私は生まれてから今まで、身近な死に直面したことがない。私が生まれたときにはもう、曾祖父母は死んでいたし、母方の祖父も死んで いていなかった。父方の祖父母は元気だし、母方の祖母は元気ではないにしろ生きているし、ほかの親戚を亡くしたこともない。友達も そうだ。知らせを受けていないだけかは知らないけれど、今のところはないはずだ。両親だって元気に生きているし、私自身も五体満足、 健康的に何不自由なく育って、ここに生きている。死を、身近に感じたことがなかった。ドラマや映画などの、死ぬシーンやらを見て 泣いたことがないわけでもない。どちらかといえば涙もろいほうで、そういうものにはすぐに泣いてしまう。だけど、リアリティを感じた ことは、きっとない。人の死をまったく考えたことがないといえば、嘘だ。たとえば、もし両親が死んでしまったら。考えたことがある。 考えて、ひとり枕を濡らした夜もある。妙な不安に駆られて夜な夜な両親の布団にもぐりこんだことだってある。でも、ない。



大人と呼べる年齢になって、いまだに死に直面したことがないというのは、ある意味こわいことだ。周りの大切な人、そうでない人、どう でもいい人、顔見知りな人。どんな人だろうと、私が名前を知り、言葉を交わしたことのある人たちがまだ、この世界にいる。これはとて も幸せなことだとわかっているくせに、失う悲しみを知らない私は、失わないことを当たり前のように思ってしまっているところがないだ ろうか。誰にも死んでほしくない。世界中の人みんなに死なないでほしい、なんて贅沢は言わない。だけど私の知る人に死なないでほしい と願うことは、欲張りなことだろうか。人間は生まれたときから死ぬということが決まっていて、これは絶対に変えられない事実で、それ は、とても悲しいことじゃないか。



「ということで、死なないでね雲雀」
「君はつくづくシリアスが続かない女だね」



あきれるように言われて、ぽんという心地のいい音を響かせながら本を閉じる。死に直面したことがなくて、死を誰よりも意識して、こわ がる私がついた職業は、ある意味とても死に近い職業だった。マフィア。日本人である私がその存在を詳しく知ることになったのは、私の 一番といっていいほど大切な恋人である、雲雀恭弥のせいだった。雲雀と出会ったのは中学のときで、好きで好きでしょうがなくなってし まった私は高校へ追いかけ、高校卒業のときに雲雀にはじめてマフィアの話をされた。僕はマフィアになるけど君はどうする?ストーカー 並みに雲雀のことが好きだった私は、マフィアのことをあまりよく知るわけでもないくせに、二つうなずいてついてきてしまった。だけど 後悔はしていない。何より一番大切な雲雀がそばにいる。これはとても、大きなことだ。



マフィアになってもまだ、死に直面していないのかと聞かれれば、たぶん首を傾げてしまうだろう。まだ、直面していない。だけど、確実 に迫ってきている感覚はある。年を重ねるにつれて広がる人間関係は、ある意味恐ろしいものだ。年を取るにつれ、死は近づいてくる。 特にこの職業だ。いつ死んでもおかしくない。ファミリーの数人を亡くしたことがある。でもその人たちは、私と顔を合わせたこともな い、名前も知らない人たちだった。だけど私の顔見知る、名前を知る職業仲間がその死を悲しんで、泣いていた。その姿を見てぞっとし た。もうすぐ、もうすぐな気がする。誰か、知っている人の死に、直面する。死とはなんだ?目を閉じて動かなくなること。二度と口の 利けなくなること。誰もそんなことを悲しんでいるわけではあるまい。なぜ悲しいのか。死は悲しいものだからだ。なぜなんてわからな い。だって、死は当たり前のごとく、悲しいものだから。知っている。生きていることが当たり前なのも、死ぬことが当たり前なのも。だ からこそ、こわい。ああ、誰にも死んでほしくなんかない。死なんて意識したくない。それでも毎夜眠れないほどうなされるのはなぜだろ う。私は変に意識しすぎているのか。死ぬのも死なれるもの、こわいに決まってる。



「当たり前のことだと言うくせに、うだうだ言葉を並べるんだね」
「当たり前だからこわいんだよ。雲雀はこわくないの?」
「そんなのいちいち怖がって生きていたら、身が持たない」
「でも、意識しちゃうよ」
は意識しすぎなんだ」
「そうかな」
「そう。少なくとも僕は、君さえ生きていてくれれば、何も怖くない」



