いつもとおんなじ土間の風景。並ぶ下駄箱のひとつに手をかけて、その小さな戸を引く。ちらりと視線をやって、中の上靴を取り出して、 靴を履き替える。靴を中にしまおうとしたところで、薄暗い下駄箱の中で、ただひとつ白く保とうとしている、紙をみつけた。一瞬にして 昨日の記憶をたどるも、その紙を入れた覚えもないし、昨日はそんなものなかったはずだ。とりあえずその紙を取り出し、靴をしまって 歩き出した。メモ用紙を半分に折ったものが、私の手のひらで私を笑っているようだと思った。私はそっと、それを胸ポケットに入れた。 結局、その紙は教室についても開かなかった。わざと見ないようにしていたわけじゃない。すっかり、忘れていたんだ。友だちに挨拶をし て、かばんに入った用具を取り出し、そんなことをしている間にその紙の存在なんてあっという間に忘れてしまっていた。


メモの紙のことを思い出したのは、放課後。応接室へ入ってかばんを置いて、ふかふかなソファに身を下ろしたときだった。上靴に黒い 汚れをみつけて、目を少しだけ細めたとき、上靴という関連性で思い出した。急いで胸ポケットから紙を取り出して、開いてみる。そこに は荒い字で、こう書いてあった。


のことが好きです。直接つたえたいので放課後に屋上へ来てください。いつまでも待ってます。斉藤隆」
「ひ、ひばり」
「いい度胸じゃないか。僕のものに手を出そうとするなんて」


私が紙を一度読んで、言葉にならない感情を持て余していたら、そんな私を不審に思った雲雀が横からその紙をひったくって、勝手に 読んでしまった。私と雲雀が付き合い始めてまだ間もない。それを知らない人も多いだろう。だから、きっと、私の後ろに雲雀がいること を知らないで、こんな手紙をくれたんだろうけど、タイミングが悪かった。どうしよう。斉藤くん、は、同じクラスの、席が私の斜め前の 気さくで明るい男子。どうしよう。雲雀、雲雀の目が、笑ってない。それに、放課後って。いつまでも待ってますって。まだ待ってるん だろうか。今日は掃除当番で、そのあと友だちとしゃべって、もしかしたらかなり待たせてしまっているかもしれない。これからでも いかないと。私が屋上へ行かなくちゃと考えていると、目の前で紙を持って私のほうを見ていた雲雀が、ポケットからライターを取り出し て、火をつけるとすぐに、紙に近づけた。


「ひ、雲雀!なにして」
「行くの?屋上」
「う、ん、だって、待ってるって」
が行くなら、明日からこの斉藤ってやつは、学校へ来られなくなるね」


目を細めて笑う雲雀の顔は、火に照らされて、あやしく輝いていた。小さな紙は、あっという間に火に包まれて、その紙を持つ雲雀の 手まで焼け焦がしてしまいそうな勢いだった。熱くないわけないのに、それでも笑った顔を引っ込めないで、ただその手紙を持つ雲雀の、 目の笑ってない顔が、悲しかった。なんでかわからないけど謝りたくなって、雲雀を抱きしめたくなった。でも私はどちらもしないで、た だ雲雀の手を引っぱたいてその衝動で床に落ちる火に包まれた紙を踏んで、火を消した。じゅうたんが少し焦げて黒くなってしまったこと は、目を瞑ってもらいたい。すぐ雲雀の手をとってみると、赤く火傷していた。冷やさないと。とっさにそう思って雲雀の腕を引っ張って 廊下をかけた。私の弱い力で、簡単についてきてしまう雲雀が、なんだか弱ってるみたいで、さっきよりも悲しくなった。どうしたよ雲雀 恭弥。元気ないじゃないか。私、別に、斉藤くんの告白を受ける気なんかなかったよ。雲雀のこと好きだったから。ただ、待たせるのは 申し訳なく思えて。ただ、それだけだよ。水道の蛇口をひねって、ただ勢いよく零れ落ちる水に雲雀の指をさらした。


「ばかだね、雲雀」
「どっちが」
「雲雀。だって、痛いくせに」
「痛くない」
「うそつき」


雲雀の手は冷たくて、指を水にさらしているせいだけじゃなくて、元から冷たくて、もう一度蛇口をひねって水を止めて、それから両手で ぎゅっと握ってみた。私の手だってそんなにあったかいわけじゃないのに、雲雀の手は氷みたいに冷たくて、もっと力をこめてぎゅっと 握ってみた。


「なに」
「わたし、好きで雲雀と一緒にいるのに」
「だから?」
「だから、ばかだなって」


手が、雲雀の手が、私の手の熱をうばっていってるみたいだと思った。私の手はだんだん冷たくなっていって、雲雀の手はだんだん温かく なっていって、いつか、私と雲雀の手の温度はおんなじになるんじゃないかと思った。そうなったら、私たちはどろどろに溶けて、ひとつ になってしまうんじゃないかと思った。そんなわけない。そんなことがありえるわけがない。でも、そうなってもいいかなって、少しだけ 思った。


「馬鹿同士、惹かれあったわけだ」


雲雀が私の手を握り返す。それにちょっとだけ驚いて顔をあげる。そして、雲雀が私に口付ける。温かい唇が、私の冷たい唇にゆっくり ふれる。そのままふれあっていたら、やっぱりどろどろに溶けて、ひとつになってしまいそうだと思った。そうなったらいいのにと、 思った。




さよならは青に溶けて消えた













20070616 ( You said to me "Please become fortunate." I answered that it was disagreeable. )