(※20〜23才ぐらいのM・Mちゃん設定です。) まず目についたのは彼女の髪だった。 耳下あたりで均等な長さに切り揃えられていた後ろ髪が今は肩甲骨の半ばほどまであり、彼女が顔をあげると、長く伸びた髪が一房、はらりと胸元へすべり落ちた。大きくて凛とした瞳が私の姿を捉える。 「久しぶりね」 彼女の座るテーブルの側に立つと、上品な微笑みが返ってくる。本来の勝気な性格にそぐわぬ、しとやかで品のある物腰、鉄壁なる外面の良さは相変わらずだった。 「ほんと。もう何年ぶりかしら」 自分も椅子に掛け、ウエイターに注文を告げる。そして改めて、カップに口をつけるM・Mを真正面からまじまじと見つめる。 ―――綺麗になった。 数年を経て久々に再会した友人に対し、まず抱いた素直な感想はそれだった。彼女はあの頃より確実に美しく成長している。形よくカールされた睫毛や、薄く色の置かれた唇は当時と変わらぬが、長く伸びた艶やかなセミロングヘア、以前よりも幼さが抜けた顔立ちと雰囲気といった成長ぶりには、目を見張るものがあった。 「……綺麗になったね」 「当たり前でしょ?いくら時間と金をかけてると思ってるのよ」 そうだったね、と破顔する。彼女の美へのこだわりは相変わらずのようだ。 「元気そうで何よりだわ」 「おかげさまで」 と、そこで頭上から降ってきたウエイターの控えめな声で、会話は自然と中断する。彼の持つトレイの上には私の頼んだドリンクが乗っていた。 ごゆっくりどうぞ、と一礼する彼に軽く会釈を返し、次いで目の前に置かれたクリームソーダを見、私は顔をほころばせる。その年齢でこれを頼むのはさすがに幼いのでは――そう幾度となく知人に指摘されてはきたが、私は当分このドリンクから離れられそうにないのだった。 「そんな毒々しいの、よく飲めるわね」 ミルクティーの注がれたカップを両手で包みこんだM・Mは、薄汚いものでも見るかのように顔をしかめた。認めるのも癪に障るが、苦々しげなその仏頂面ですら、彼女の持つ花のような美しさを崩さない。 「あのねえ。人の好きなものをけなすのはやめてって、昔から言ってるでしょう?」 僅かに身を乗り出して、負けじと言い返す。たしなめるつもりで発した言葉だったが、それは自身も戸惑うくらいに穏やかな声色となって二人の間を浮遊し、やわらかな余韻を残して空気に溶け込んだ。 彼女の刺々しい物言いや振る舞いに対し、元よりあまり好意的な感情は抱いていなかったが、数年という空白の月日がそうさせるのか、そんな辛辣さにすら感慨をおぼえる。 私がふと些細な用件を思い出したのは、M・Mの前に小さなレアチーズケーキの皿が運ばれたのとほぼ同時だった。 「あなたを紹介してほしいって人がいるの」 「誰?」 「うちのファミリーの幹部。マルチェロっていうの」 「ふうん」 「相当な美形さん。王子様って評判の。ファミリー内なんてもんじゃないわ、街の人の間でもちょっとした有名人よ」 「そう…」 ――――? 心ここにあらずといった返事に顔をあげると、目の前のM・Mは、自分の爪に丁寧に塗られた鮮やかなカーマインを眺めていた。その表情に浮かんでいるのは「退屈」の二文字であって、この話題に対する興味の薄さが存分に窺える。人の言葉を聞き流しているのが丸わかりな、それでいてなお悪びれることを知らないこの態度。つくづく自分に正直な女性である。 本来ならいささか気分を悪くする場面だろうが、長い付き合いの賜なのか、それらにいちいち腹を立てることもなくなった。指摘するなど馬鹿馬鹿しく思え、―何故なら彼女は決して自分の非を認めようとはしない人間だからだ―彼女の欠点について触れることはとうの昔にやめている。 M・Mは緩慢な動きでこちらに身体を向け直し、そこでふと思いついたようにぽつりと呟いた。 「そいつ、どれぐらいお金持ってた?」 「…さあ…マフィア基準で考えるなら、ごく普通くらいじゃない?」 「ならお断りね」 さらりと即答したM・Mは、今度こそ本当に興味をなくしたようで、手元に引き寄せたチーズケーキにフォークを入れ始めた。