雲雀は、口にこそ出さないまでも、行動からなんとなく私の髪を好きでいてくれていることを知っていた。頭を撫でてくれたり、私の髪を 指先でもてあそんだりするその行為が無意識的に好きだといわれているようで、嬉しかった。私自身も髪の長いことに憧れを持っていて、 どこまで伸ばせるか、なんて少しお遊び気分で自己記録をつくろうと思っていた。定期的に美容院に行っては、長さは変えずにきれいにそ ろえてもらったり、髪の手入れを前より丁寧に行うようになった。髪が肘をくすぐるようになったころ、雲雀にどこまで伸ばすの、と軽く 笑われた。その笑みがあまりに優しくて、私は自然と笑顔になってこう答えた。雲雀が私を好きでいるうちは、切らない。











が僕のために髪を伸ばして、きれいに手入れをしていることは知っていたし、嬉しかった。の髪はやわらかくて手触りがよく、撫でる とするする僕の手を撫ぜて、撫でているはずの手が逆に撫でられているという、不思議でくすぐったい感覚を味わえるのだ。それにの髪 からはいつもいい匂いがして、風でなびくたびに甘い香りが僕の鼻をくすぐる。これはなかなか魅惑的なもので、うっかりふわふわあとを ついて歩きたくなるほどだ。ほかの男も僕と同じように、この香りについて歩きたくなるのだとしたらなかなか不愉快なものなのだが、何 せ僕は雲雀恭弥なわけで、僕の名前に恐れてに近づいてくる男なんて滅多にいなかった。毎日見ているとそんなに感じないものだけど、 の髪はだいぶ伸びて、出会った頃は肩より少し下までしかなかったはずなのに、気付けば色んなところに引っかかるほど長くなってい た。そんな姿も愛らしくて、ある日僕は尋ねた。どこまで伸ばすのかと。彼女は嬉しそうに微笑んで、僕がを好きでいるうちは切らない と楽しそうに告げた。可愛いの髪に口付けすると、くすぐったそうに肩をすくめていた。

だから、が長かった髪をばっさり切ってきたときは驚いた。

驚くどころじゃない。一瞬見間違いかと思って瞬きを数回したものだ。でも彼女の髪の長さは記憶にあるどのよりも短くなっていて、 人違いではないかと思った。に姉妹なんていただろうか。いやいないはずだ、だとしたらこれ、目の前にいるこの女子生徒は確実に僕の であるはずだ。僕が驚きすぎて何も言えないでいると、はなんだか悲しそうに、気まずそうに僕から目をそらした。何があったんだ。 手を伸ばして頭のてっぺんから手を滑らせてみると、すぐに毛先にたどりついてしまう。ちくちくと柔らかく僕の指をつつくこの感触を 僕はしらない。気付けばの肩をつかんで揺さぶって、誰にやられたんだと問いただしていた。それなのにはゆっくり首を横に振って、 うつむいたまま顔を上げてこない。誰にやられたわけでもないなら、どうしてこんなに短いんだ。自分で、自分の意思で短くしたのか? 雲雀が私を好きでいるうちは切らない。楽しそうにそういった彼女の顔が頭に浮かぶ。僕は、まだを好きであることにかわりはない。そ れなのに、どうして。

「どうしたの、雲雀。そんなに驚いた顔して、変なの」

声は震えていた。顔も上げず、そんな声で、何を信用すればいいんだ。僕の中での髪を切った犯人を勝手に想像してしまう。僕に恨みを 持つ群れが、僕の女だという理由から手を出したのか。口止めをされている?さっき否定されたばかりの考えばかりが頭に浮かんで、勝手 に結論付けてしまいだす。いや待て、はちがうといったじゃないか。でも、それ以外にどう考えたらいいんだ。は苦しんでいることは 確かで、泣きそうなことは確かだと思うのに。問い詰めるべきではないのか?でも、でもが悲しんで。

「雲雀は、私の髪が、好きだったもん、ね」

が悲しんでいるとか、が泣きそうだとか、本当は関係ないんだ。僕が悲しくて、ショックで、問い詰めたいだけなんだ。自分の納得す る答えがほしいだけなんだ。そう思って、自分で自分に失望した。こんなときに考えるべきは自分のことでなく、のことだろう。もしか したら聞かれたくないことかもしれない、にとって。の肩をつかんだままだった手をどけて、の頭を抱き寄せた。今の僕にはどうし たらいいのか、わからない。でもは何かに傷ついていて、きっと僕には言いたくないんだと思う。あくまで僕一人の勝手な判断だけど。 問い詰めることはよくないことだ、から言ってくれるのを待とう。首元がすかすかして、毛先がちくちく僕の指に攻撃しているみたい だ。痛くなんてないはずなのに、なんだか痛くて悲しかった。

「ねえ、雲雀」
「ん」
「髪、切ったの」
「そう」
「短い私は、嫌いですか」

ぎゅう、と僕のシャツをつかむ指先はかすかに震えていて、声も震えていて、は泣いているんだとわかったけど、そんなことよりが 独り言のようにつぶやいた一言を理解することに集中してしまった。髪はやっぱり自分の意思で短くしたんだ。でもそのあとの言葉がよく わからない。短い私?何が短いって、そりゃ髪なんだろうけど、どうしてそんなことを聞くんだろうか。そんなはずないじゃないか。確か に残念ではあるけど、僕がを嫌いになるだって?そんなこと、今後一切ないだろうと踏んでいるのに。何を思ってそんなことを言うんだ ろうか。シャツをつかむ手を握ったら、ひんやりと冷たくて、さっきよりも切なくなった。の髪が短くなったことより、が泣いて手が 冷たくなっていることのほうが、ショックだった。ショックというか、悲しい。どうして。

、どうして髪を切ったの」
「雲雀は、私じゃなくて私の髪が好きなのかと、思って」
「僕はの髪がきれいだから好きだったんじゃなくて、の髪だから、好きだったんだよ」

頬に手を添えて、ゆっくり顔を上げさせると、眼を腫らしたのいつもより幼くみえる顔が不安そうにゆがんでいた。これは、ある種の 嫉妬だろうか。自分のものであれ、自分本体とは別のものに好意をもたれていることに対してのジェラシーというやつだろうか。なるほ ど、ある意味僕はの髪ばかりを見て、追ってしまっていたのかもしれない。なんだかとても申し訳なく思えてきて、の頬にできるだけ 優しく口付けてやると、まだ不安そうな瞳が僕のほうをみつめている。髪に口付けることはよくしていたけど、こうして頬にするのは はじめてかもしれない。ごめんねと小さくつぶやいてもう一度、今度は口にキスをするとが不思議そうな顔をする。は髪を短くすると なんだかいつもよりも幼くみえるということが判明した。これはこれで可愛いものだ。

「不安にさせて、ごめん」

幼い顔したが、また顔をゆがめて僕にすがりついてくる。の首元からはまた甘い香りがして、髪とはちがう優しい石鹸に似たにおいが した。髪の毛よりも、いい匂いを見つけてしまった。




綻ぶ色彩


20070804