〜闇と異端にこそ 救いを〜

『聖なる異端』

 

――私は異端だ。でも。

――私は聖なる者だ。

――私は汚れる事が無い。

――悪も、闇も、愛も、欲情も、私を汚せはしない。

――汚してはくれない。

――私のこの体は、愛される事の無い、化物の体。

――誰もが不気味がる異端の身。

――それでいて汚れない、聖なる肢体。

――この体は誰にも愛されない。

――この体は誰も愛せない。

――自分の意思とは反対に…。


アルムヒルドが教会に引き込まれてから、数ヶ月が経った。

『闇の征服と洗礼』。

その計画は今も続いている。昨夜、十三有る伯爵家のうちの、六つ目を片付けたところだ。そして現在、壊滅させた六つ中、二つが降伏し、こちらの傘下に加わっている。

昨日張り切りすぎたのか、とても疲れているのだろう、オーバーヒートして、アルムヒルドはぐっすり眠りこけていた。あどけなく寝息など立てている。

時刻はもう昼になろうとしている。エイシェルはあきれていた。

「よくも、ここまで眠れるものだな。」

十一時、五十二分を示した針が、また一つ動いた。

「いくらなんでも、もう起きているだろうと思った私が馬鹿だったかもしれない。」

幸せそうな寝顔を見て、思いきりつねりたくなってきた。腹が立つくらいよく寝ている。

あきれ気味な独り言をこぼして、エイシェルはさも嘆かわしげに頭を振った。

「法王様から届いた銃器類を格納するのに…。こいつが居れば仕事が楽なのだが…。」

ぶつぶつ独り言をこぼしながら、エイシェルはどうやってアルムヒルドを起こすか考えている。ふと思い付き、思案せずに実行する。

「もにゃむにゃへへへ。」と、すやすや寝ているアルムヒルドから、毛布を剥ぎ取った。その毛布につられて、アルムヒルドはベッドから勢いよく落ちる。意識が、眠りから現実へ浮かび上がった。いきなりの衝撃に、アルムヒルドは琥珀色の瞳を瞬かせる。――何が起こった?と、寝惚け眼であたりを見れば、冷徹神父が一人。不機嫌そうな顔で、こちらを見ているではないか。寝起きにこの顔を見るのは最悪だ。

(嫌な夢だな…。)

これは夢だ、寝ようと決めて、アルムヒルドはまたうつ伏せになった。まだ眠い。

もう起きるだろうと思っていたエイシェルは、その様子を見て頭に血が上る。

「起きろ!」

いきなりの大声が耳をつんざく。やっと目が覚めたのか、アルムヒルドは飛び起きた。

「何すんだ、人が気持ちよく寝てるトコに!鼓膜が破れるだろ!」

「お前がさっさと起きないからだ!怠け者!」

「テメエに起こされたかねぇよ!朝になりゃちゃんと起きるってば!」

「もう昼だ!大馬鹿者!」

「え?うそ、昼?まあ、良いや。昨日がんばってたんだから寝かせろよ!」

「そう言う訳にもいかないんだ。今日も頑張ってもらわなければいけない。」

「ウソ、マジで? 最悪!でもいいじゃん。安息日、とか言うの、あるじゃん。」

「安息日は日曜だ。今日は土曜。明日の安息日はミサがあるから、今日中に仕事を終わらせなければいけない。」

エイシェルには、口では勝てなさそうだ。仕方なく言う事を聞くしかあるまい。

アルムヒルドはため息混じりに承諾した。

「あ〜、解かったよ。やりゃ良いんだろ?」

武器を格納する。と、言っていた。さほど時間もかかるまい。そう思っていた。

でも。浅はかだった。

「何なんだ…。この量は。」

あきれた…。来てみれば、予想だにせぬすごい量だった。

薄茶色の紙に梱包された大きな箱達が、小山の様に積まれている。高さは四、五メートルくらいだろうか。

「これ全部、武器弾薬類なのか…?」

青い顔をして、アルムヒルドはエイシェルに訊ねた。これだけの量の武器があるなら、小さな町の一つくらい、軽く弾圧できる、いや、殲滅する事だって、戦い様によれば出来るやも知れない。いろんな意味で、少し怖くなった。

街を見下ろす高台の教会と、武器類の入った箱達。これ程不似合いなツーショットは、軍刀とエイシェルのツーショット以来無い。

「あまり、気にしない方が良い。さ、運んでくれ。」

最初は正直、エイシェルだって驚いた。教会の、緊急に作った簡単な武器庫に、入りきるかどうかも心配だ。アルムヒルドが驚いても仕方無い事くらい、解かっている。

でも、今はこれをさっさと運んで欲しい。

人間連中だけでやっていたら、二日はかかる大仕事だ。

明日のミサまでには終わらせたい。アルムヒルドには、否が応でもやってもらわなければ。

「すまないが、がんばってくれ。」

「…へいへい。」

まだちょっと呆けてはいるが、がんばってくれそうだ。エイシェルはそう思いつつ、預かった伝票を覗き込み、箱を開けて中身を確認する。

「んしょっと…。」

箱を肩に担ぐ。ずっしりとした金属の重みが、肩に食い込んだ。

とは言え、馬鹿力を持った吸血鬼であるアルムヒルドには、あまり関係無いが。

周りには、二人で一つずつ運んでいる神父や修道僧の姿。また、伝票を片手に、箱の中を覗きこむ修道女達の姿があった。

女に武器が解かるのか、少し謎だが、おそらくエイシェルあたりが教えたのだろう。

それにしても、人間達の動きの、何と緩慢な事か。

吸血鬼に比べれば、カメみたいなモノだ。うんうん言いながら、箱を運んでいる神父を横目で見て、アルムヒルドはそう思った。

歩けば歩く程、周囲はアルムヒルドを見る。

珍しくも鮮やかな赤い髪も、人の物とは思えない琥珀の目も、見た目からは予想できない馬鹿力も、奇異の目の対象となる。

周りの奇異の目を浴びるのは、かなりのストレスがたまる。

昔は人間だったから、こんな事なんか全く無かったのに。

もう人間じゃない。心の中で、そう痛感した。

(我慢…。)