底に敷き詰められたビスケット生地が香ばしい音を立てて崩れる。 はじめから興味などこれっぽっちも持っていなかったくせに。そう言いたくなる衝動を押し殺して、自分もクリームソーダの底に沈んでいたチェリーをつまんで、口の中に放り込んだ。 何の惜しみも情もなく物事をばっさりと切り捨てる彼女はとてもしたたかで、氷のような美しさと鋭利さを併せ持っているけれど、私はそれを一度さえも羨んだことはない。彼女と私は根本的な部分から違うのだ。 「普通程度なんかごめんだわ。やっぱり骸ちゃんが一番ね」 骸、というその言葉を発するとき、彼女を常に覆っている冷たさは和らぎ、そして微細ながらもあたたかく穏やかな、甘いものと変化する。 彼がいかに財ある人物なのかは知らなかったが、金をこよなく愛すM・Mが執着するだけのものと考えれば、その裕福具合は容易に想像がつく。しかし、彼女が骸に執着する理由が決してそれだけではないことを、私はとうの昔に知っていた。 「でも、結局」 組み合わせた両手の上に顎をのせ、目の前の少女に挑戦的な笑みを向ける。 「告白できないまま今に至る、と」 ぴたり。華奢な身体が一瞬硬直する。ビンゴ、だ。取り繕うようにして自然体を装ったところでもう遅い。私は口元に浮かぶ笑みも隠さずに追い討ちをかける。 「図星か」 「………」 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながらも、否定の言葉を口にしないのが何よりもの証拠である。彼女は決して私に嘘をつかない。何故なら彼女は、嘘というものを人一倍毛嫌いしているからだ。 「……うるさいわね。どうでもいいでしょ、そんな事」 自分の顔を隠すようにして頬杖をつき、眉間に皺を寄せて不機嫌さを装ってはいるものの、穏やかで甘い空気は依然として彼女の側にある。答えは明白だった。 予想していたよりも遥かに正直な反応がとても可愛く思えて、私は口の端をさらに吊り上げ、笑みに込めたからかいの色を濃くする。M・Mは悔しそうな表情でこちらを睨み付けていたが、がんとして楽しげな顔を崩さない私に根負けしたのか、ぷいと目線を窓の外へ移した。 「…相変わらず。あんたのそういう勘のよさは」 「勘なんかじゃない。これは確信よ。だってれっきとした事実だもの」 「何よそれ、無茶苦茶」 「そういうM・Mは大人になったんじゃない?15の時に比べると」 「15?」 符に落ちない顔をして首をかしげる様子に呆れつつ、ひらひらと手を動かしながら続ける。 「覚えてないの?あなたに思いっきり水をかけられたあれよ」 途端に彼女はさっと顔色を変えた。当時の場景を思い出したのだろう。そりゃあそうだ。忘れているほうが不思議なくらいなのだから。 数年前のほんの一時だが、私たちは数人の少年と行動を共にした時期がある。 私はリーダーの骸という少年―もっとも、今となっては立派な青年なのだろうけれど―に淡い想いを寄せており、それが原因でM・Mと仲違いした時期があった。そんなある日、言い争いの末に頭に血がのぼった彼女に冷水を浴びせられたことは今でも忘れられない。 「…昔のことでしょ」 「“私が一番骸ちゃんを好きなのよ!”だっけ?」 「…その先言ったら、また水ぶっかけるわよ」 「わあ、怖い!」 からかいの言葉なら尽きぬほど浮かんだが、それらは全て胸の内に留めておくことにする。口にしたらおしまいだ。今度こそ彼女に水を浴びせられかねない。 「そういうあんたこそ、まだ骸ちゃんのこと好きなんじゃないの?」 M・Mはいつもの本調子を取り戻したのか、冷ややかな眼差しでじろりとねめつけてこう言った。 やれやれと大袈裟に肩をすくめ否定の意を表するが、疑いをさしはさんだ瞳は揺るがずに私を見つめている。 彼を想っていたことは紛れもない事実だが、しかしそれはあくまで過去の話だ。長らく会えずにいたことで彼への慕情は次第に薄れていき、巡る季節は彼を思い出に変え、そして思い出はだんだんと劣化していった。