週に一度、学級日記に書かれる生徒の出欠席を確認するのも僕の朝の仕事のひとつだった。僕が咬み殺した生徒の出欠確認やら、無断欠席 の確認やら、とにかく出欠表から確認できることや気になることをすべて書き取るか覚えていく。そしてある学級の、一人の生徒のところ で目が止まった。月曜日は出席、そのあと四日間は連続で欠席している。病欠、となっているが。ふと気になって先週のページ、先々週の ページもめくってさかのぼってみると同じく病欠という理由での欠席が目立つ。。体が弱いというふうには見えなかった。以前廊下 をすれ違ったときはクラスメイトの女子と楽しそうに廊下を歩いていた。群れの中心とも言える彼女を最初は不愉快に思ったが、偶然にも そのとき僕は急ぎの仕事を抱えていて見逃した。ただ、あとでお灸をすえる必要があるだろうと名前を調べておいたが。今まで忘れてい た。そのときも、少しだけ気に留めたくらいで別にどうこう考えたわけではなく、すぐにという存在は僕の中で薄らいだ。


書類仕事にも飽きて、校内を適当に闊歩してみることにした。途中でうまそうな群れをみつけたら親切に指導してやることにしよう。いい 暇つぶしとストレス解消になりそうだから。群れがみつからなかったら中庭で昼寝をすることにしよう。青葉が今は一番きれいな時期だろ うから、その下で眠るのは悪くない。廊下を歩いて、ふと窓の外をのぞくと太陽に照らされて輝く青葉がさらさら揺れて、まるで僕を 誘っているようだと思った。今日はちょうど空気も乾いていて、風も少しあって過ごしやすそうだ。地面は白い色を見せて、木の根元は 黒い影が涼しげで。そんなことを考えていたらふあ、と少し大きめのあくびが出た。群れをみつけて運動もいいけど、今は早く眠りたい かもしれない。昨日は寝るのが遅かったから、少し寝不足だ。


一階におりると薄暗くて涼しげで、少し心地よかった。外のグランドからは授業の声が聞こえてくる。そんな中で、足音が聞こえた。今は 授業中だ、教師は教員室にいるだろうし、生徒はもちろん授業中だろう。さっそく群れをみつけたか?いや、足音はひとつ。考えているう ちに、足音はどんどん近づいてきて目の前に、人影が見えた。目を丸くして、思わず足を止めたのはお互い同時だっただろうか。こんな 時間にこんなところでふらつく生徒の名は、。カバンを片方の肩に引っ掛けて、これから教室へ行くつもりだろうか。先に動き出した のは向こうのほうだった。いつもなら、一般生徒なら僕を見るとすぐに道をゆずる。僕がそうしろと命じたわけじゃないし、別にそんなこ としてくれなくたって僕の前で群れずにいればたいていのことは見逃しているつもりだ。だけど、色んな生徒が当たり前のようにするその 行為を目の前にいる女子がしなかった。ただ、それだけ。それなのに僕は驚いて、呆気に取られた。


「ねえ」


気に食わなかった。ちがう、こいつは別に僕より強い自信があるだとか、僕を誰か知らないだとか、そういう理由で道をゆずらなかった わけじゃない。道をゆずろうかという迷いは一瞬みられた。だけどそれをしなかったのはこの女子があるひとつの覚悟を決めたからだ。僕 に殴られても構わないという覚悟だ。むしろは僕に殴られることを望んでいる。それがなぜか、わかってしまったんだ。だからこそ なんだか腹が立った。僕の根拠のない勘はどうやら当たっているようだ。僕が小さく小さく声をかけると、彼女は早すぎるくらいの反応を してくれた。足を止めて、そのままぴくりとも動かなくなった。


「どこ行くの?」
「職員室へ」
「今は授業中だよね、遅刻の理由を聞こう」
「きたくなかったんです、学校」
「君はいつだって楽しそうに見えた。僕が不愉快になるくらい」


拳を握る手に力がこもるのが目に見えてわかった。そしてゆっくりと戸惑うように振り返ると、まだ迷いのあるような目でこちらを見上げ てくる。少なくとも、なんてもんじゃない。十分な恐怖を感じているというのに、それに屈さず耐えているのは何のため?決意やら勇気や らとは少しちがう、おかしな覚悟。何も言わずに、ただこっちを見上げてくる瞳は、できるだけ恐怖の色を出さないように耐えているよう だけど、ぬぐいきれない不安が色を強くする。そんな彼女に目を細めると、一歩ずつ、できるだけゆっくりと彼女に歩み寄った。ゆっくり にしたのは焦る気持ちがあったからじゃない。彼女の不安を、煽るためだ。案の定彼女はびくっと震え、それをまるでなかったことにする かのように僕をにらんだ。もっとも、その目に覇気はない。


パシンという音が静かで薄暗くて、少し湿った空気を漂わせる廊下に高く響いた。


「殴られたかったんだろう?」


驚いたかのように見開かれた瞳。左手で自分の左頬にゆっくりと触れ、それからこっちを振り返る。その瞳にはまだ何も写しだされてはい ない。右の腕をぐっとつかんで引くと身を固くしていたはずのはいとも引き寄せられてくれて、不思議そうに、おかしなものでも見る かのように僕の顔を見上げてくる。僕は息を吸って、できるだけ低い声で話し出した。


「君は草食動物たちと親しいふりをして、心の中では蔑んでいたんだろう。理解していた、自分はちがうということに。そして退屈してい た。どこにも自分を満足させられるような人物はいないから。だから登校でさえ億劫になり、ひとりで過ごすことの居心地よさを感じてい た。それでも学校というところは登校を義務付けられている。だから、僕を選んだんだろう?殴られて病院送りにでもなれば、学校への 登校が不可能になれば、と。しかも僕に殴られるということは学校側も何も言えない。問題を大きくしないまま、君は優雅に病院での生活 を楽しめるというわけだ」


言い切ると、おかしな達成感やら優越感やらがどっと僕に押し寄せて、自然と口角はつりあがった。


「ひどい、言い方をするのね」
「間違っているかい?」
「 いいえ 」


彼女の声は、驚きすぎてふぬけたように間抜けで、まるで僕が洗脳しているようだと思った。それでも彼女の瞳はゆっくり彼女の色を取り 戻して、そこに強い意志すら感じさせる。たのしいおもちゃをみつけた気分だ。


「あなたも、退屈していたのね。雲雀恭弥」
「新しい "友達" ができて嬉しいよ」


自分で自分に笑った。もう逃げられない。君は僕の友達という名の、ただの醜いおもちゃだ。少しでも僕を退屈させたらすぐに壊してしま うことにしよう。それを承知で、嬉しそうな顔をする彼女が少し、憎かった。





瞳にうつる世界


20070831