ってきて、授業中だぞ!って怒られて、でも雲雀先生の顔を見てなぜか謝ってすぐに出て行ってしまって、 クラスは変に静かになってしまった。私は相変わらず、頭があがらない。机におでこをくっつけたまま、顔をあげられないでいた。最初は ひんやりしていた机が、もう今はぬるくて気持ち悪い、けど頭あがんない。というか、どちらかといえばあげたくないんだ。先生の顔が 見られない。



「僕だって一人の人間なんだから、誰かを愛することだってある」
「相手は三浦先生なんですか?」
「もうその話はおしまい。自習にするから、授業終わるまでに声を発した人には課題ね」



先生が、無理やり話を終わらせて、あっという間に誰もしゃべれない状況をつくりだした。教室に響くのはさっきまでの楽しそうな笑い声 なんかじゃなくて、教科書とかノートをめくる音とか、何かを書く音。私もなにか、勉強しなくちゃじゃないのかな。ああ、今日ずっと 考え事していて聞いていなかった授業のことを考えたりしなくちゃ。テストだって近いんだ、そういえば。最近はぼーっとしたりすること が多くて、授業よくわからないところが多いからなんとかしなくちゃ。私はいつまでも、先生の遊びに付き合っているわけにはいかない。 でも、でも頭が上がらないのは、先生のことが、本気で好きになっていたからみたいだよ。忘れられたら楽なのに、学校には通わなきゃ いけないから、いやでも先生の顔を見ることになる。見られるのは嬉しいことなのに、話せるのは嬉しいことなのに、どうして憂鬱に 思えてしまうんだろう。だめだ、それでも、先生を見ていたい。ひどいや、こんなに好きにさせるなんて。





だって、遠いよ




いまさらおでこが痛くて、割れそうなくらい痛くて、つらい。


20070511(まだ続きそうですよ?)