連載の番外です。連載を読まなくてもわかるようにはしてあります、一応。ご注意ください。







扉から廊下をのぞいて見回してみたけど、人影なんてどこにもなくて、私は身を低くして部屋を飛び出した。体をかがませる行為に何か 意味があるとは思えないけど、なんとなくこうしていると見つかりにくくなるような気がした。結局は自己満足です。通り過ぎるいくつも の扉に、誰も出てきませんようにと念じながら廊下をかけた。そして雲雀さんの部屋からいくつか隣の部屋の扉を叩く。早く、早く開かな いかな。雲雀さんが帰ってきたら、怒られちゃう。早く、早く。すると中からはーい、という間延びした声が聞こえてきた。あれ?部屋 まちがえたかな。廊下を見回して確認する。確かにここは、骸さんの部屋だろう。お客さんでもきているんだろうか。でもとりあえず、 返事もらったから入ることにしてみよう。

鍵のかかっていない扉を開けて中にすべりこんで、まず、目があった。骸さんじゃない人と。すぐに、あ、お客さんだったかな。やっぱり 入らないほうがよかったかな、と少し後悔した。目があった男の人は、興味なさそうに私のほうを見ている。すぐに後ろを振り返って、 部屋に響く声でこういった。

「骸さーん、女きたびょん」
「約束の時間よりもだいぶ早いですね。犬、追い返してください」
「はーい」

扉の前で立ち尽くしている私に、さっき目があった男の人が近づいてくる。あれ、もうお帰りなんだろうか。きょとんとしながらその様子 を見ていると、目の前で立ち止まられた。見下ろされている視線はやっぱり興味なさげで、でも鋭いその眼光に動物を思い出した。肉食 動物とか、こういう目をしている気がする。お邪魔したこと怒っていたり、するのかな。何か言おうと口を開いたらあごをつかまれた。 その力はすごく強くて、私はびっくりして何も言えなくなってしまった。

「まだガキらびょん。骸さんが街でいい女みつけたっていうから期待したのに」
「あ、あの、わたし」
「ほら、帰れ帰れ。骸さんはまだお休み中なんらよ」
「え、あ、お休み中!?すみませんでした!あの、これを渡しにきただけですから」
「うひょう!美味そうら」

そう、骸さんへの用件はこれだったんです。ケーキを、つくったから、よければ食べてもらおうと思って。直接渡したかったな、と少し思 いながら目の前の人に渡して、そのまま立ち去ろうと思った。骸さん寝てたんだ、それなのにお邪魔して、確かに邪魔だ。失礼なことをし てしまったなあ。罪滅ぼしにはならないけど、ケーキはうまくいったからよければ食べてほしいな。と思っていたら、目の前の男の人は ケーキの箱を勝手に開けて、今にも食べようとしている。とっさに手が出て、箱を思い切り引っ張っていた。

「な、なにするんらよ!」
「ここ、これは!骸さんのために、つ、作ったもので!」
「ばーか!骸さんはな、いつも女の作ったもん食わねえんだよ!」

顔が一気に熱くなった。一人で勝手に盛り上がって、突っ走ってしまったことくらいわかっている。だけど、だけど昨日、ボスに、今日が 骸さんの誕生日だということを教えてもらって、何かしたいと思って勝手にしたことだから。絶対に喜んでもらえる、なんて思っていた わけじゃないけど、本人に見てもらう前にほかの人が食べてしまうなんて、そんなの、そんなのいやだ!私に負けじと箱を引っ張る男の人 の力は強くて、だけど私も離れなくて、ずるずると引きずられる形になってしまっている。うわあ、もう、だめだ。手が滑って、箱から 離れちゃ、う!

「犬」
「きゃいん!」

冷たい声がしたかと思えば、それにすばやすぎるほど反応した箱を引っ張ってる男の人が、急に手を離した。え、だめ、と思ったときには もう遅くて、私は後ろに倒れると同時に箱を離してしまった。ぎゅっと瞑ってしまったまぶたを開けると、目の前で白い箱が宙を舞って いた。あ、声に出すより前に床に落ちた。しかも、真っ逆さまに。あ、あ、ケーキが、ケーキ。呆然と、逆さまになってしまった箱を 見つめていると、私の腕にふれる手があった。ひんやりとしたその手の温度に顔をあげると、骸さんが心配そうな顔でこっちを見ていた。 開いた口がふさがらない。骸さんの全開のシャツも気にならない、気にできないくらい驚いていて、ショックで、放心状態でいた。お、 落ちた。落ちちゃった。あんなふうになってしまって、無事なはずがない。中身はデリケートなケーキなんだ。骸さんが腕を引いて、 立ち上がらせてくれようとしているのがわかったのに、私は足に力を入れなかった。力が入らなかった。ただ、さっきまで真っ白だった心 に、溢れそうなくらいの感情が押し寄せてきて、それをどう表現していいのかもわからなくて、気付けば涙がこぼれていた。

?どうしました、どこかぶつけましたか?」
「む、むくろさ ん」
「はい?」
「おたんじょ、び、おめでとうございます」

一生懸命笑ったら、頬が引きつって、絶対変だった。涙でぐしゃぐしゃな顔で、私はどんなふうに笑ったのかな。骸さんの顔はぼやけて よく見えないけど、でも驚いた顔をしていたと思う。色んな感情が逆巻いて、壊れそうだ。でも、それだけ言えたのはよかった。自分で 自分を褒めてみて、ゆっくりと立ち上がった。走る気にもなれなくて、ゆっくりゆっくり扉を開けて出て行ったのに、誰も何にも 言わなかった。そんなにさっきの顔、変だったかな。それに驚いてみんな何にも言えなくなっちゃったのかな。それとも私の行動があまり にばかばかしくてあきれちゃったのかな。そうだったらちょっと悲しい。なんで、泣いちゃったんだろう。泣くなよ!せっかく骸さんを 喜ばせたいと思ったしたことなのに、どうしてこう、空回るかな。

?」

背後で声がして、肩が震えた。振り返ったら怪訝そうな顔をしている雲雀さんがいて、私の顔をみたら驚いた顔で駆け寄ってきた。さっき までは、わくわくした気持ちを抱えながら、雲雀さんに見つかりませんようにとこの廊下を駆けたのに、今はどちらかというと、雲雀さん に見つけてもらえて嬉しかった。こうやって心配して駆け寄ってきてくれる姿を見ると、急に、さっきまで堪えていられた涙が堪えられな くなる。
喜んでほしかった。食べてもらえなくたって、喜んでいるような仕草を見せてくれるだけで、私は満足だったんだ。迷惑だと言われても、 こうやって一度も中身を見せないまま、だめにしてしまうよりはよかった。雲雀さんに抱きかかえられながらそう思ったら、よけい涙が 止まらなくなった。

雲雀さんに抱きしめられながらあやされて、それがよけい私の涙を誘って止まらなくて、泣き止んだとき私の意識はもう遠かった。ベッド におろされる感触がして、夢の中に片足をつけているようだと思った。夢の中で、声を聞いた。誰かが頭の撫でてくれる夢。ひんやりと したその手は、骸さんのものに似ていた。

、ありがとうございました。ケーキ美味しかったですよ」

優しい口調で、声音で言われて、私はより深い眠りに落ちているようだ。額にやわらかい感触がして、薄く目を開けたら誰かにキスをされ ていた。それも夢だろうとまた目を閉じた。微かな足音のあと、カーテンが風に揺れている音がわかって、体を起こした。額に手を当てれ ば、微かに温かくて、私はぽとり、また涙を流した。



僕だけのプリマドンナ





20070704