愛してほしい日々
 ほんの一瞬の鈍い音がして、その後に続くのは耳をつんざくような音の連続だった。優介の怒りのはけ口にされた金次は今、粉々に砕けた花瓶の欠片たちと同じように、無残に床に蹲っている。
「ぼ、坊っちゃ……」
「へえ、口答え?金次のくせに生意気だね」
 きっと喉が詰まっていたのだろう、しばらく懸命に荒い呼吸を繰り返していた彼が、次第に息を整えようやく発した言葉にも関わらず、むしろ優介はそれを嘲るかのように彼を黙りこませた。優介の装いは制服のままで、その白くてなめらかな足を包むローファーは容赦なく金次の腹部を蹴り上げ続けている。
「…なんだよ、おまえも俺に文句あんの」
 低く唸るような声。ゆらりと顔をあげてこちらを見た優介の目はどこまでもほの暗く淀んでいる。この部屋の中にいるときの彼はいつも腐りきった果実のように生気のない表情をしていたけれど、こうして何かに当たり散らしている時は余計に、その毒々しさは増すのだった。
 床に倒れたままの金次の顔がこちらに向いて、私は、自分が手をかけられたわけでもないのに、まるで喉を絞められたような感覚に陥り、呼吸を繰り返すのに必死になる。
「そんなに、きにいらないの」
 唇からこぼれたそれは、情けなくなるくらいに頼りない声だった。
「当たり前だろ。なんで俺があんなクソ女のためにこんなことしなきゃ…なんねーんだよ!」
 荒げられた声と、派手に椅子を蹴り飛ばす音が部屋に響いて、私はまた耳を塞ぐ。何度聞いても慣れないのだ、この嫌な音には。
 優介の瞳はいつだってあかるい光を灯してはおらず、まるで獣のようにぎらぎらとしていたけれど、暴力を振りかざすときだけは、どうしようもなく泣きそうな顔をする。そして次の瞬間には、己の心の揺れを振り払うかのように、周りのものに乱暴に当たり散らすのだ。
「優介」
 振り返る彼が、どんなに荒みきった目で私を睨みつけても、恐怖は感じない。ただ、どこまでも悲しいだけなのだ。うつくしく整った顔を憎悪に染めて、その綺麗な細い指であらゆるものを壊してゆく。時には人間にも手をかける。それは、ひどく悲しいことだ。
 彼はただ愛してもらいたいだけだった。何もかも手に入れてさえ、なにひとつ満たされないだけだった。旦那様に見向きもされなくとも、奥様に邪険に扱われても、それでもあの日から、彼はずっとそれを求め続けている。
(私はあなたを愛しているのに)
「ねえ、ゆう、すけ」
 彼は、泣き出しそうに歪められた顔で私を見下ろした。
「うるさい」
 振り上げられた手が下ろされる瞬間、私はまた諦めとともに瞼を閉じる。



愛してほしい日々(110322)