腕を天井に向かって伸ばしてみたら、爪が伸びていることに気付いた。電球の影になる天井は薄暗くて、だけど白を保とうとしていて、そ れを見ていたら、なんだか青い空が恋しくなった。あの、なんとも言えない透き通った青い鮮やかな空を、見たいと思った。青い空と いったけれど、別に青でなくてもいい。赤色でもいい。今みつめている天井のように灰色だって、白色だって、黒色だっていい。空は 百面相で、いつも私を楽しませてくれるんだから。空が急に、恋しくなった。


昨日も一昨日も、一週間前だって当たり前のようにみた空が恋しい。どうして?今すぐ起き上がってベランダへ出て空を見上げればいい じゃないか。おかしいな。馬鹿みたいだ。動けばいいのに面倒だ。気だるい。ああ、空がどうのこうのと言ったけれど、もっと見たいもの があった。鳥だ。鳥がみたい。すずめでもからすでもいい。鳥がみたいな。自由に空を飛ぶ鳥を、見たい。けど、本当に見たいものは、 ヒバリって名前の、とてもきれいな鳥。とてもきれいな声で鳴く鳥。窓から入ってきてくれないかな。だめか。窓もドアも、全部鍵が かかっているんだから。入ってこられるはずもない。自由な鳥さん。自由な鳥さん。私を迎えにきてはくれませんか?私のところへやって きてくれはしませんか?私を、連れ出してはくれませんか。


おかしな頭だ。幼児化したみたいに、メルヘンなことを考えてしまうくせに、飛び出る言葉は私の頭とは考えられないくらい文章らしい 文章になっていて、いっそこのまま本にしてしまってはどうだというくらい、しっかりとした文になっている。自分のことを思い切り 蔑みたいわけじゃないけど、私はいつも自分の文章力のなさに不甲斐なさを感じているから、なんだか妙な気分だった。頭がぼんやりする くせに、考えていることは割とまともなような、そうでないような。わからないけれど、とりあえず私が今おかしいということは事実だ。 頭が遠い。意識が遠い。ぼんやりぼんやりしてしまって、ぼんやりぼんやり天井を眺めている。実際は何にも見えていないんだけど、私 は、何かを見ていた。


そろそろ腕が疲れて、天井に向かって伸ばしたままだった手に力を抜くと、ばたんとフローリングに肘があたって痛かった。暑いも寒いも わからないこの空間で、私は何をしているんだろう。記憶をたどろうとすると、眠気が私をゆっくり揺らす。少し、眠ってしまおうか。と 思っていたのに、足に鈍痛を感じて私は目を開けた。


「邪魔」


見上げれば、雲雀が私の足を蹴って前に進んでいた。おかしいな。今日の私はとことんおかしかったけれど、本当におかしかったみたい だ。雲雀がみえる。窓もドアも鍵がかかっているはずなのに、なんでだろう。そこまで考えて、私は雲雀が非常な人間であることを思い 出した。人の家に勝手に上がりこんでおいて、邪魔といって人の足を蹴るなんて。まったく、雲雀らしい。いつもの私ならここで、「ぎゃ あひどい雲雀!ドメスティックバイオレンスよ!訴えてやる!」くらいわめいたのかもしれないけれど、何度も言うが今日の私はおかし かった。わめくこともなければ、起き上がることもしないで、ただ雲雀を一度見て目をそらし、また天井を見上げたんだから。私がおかし いとさっきから何度も言ったけれど、実は本当におかしいのは雲雀のほうではないか、と思い始めた。雲雀の顔を思い出したら、なんだか さっきまで穏やかだった心がざわつきはじめた。


「何してるの、。部屋の真ん中に寝転んで、邪魔だよ」
「部屋の真ん中に寝転ばなくても、私は邪魔なんでしょう」


雲雀が眉間にしわを寄せる。あ、怒らせた。いつもならあわててフォローに入ろうとするのかもしれないけれど、今日はちがう。さっき まではきてくれないかと願っていた私だけど、今は少し、後悔している。もし神様が本当にいたとして、私がさっきぼんやり考えた願いを 叶えてくれて雲雀を今ここへ呼んでくれているのだとしたら、私はさっき願ったことを後悔して、どうでもいい願いばかりしか叶えてくれ ない神様を少しうらむことにする。