今思えば、あれは本当にささやかで淡すぎる恋だったのだ。 「本当にもう好きじゃないったら」 手元にグラスを引き寄せると、透き通った緑の中で泡がはじける。氷がカランと澄んだ音を立ててぶつかりあう。 「…まあいいわ」 彼女はようやく信じてくれたようだった。眼差しに込められた鋭さが幾分か緩和されている。 そしてその目を静かに伏せ、椅子の背もたれに身体をあずける。木でつくられたアンティークらしいそれは、ぎぎぎ、と大きな音を立てて軋んだ。その椅子に詰まった時間と歴史を感じさせるような、低く重厚な音だ。 「……今頃何してるのかしら」 「さあ。けど意外だったよね、まさかあのボンゴレに肩入れするなんて」 「本当、骸ちゃんってわけわかんない」 カップの取っ手の滑らかなラインを、M・Mの指の腹がなぞる。薄い爪の上で艶やかさを放つ真紅は、光を受けるたびに輝きの色を変える。不安定にうつろうそれは、彼女に最も似合う色に思えた。 「……骸に、会わないの?」 私は躊躇いがちに尋ねる。俯きがちに言葉を発したため、目の前のその表情は見えないが、狭い視界の中、彼女の爪が自身の左の手の甲に強く食い込むのがわかった。 「…一年前に一度だけ。でも、もう会いたくないわ」 私は思わず顔をあげる。しかしM・Mはそれだけを呟いて口をつぐんでしまった。 まさか、もう既に彼と会っていただなんて。 予期せぬ事実は少なからず私の中に衝撃をもたらした。しばしの沈黙が流れる。 一度は黙りこんだM・Mだったが、思わぬ返答に面食らっている私を見て、寂しげな面持ちで再度口を開いた。 「…私はね、骸ちゃんのあの目が好き。骸ちゃんに見つめられるたびに、ああ、私はどこまでもこの人に見透かされている、と思ってた。けど、気付いちゃったのよ。あの目は、‘はじめから何も見ていない’」 彼女はそこで一度言葉を切る。私はただじっと彼女を見つめている。 「、あんたもわかるでしょ?あの冷たくて、何よりも綺麗な目。私はずっと馬鹿みたいに勘違いしてたの。見透かされてるだなんて、そんなの。骸ちゃんの目にはなあんにも映ってないわ。あんなに美しいのに、蓋を開けてみればからっぽなの」 なのに。小さな声でそう呟き、M・Mは心底悔しげな表情で唇を噛み締めた。 「なのにあいつ――ボンゴレは違うのよ。骸ちゃんはきっと、あのボンゴレ十代目とかいう奴によっぽど興味があるのね。利用するためだとか言ってるくせに、そいつのことを話すときの骸ちゃん、すごく楽しそうだった。私が今まで見たこともないくらい……想像もつかないくらい綺麗な光のともった目をしていたわ。私がずっと焦がれてやまなかったものを、骸ちゃんは別の人間に向けてるのよ」 そこでM・Mは満足したのか口を閉じ、静かにミルクティーを喉に流し込む。 長い間一人で抱えていたであろうやり場のない想いをを表に出せた解放感からなのか、先ほどよりもずっと晴れ晴れとした顔で彼女は笑っていたが、それに対し私は複雑な思いを拭いきれず、苦い顔を浮かべることしかできない。そんな様子を見かねてか、彼女は私を安心させるような明るい声を出した。 「ああ、やだやだ。私、こういう空気嫌なのよ。だからそんな顔しないで」 彼女は、先ほどまでの憂い顔が嘘だと言わんばかりの勝気な笑みを浮かべている。 「馬鹿ね、誤解しないで。あんたさっき、私が骸ちゃんのことを今でも好き、みたいなこと言ってたけど、それはノー。そりゃあ未練がないって言えば嘘になるけど」 それに何よりね。 「私は、私のものにならないものなんて、いらないわ。私の魅力に見向きもしない骸ちゃんなんて大嫌い。ましてや、私以外の別のものを見てる奴なんて、こっちから願い下げってくらいよ」 そう言って彼女は、大きく開かれた愛らしい瞳を片方だけ閉ざし、器用にウインクをひとつしてみせる。 傍若無人な言い分と開き直ったその態度に、私の口元は次第に緩み、そしてとうとう声をあげて笑う。 