俺にはとても美しく、とても壮美で、とても賢い恋人がいた。彼女の夢は警官だった。自分の大切な故郷を自分の手で守りたいんだといっていた。俺の仕事と彼女の夢は、相対しているといっても過言じゃない。マフィアのボスと未来の警察が恋人同士というのはどう考えても問題だった。だけど言い訳をさせてもらえば、俺はの夢を知らなかった。そして俺は自分がマフィアのボスということを隠していた。隠していたというよりも、聞かれなかったから言わなかった。俺たちは導かれるように出会い、そして結ばれた。それを疑わなかった。運命か何かだと思っていたんだ。彼女の夢をはじめて聞いたときだってそうだ。相対した仕事を目標とすることが、むしろ運命のいたずらのように感じて仕方なかった。俺が自分の仕事を打ち明けたとき、は終わりにしようと告げて、俺の前から消えたときがあった。自分は夢を捨てられない。ごめんなさい。そう言って。俺はを引き止めなかった。どう声をかければいいのかわからなかった。そのとき俺ははじめて運命を疑った。俺よりも夢を選んでいってしまった彼女を恨んだ。恨んだつもりでいた。だけど本当はが行ってしまったことが寂しくて寂しくて仕方なかったんだ。その半年後、彼女は一つのトランクケースを抱えてたずねてきた。あなたよりも自分の夢を選ぶことはできなかったと。神は俺を裏切らなかった。俺は運命を確信したんだ。俺たちは共有の夢を持つことにした。二人で幸せになること。


が戻ってきて、少し落ち着いたころだった。同盟を結んでいたあるマフィアが、うちの部下を殺した。当然うちのファミリーは怒り、どういうことだと相手を問い詰めたが相手のファミリーはそれに答えなかった。俺はなんとしても戦い争うことを避けたかった。まだボスになって1年と少ししか経っていないころで、戦力を欠くことはどうしても避けたかったんだ。だから話し合いの場を何度も設けようとしたが、相手はそれに応じなかった。戦いはやむを得ない事態となってきていたんだ。マフィア同士の戦というのは俺にとってはじめてで、何をやるにも手探り状態だった。のちにわかったことだが、殺された俺の部下は、実は相手のマフィアからのスパイだったらしく、殺したのは手違いだったらしい。俺は家に長く戻れない日が続いた。たまに帰ると彼女は笑顔でむかえてくれた。そんな彼女に俺は笑顔を向けることもできなかった。本当に余裕がなかった。部下のことをどうしたら守れるか考えることに精一杯で、彼女のことを守るという俺の一番大切であろうことを、考えられなかった。ある日、大量の書類を家に持ち帰って頭を悩ませていたときだ。コーヒーを持ってきてくれた彼女になんの言葉もかけないで書類にただ向き合っていた。そんな俺に向かってはこう言ったんだ。「ディーノ、あなたが遠い人に見えるの」聞こえていたはずの言葉。それに俺は何の反応もしめさなかった。聞こえていた。だけど、聞こえていなかったんだ。



翌日のことだった。頭が真っ白になった俺が、ただ、立っていた。白いベッドに横たわる彼女の体。顔には白い布がかぶせられていた。「ボス、顔の確認を」部下の声が聞こえた。静かな部屋に響いて、俺の耳でも響いて。自分の体なのに、動かせなかった。動かしたくなかった。確認なんて、できるはずなかった。顔を見ていない、まだ今は、彼女じゃないと疑っていられる。顔を見てしまったら、俺は。は。


「誰が、だれが、だれがこんなことを…っ!」
「彼女、本人だよ」


小さく告げたロマーリオは、女の体を覆った白いシーツを少しだけめくり、青白い左手首をとりだした。そこには、彼女の手首に負けないくらい真っ白な包帯が巻かれていた。「自殺したんだよ」が。がどうして。そんなはず、ないだろう。俺の目はただ、白い手首をみつめるしかなかった。その手首は人形のように青白くて、これは何かの冗談なんじゃないかと思った。人間の腕がそこまで青白くなるものだろうか。こんなに細い。つかんだら折れてしまいそうなほどに。


「ちがう…」
「え?」
「これはじゃない」
「何を…!?」
の手首は、こんなに細くないはずだ!」
「じゃあよく見ろよ!」


ロマーリオは勢いよく顔にかかっていた布をとった。そこにあったのは、青白い顔をした。その顔は痩せて肉が落ちていた。どうして、こんなに痩せているんだ。いつからだ。最近みた彼女の顔を思い浮かべようとしても、浮かんでくるのは事が起こる前の彼女の顔。こんなにも痩せこけていなかったころの、笑顔。何ヶ月も前の顔しか浮かんでこない。何ヶ月俺は、彼女の顔をまともに見ていなかったんだ。を殺したのは、俺だ。俺が彼女を追い詰めたんだ。は自分の夢よりも俺を選んでくれたというのに、俺は彼女よりも仕事を選んだんだ。彼女なら何をしたってそばにいてくれる自信があった。運命だと思っていたから。だけど、そんなの、ちがうだろう。俺は彼女を信じていたわけじゃない、運命を信じていたんだ。ひどい、こんなの、ひどすぎる。彼女はいつだって俺を信じてついてきてくれていたのに、それなのに、俺はどうだ。運命やら、神やら、俺が一番大切だったものはそんなものじゃない。俺が守りたかったのは、だったというのに。昨日の言葉。昨日はちゃんと聞いていなかった言葉が急に浮かんだ。あれがもし、のサインだったのだとしたら。俺へのSOSだったのだとしたら。あれだけじゃないのかもしれない。今までのいろんな言葉、行動が。彼女は俺に伝えようとしてくれていたんじゃないのか。それを、俺は気付かなかったなんて。最低だ。俺はお前を愛していたよ。これでも、俺は。言わなくても伝わると思っていたんだ。言葉なんてかわさなくたって伝わるって。不確かなことを信じていた。そんなのただの俺の身勝手な判断だ。言葉よりも大切なものはきっとあるんだ。でも、だからって、声に出して言わなきゃいけないことだってあったはずだ。俺はそれをひとつもいってやらなかった。昨日のコーヒーくらい、ありがとうって言えばよかった。


「ごめん、ごめん、ありがとう、側にいてくれて」


に口付けをしたら、俺の目から涙がこぼれて、それがうまい具合にの目尻に落ちてそれが頬を伝った。まるでが泣いているみたいだった。





優しさの

あの日君が言いかけて止めたあの言葉 今聞こえて来たんだ "I'm in you "



20070301(relic)