「怒ってるの?」
「私の心は今、おかしいくらいに穏やかよ」


昨日のことだった。朝から雲雀は機嫌が悪くて、私はいつもの雲雀の気まぐれだと思っていた。だけど、ちがったみたいで、雲雀は私を 見つけるたびに、不機嫌そうな顔をした。私は何かしただろうかと記憶を手繰り寄せてみるものの、思い当たるところはなくて、ただ 戸惑いつつも、いつもより多く感じる書類を片付けた。雲雀のことを、少し気にかけながら仕事をしているせいか、いつもよりも進みは悪 くて、眠気を感じて席を立った。そしてすれ違った雲雀は私の顔をみて自分の顔をしかめ、こういったんだ。


「邪魔だ。早く帰れ」


私は何か、したでしょうか?答えはいいえ。なんにもしていませんよ。雲雀の気まぐれなのかなんだかしらないけれど、今回は本当に、 どうしたらいいのかわからなかった。怒りだか悲しみだかわからないけど、とにかく頭痛がしたので言われたとおりに帰った。そして 今日、休みでもないくせに、家でごろごろしているのは私のせいではありません。雲雀のせいです。朝、体がどうもだるくて熱をはかって みたら、微熱よりも少し高い、熱があったのも雲雀のせいです。だるくて、電話する気にもなれなくて、無断欠勤。私は、すねていたんだ ろうか。さっきまで、雲雀を恋しく思っていたのは、嘘なんかじゃないというのに。雲雀が好きです。雲雀が恋しいです。でも、こわい。 また邪魔といわれるだろうか。私のこの思いも?何もかも、否定されてしまったら、私は生きていけません。それがこわくて逃げたという のにこの人は、追ってきてしまいましたよ。それが少し、うれしいと、思うんだから、不思議な話。


「ただ、動く元気もないだけだろう」
「なに?」
「昨日から、調子が悪いだけのくせに」


目の前に、電気がばちって走ったみたいに、ちかってした。そんなの無視して起き上がると、頭がくらってして、だけど雲雀に気付かれ るのもなんだか癪で、黙って雲雀を見上げてみた。


「調子悪い?」
「うん」
「わたしが?」
「うん」
「昨日から?」
「気付いてなかったのか」


少しだけ、理解した。自分でも気付かなかったのに、私は昨日から調子が悪かったらしい。そういわれてみれば、うなずける点もあるとい うものだ。雲雀はそういうところ、すごい。私自分のことなのに、気付いてなかった。でも雲雀は本人よりも先に気がついて、だから? だから、か。不機嫌だったの。そんで、調子悪いくせに仕事してるのが、腹立って、邪魔だから帰れ?なんという、なんというわかりに くい男だろうか。もっと、もっとほかに言葉があるだろうに。「調子悪そうだよ?つらいなら帰りなよ」とか、言えないものか。ああ、 雲雀はいえないだろうに。だからって、あんな言い方あるもんか。邪魔だって、なに。私、傷ついたんです。雲雀に嫌われたかと思ったん です。そんで、本気で別れを想像したんです。だからこそ今日お休みしたんです。雲雀に会って、別れを切り出されるのが怖くて。熱が 出たのは知恵熱だと思ったんです。昨日の夜にいろいろ、考えすぎたせいだと思ったんです。ああ、全部、雲雀のせいだ。


「痛い、頭」
「ベッドで寝ろ。こんなところで寝ていたら治るものも治らないよ」
「連れてって」
「わがまま」
「うるさい」


雲雀に、今日の仕事どうしたの?って聞いたら、知恵熱が出たっていって休んだ、という。





おかしな話


20070622