「君は僕が守るし。そしたら僕に怖いものは、何もない」



雲雀の言葉は冷たいくせに、温かかった。そのときはその言葉を一心に受け止めたつもりになって、幸せを噛み締めた。だけど、雲雀はこ わい人だった。事件が、起きた。マフィア間の抗争が起きた。私がこのボンゴレファミリーに入ってからははじめてだった。どこかとどこ かのファミリーがぶつかって、援護なんかで戦場にいったことは二回だけあるものの、今回は援護なんかじゃない。本番だ。その第一 指揮官として、雲雀が選ばれて、その補佐として私が選ばれた。今までに率いたことのないくらいの部下をつれて、戦場へ躍り出た。そこ はもう、地獄じゃないかと思った。勢力は圧倒的にボンゴレのほうが上だったはずなのに、おかしいくらいに前へ進めない。何が原因かは わからないけど、手こずっていることだけは事実で、それはもう惨状だった。硝煙と血のにおいがすごくて、眩暈を起こしてしまいそう だった。周りのことなんてなりふり構ってられない。誰かが死んだかもしれない。でも今はわからない。わからないときは、私の中でまだ まだ生き続けてる。目の前のことにしか構ってられない。とにかく任務を最優先で、とにかく、勝たなきゃ。



銃声が、身近で聞こえて、身近どころかすぐ後ろで聞こえて、私はあっけなくも、その場に倒れこむことになった。肩が、撃たれた。でも 後ろ?どうして、後ろはファミリーしかいないはず、なのに。肩を押さえてなんとか立ち上がると、煙幕で最悪な視界の中で、雲雀を 見た。前から足早に歩いてくる。どうして?不思議に思ったとたんに銃を構えて、私の目の前で何発か発砲した。私の横をすり抜けてい った弾丸は、三人の人に当たった。すぐに振り返って確認すると、その三人は、どの人の見知った、私の知っている、部下たち、仲間た ち、だ。



「ひば、ひばり!雲雀なにして」
「三人のうちの誰かがを撃った」
「そんな、でも!」
「スパイが何人か潜んでいる」
「三人とも、スパイだった、の?」
「わからない」
「わか、らないって、なに」
「でも確実に三人のうち一人はそうだ」
「二人は?二人は、仲間なのに!」



雲雀の顔はこんなときだって冷静で、汗一つかいていなくて、銃声ばかり響くこの場に変に適していて、私は無性に、こわくなった。腕を 振り上げて雲雀の頬を叩こうとしたのに、その手は簡単につかまれて引っ張られていく。なに、なにこれ。三人、死んだ、よ。死んでた。 三人とも知ってる人だった、のに。私、話したことある。ねえ、ねえ、雲雀。雲雀は、本当にこわくないの?何にもこわくないの?私がい ればこわくないの?私はある意味、雲雀に守られたんだよね。雲雀はこれで満足ですか。これで、何もこわいものないの?私、私こわい。 なんで?一番大切な雲雀が生きていたって、こわい。私は欲張り?ねえ、ねえ雲雀おしえて。こっちを向いて。どうして殺したの?死っ て、こんなに簡単でいいものなの?その人が生きてきた、何年、何十年という月日は、かけがえのないその日々が一瞬で、消え去った。そ れを人が簡単に奪っていいものなの?人の一生を、人が、すべて奪ってしまうのは。こんな、こんなに、あっけなく終わって、終わってし まう。終わってしまった。



「いや、いや、いやあ!」
落ち着くんだ」
「やめて、やめてよ!殺さないで!」
「落ち着いて、誰も君を殺したりしない。殺させないから、とにかく落ち着いて」
「殺さないで!誰も、誰のことも殺さないでえ!」



腕を振り払って走り出した。もう、めちゃくちゃだった。何を考えていたのかもわからない。頭は恐怖だけが占めていて、死ぬことが、 こわくなった。銃声がやまない、銃声がやまない。発狂するなかで、なんともあっけなかった。こつん。聞こえたのはそんな音だけ。頭に そんな音が一瞬響いたのを聞いたか聞かないかで私は、すごく簡単に、死んでしまった。









終わり日


20070607