You are poor at telling lies(仮)




“On beharf of all Alitalia Air line employees,We`d like to thank you for selecting us today.
We hope you enjoy your flight!―――”

 機内挨拶を意識の遠くで聞き流しながらバッグの中をまさぐる。無い。やっちまった、と思わずため息をついた。仕事用にと先日購入したばかりの万年筆が見あたらないのである。
 いささか気は引けたのだが、既に膝の上に雑誌を広げて、意識をそちらに向けているの肩を軽く揺する。思っていた通り、己の集中を妨げられたことで少しばかり機嫌を損ねたのであろう、は口をへの字に曲げたまま俺のほうへ身体を傾けた。予想はしていたものの、恋人に嫌な顔を向けられるというのはあまり喜ばしいものではないと痛感しつつ、苦笑する。
「なに、ディーノ」
「悪い。万年筆持ってないか」
「万年筆?ボールペンなら持ってるけど…」
 言い終わらないうちに、は自分の携帯用ポーチから素早くボールペンを取り出し、俺の手元に差し出した。
「ありがとな」
 間を置かずそれを受け取る。手短に礼を言うがいなや、すぐさまバッグから山のような書類の束を取り出す俺を横目で見やり、はあれほどまでに熱心に読み耽っていた雑誌を閉じて、複雑そうな顔をする。
「また仕事?」
 声色にさほど変化は見られない―というよりも、彼女が意図的に隠そうとしているのだろう―が、俺はすぐに彼女が拗ねているのだと気が付いた。
(……本当にこいつ、可愛いな)
 不謹慎ではあるものの、人前では滅多に弱みを見せないのやきもきする姿が、俺はとても好きだった。普段は甘え下手な彼女がふいに垣間見せるこういった一面は、俺の目にとても魅力的に映る。大の男の心を掴んで離さないほどの ギャップを、計算せずに―しかも俺にだけは惜しみなく―見せつけてくるというのだから、本当に女の威力とは計り知れないものだ。
 抑えようと必死になりつつも、胸の奥深くから湧き上がる愛しさに、どうしても頬は緩んでしまう。
「何笑ってるのよ?」
 その一声ではっと我に返り、すぐさま顔を横に向ければ、不思議そうに首を傾げたがこちらをじっと見つめていた。知らず知らずのうちに情愛の念に浸っていた自分を照れくさく感じ、少なからず動揺してしまうのは当然のことだろう。
「え?あ、いや。悪い、なんでもねえ」
 そう取り繕いはするが、どうにも納得し難いといった色は拭いきれていないようだった。怪訝そうな視線を向けられ居た堪れなくなった俺は、ようやく口元をきゅっと結びなおし、書類に目線を落とす。
 横からの視線をひしひしと感じていたが、心中で密かにすまんと詫びることこそしたものの、視線は下に落としたまま活字をせわしなく追うばかりだ。正直、今は一分一秒という時間すら惜しい。
「…随分溜まってるみたいね、仕事」
 平坦なトーンで紡がれた言葉。瞳は彼女を捉えられないため、せめてもの配慮として、より聴覚を研ぎ澄ませ彼女の言葉に耳を傾ける。しかしながら、さすがに耳だけで彼女の表情と心境を汲み取ることは難しい。
 俺は顔を上げ、なるべく自然に、わざとらしくない程度の微笑みをつくる。
「まあ、そんなでもねえんだけどな。すぐ終わらせっから」
 そう言っての頭に左手を置くが、彼女は何も言わず、ただ黙って拗ねた顔のまま口を尖らせている。どうやら瞬時に、俺の向けた笑顔に嘘を見出したようだった。驚きはしない。彼女の洞察眼や勘のよさは重々承知の上だからだ。
 だがは聡い。表情で堂々と本音を晒し出してはいるが、それ以上探ろうとはせず、先ほど閉じた雑誌のページを静かに捲り始めた。不審に思いはしても、むやみに理由を尋ねたりしないところが彼女の賢いところであり、そしてそんな の賢さに俺は何度となく救われている。
 申し訳なさと不甲斐なさを噛み締めながら、ごめんな、と小さく呟く。返事は返ってこない。
 困り果てた末、天を仰ぐようにして額に手を当て瞑目した。
(…イタリアに着いたら、好きなだけこいつの買い物に付き合ってやろう。欲しい物なら何だって買ってやろう。)
 そう密かに心に誓った俺は、再度書類に目を落とそうとした。すると、見計らったかのようなタイミングで戻ってくる返事。その言葉には、楽しげな表情が見え隠れしている。
「………ミラノに着いたら、毎日ジェラート」
――――参った。
 俺は一瞬面食らったのちに、やれやれと苦笑いを漏らす。愛しいお姫様の我侭だ、頷かないわけにはいくまい。
「どうぞ、姫の望むままに。」
 背けられた彼女の顔に、笑みが浮かぶのがわかった。


You are poor at telling lies
(080921/ディーノ)