「ほんと変わってないね、その考え方!」 そう、あの頃とまるで変わりない。独占欲が強く我儘で、プライドの高い女の子。 「当然よ。これは死んでもまげる予定はないわね」 私につられて、M・Mも笑顔を浮かべる。久々に見る無邪気なその表情は、悪意も狡猾さも人を見下す色も見られない真っ白なものだった。こうしていれば、彼女だって年相応の可愛らしい普通の女の子だというのに。 「…それ」 と、彼女の視線が私の左手首に注がれていることに気が付いた。厳密に言うならば、私の手首に巻かれたミサンガに。 「覚えてる?お揃いで買ったの」 「あんたが無理矢理買わせたのよ」 「いいでしょ、友情の証ってやつよ。一度くらいやってみたかったのよね、親友とのお揃い、って」 軽く掲げてみせ、呟く。 マフィアという、一般の人間とは大きく逸れた道を歩んできた私たちは、普通の少女たちが当たり前のように経験しているであろう年相応の遊びをほとんど経験していない。流行などとはまるで縁のない子供だった。否、そうならざるを得なかったと言うべきか。 「まだ持ってる?」 これ。ほつれかけた箇所の見受けられるくたびれたそれを指しながら問う。 「あんなダサいの、持てるわけないじゃない」 綺麗なものを好み、汚いものを忌み嫌う彼女のことだ。何年も経ちぼろぼろになったものなど、もうとうの昔に処分しているのだろうと予想はしていたが、少しの思い入れすら感じられないその言葉に寂しさを覚えてしまう。 息を吐いてもう一度ミサンガに目を落とす。同時に、その手首に同じく巻かれた腕時計の刻む時刻が目に入り、私は慌てて顔を上げた。 「ねえM・M、そろそろ買い物に行かない?このままだと、日が暮れるまで思い出話になっちゃうわ」 視線でそれに頷き立ち上がったM・Mに続き、私もバッグの中に手を入れ、財布を探しながら席を立つ。彼女に割り勘などといったものは通用しない。昔の彼女曰く、“誘ったほうが払うなんて当然でしょ?”―だ。M・Mと外出先でお茶をした場合、大抵は私が伝票を握るはめになるのだった。 しかし、今日は違っていた。 「、いいわ」 M・Mが財布を取り出そうとする私の手を制し、代わりに自分の手にしたバッグの中から革の財布を取り出したのだ。 「あら、お金に目がないM・Mさんがどういう風の吹き回し?」 私は彼女がこちらに背を向けているのをいいことに、含み笑いはそのままに、しかし彼女の機嫌を損ねぬよう最低限の注意をはらいながら尋ねる。 「私だってあんた相手に金をたかったりはしないわよ。ほら、伝票かしなさい」 その声は先ほどよりも若干荒さを増していたので、恐らく彼女は私のからかいの意を感じ取ったのだろう。 未だかつてない良心的な言動に驚きつつも、せっかくの好意に甘えることにしようと伝票を握る腕を伸ばす。ところが彼女は、差し出された私の手を怪訝そうにまじまじと見つめ、ため息をこぼした。私はわけもわからず首を傾げる。 「…。あんたねえ、私がメリットのないことをするとでも本気で思ってるわけ?」 ああ、やっぱり私の知っているM・Mだ。 「ああ…はいはい、やっぱりそういうことね。お金?それとも…」 「馬鹿。お金はいらないって言ったでしょう」 私の声を遠慮なしにぴしゃりと遮った彼女は、相変わらず鈍いわね、と呆れたような一瞥をよこした。私は未だその言葉の意を掴めず、口をつぐむ。彼女の口から答えを引き出すためだ。 案の定、M・Mはぽつりとこうこぼした。それは蚊の鳴くような小さな、独り言にも満たぬほどの呟きではあったが、耳を澄ましていた私は当然聞き逃すわけもない。 ふと彼女の肩越しに、財布の中身が目に入る。その瞬間、私は驚きに一瞬目を丸くしたが、すぐにそれを上回るほどの愛しさの念が胸を占めた。ああもう、本当に天邪鬼なんだから。 「……そのかわり、またこうして私とお茶してくれれば、それでいいわ」 財布の中にきっちりと揃えられた札束。その奥に覗く淡いピンクのミサンガについて触れたら、彼女は怒るだろうか。 |