「わたし、好きな人ができたみたい」

その顔は希望に満ち溢れて、耳にした言葉のすべてがまるで神か天使がこの世界はなんて美しいんだろうとでも言っているかのように錯覚 しそうなほど、きれいな顔をしていた。その顔立ちのことを言っているんじゃない。とても優しく微笑む姿は自然と相手も幸せにしてしま いそうな威力をこめていた。だけど俺がその笑顔を見ても幸せになれなかったのは、が口にしたのはこの世界を褒める言葉なんかではな かったからだ。

「好きな、人…?」

言うまでもなく、俺はが好きだった。なぜだかカップルが急激に増えだした最近の女子の口癖は、恋がしたいだった。彼氏がほしいとい う女や恋がしたいと口にする女はたくさんいたが、切なげな顔をしてため息をつく女はこいつくらいしかおらず、そんなの姿に俺は恋を した。が気になりはじめて声をかけると俺たちはすぐに仲良くなった。あとから聞いた話じゃ俺がに恋をした頃合いにちょうどは 失恋をしていたらしい。それからはもう恋なんて当分するものかと言っていたくせに、俺の努力の賜物か最近では恋もいいかもと思うよう になっていたらしい。ある日を境に「恋がしたい」と口にするようになった。これを逃す手はない。なんとか俺に惚れてくれねぇものかと アプローチをしてみたものの、はそれにまったく気がつくこともなく時間ばかりが過ぎていった。ゆっくり、俺と一緒にいる時間を 当たり前に思ってくれればいいか、と思っていた。しかし今日、そうも言っていられないようなことが起こった。好きなやつができた。 好きな女の口からそんな言葉を聞かされてみろ。俺はもう絶望したなんてレベルじゃない。

「D組の遠藤くんなんだけど、なんか、好きかもって」

その名前を聞いて、俺はすぐにピンときた。と遠藤の話すきっかけをつくったのはたぶん俺だ。なぜなら遠藤は同じ野球部の友達で、 二人が自己紹介をしあった場面に俺は居合わせていた。というか、俺とが廊下でしゃべっているときに俺の姿をみつけてかけよってきた のが遠藤で、そのときに二人は初めて出会ったんだ。出会ったなんて言い方をするとまるで運命の出会いのようでなんだか不愉快だが、た とえばこれが本当に運命の出会いだったのだとしたら、俺はキューピッドか?冗談じゃない。ずっと好きだったやつを簡単にほかの野郎な んかに渡したく、ない。

「でも、なんていうか、彼氏にしたいっていうんじゃないんだ。遠藤くんを見ているだけで、幸せになれるっていうか」

今まで見たことのないくらいにきれいな顔をしていて、憎らしくなるほど可愛い笑顔だった。こんなに優しい顔をしているくせに、頭の中 で思い浮かべる相手が俺じゃないって、これはなんて拷問だろうか。やりきれないもどかしさを抱えながらその顔を見ていると、言葉を 聞いていると、思わず作り笑顔も忘れて自然と険しい顔になってしまう。それを直す方法も忘れてぐるぐる渦巻く気持ち悪い感情を味わ っていると、が急に言葉をやめて俺の顔をみて驚いたような顔をする。そしてすぐに悲しそうな、申し訳なさそうな顔をするんだ。遠藤 はこいつを笑顔にさせられるのに、俺はこんな悲しい顔しかさせられねんだ。

「ごめんね!私さっきから、自分のことばっかり。こんなこと話せるの、山本くらいしかいなくて」

信頼されているってことがわかるのに、喜べないのはどうしてだろう。そして、この恋を邪魔してやろうという気も起きないのはなぜだろ う。のこんな笑顔を見ていると、壊したくないと思えてくるんだ。だからって応援もできなくて、もし遠藤とが付き合いだしたらと 考えると狂ってしまいそうになる。昨日までのを返してくれよ。もう両思いなんて望まないから、せめて俺以外の男を好きになるなんて むごいことだけはやめてくれよ、神様。

「俺と遠藤、どっち取る?」

考える前に口に出た言葉に俺とはお互いきょとんとしてしまった。こんなこと、聞いてどうするんだ。を困らせるだけだろう。訂正の 言葉も思いつかずに唖然としたままでいると、は俺より早く言葉を飲み込めたように普通の顔をして、ちょっとだけ困ったみたいに笑う んだ。

「山本」

それは俺の前での遠慮だったのかもしれないし本当の気持ちだったのかもしれないし、そんなの確かめようもないことだけど、当たり前だ ろうみたいな顔をして言うがどうしようもなく好きで、たまらないんだ。俺を小ばかにするようなこんな笑顔でも、さっきの優しい微笑 みより何倍もうれしい顔なんだから、しょうがない。





望まれた不幸せ


20071103