我慢。したくも無いのにしている。

我慢すれば、表面的に丸く治まる事くらい、解かっているからだ。

でも、何て辛いんだろう…。

(俺、結局吸血鬼なんだな…。俺を襲ったあいつと、何ら変わりないんだ…。)

人間の目から見れば、何十年も昔、自分を襲った吸血鬼と、自分は一緒なんだ。

自分は吸血鬼なんだ…。

この想いは、絶望によく似ていた。

 

「終わった…。」

日が、沈み始めた時だった。やっと、全ての箱が収まりきってくれた。

あれしきの事では、体に疲れは無いが、精神面での方では、疲れ切ってしまった。

(よく我慢したな、俺!)

心の中で自分を慰め、褒める。もし、誰かが彼の心を覗けたなら、きっと変に思うだろう。

オレンジ色の光の中、アルムヒルドは背伸びをした。

背伸びしたとたん、急にリラックスした体は、鋭敏な感覚を取り戻し、今、自分が空腹である事に、アルムヒルドは気が付いた。

そう言えば昼まで眠っていて、起きたとたんここで働いている。食事をとる暇も無かった。

「おい、エイシェル。」

「ん?」

「俺、ちょっと飯。」

「解かった、行ってこい。」

黙って行けば良いだろうと思うかもしれないが、エイシェルにはアルムヒルドの行動を監視していなければいけない仕事があるのだ。故にアルムヒルドは、こうやって自分の行き場や、何故そこに行くか、報告しなければいけない。まるで子供だ。共同生活数ヶ月で、やっと慣れてきたが、まださすがに違和感はある。と、言っても他の吸血鬼もこんな生活をしているのだが。

さて、『吸血鬼の食事』、と言うと、血液くらいしか思いつかないだろうが、実はまだ一つ、存在するのだ。かと言って、人間の食べ物が口にできるわけではない。内臓が人間とは違う。基本的に固形物は摂取できない。消化系の内臓のほとんどが人間と比べて小さい。故に吸血鬼は栄養のほとんどを液体で摂る。野菜類は液体に出来るが、たんぱく質や脂質を摂るとすると完全に液体にするのは難しい。肉を微塵にしてもペースト状が限界だった昔の技術。その苦肉の策が血液を飲む事だった。太古の吸血鬼達の殺人行為への畏れや後悔や哀しみはいか程のモノだったのか。人間だけでなく他の動物も、彼等は手にかけたが、妙な伝染病などの影響で吸血鬼の個体数は激減した。その反面、人間には多少の医学があり、他の動物よりは病原菌が少なかった。吸血鬼達は獲物の照準を人間に定めた。

人間に襲いかかる、死に物狂いの吸血鬼。これを機に、人間が吸血鬼に手を出したのが彼等二つの種族の初の戦争だったと言う。多勢に無勢の戦争は吸血鬼達を更に危機に陥れた。希少民族となった彼等は種の保存の本能から強靭なばかりの身体能力を高め、牙が更に発達し、その牙からは蛇の様に毒が出る。その毒、いわゆる体液は人間を吸血鬼へ変化させる効果がある。そんな進化の過程で、彼等は更に血液を主食とした生態を作り上げていった。今では、ペースト状の物でも、食べるのが難しい。たまに、胃袋の丈夫な吸血鬼がいるが、食べる量も少ない。そんな吸血鬼のみ、とは限らないが、他にも、ある一定の手順を踏まえれば、誰にでも出来る事がある。

それが、『植物の精気を吸う』である。

アルムヒルドは魔術の心得があるので、割とすぐに出来る様になった。

教会では、吸血鬼達専用に、赤薔薇を栽培している。何故薔薇かと言うと、植物のなかでは、薔薇の霊力が一番高いと言われているのだ。

これで吸血鬼は生きていけるし、人間も無駄に死ななくて済む。

だが、良い所だけかと言うと、そうでもない。もちろん、悪い所も有る。その被害は人間側ではなく、吸血鬼側にあるが。

何故か、麻薬の様な作用が有るらしく、自我を失ったり、発狂したりするのだ。

中には運悪く、死んだ奴もいる。殺される側である薔薇の、その怨念とも言うべきモノが、吸血鬼達の体に蓄積されていくのではないだろうか、と言う説もある。

それを含めて考えれば、吸血鬼がなぜ、『吸血』と呼ばれるのか少し解かるだろう。

なにも吸血鬼達だって、好き好んで人殺ししたりしない。『生きる為』なのだ。

まあ、今は教会が吸血鬼専用精神安定剤を作ったので、アルムヒルド含める吸血鬼達はそれを服用している。これで発狂死しなくて済むのだ。しかし製作コストがかなりかかるので、別の解決策を、教会側は研究しているらしい。

薔薇栽培をしているテラスに向かう途中、アルムヒルドは足を止め、急いで退き返した。

危ない。薬を忘れる所だった。

急ぎ足が更に急いで、自分達の部屋に向かう。

部屋から薬を持って来て、また来た道を戻る。

広い教会を行ったり来たりしたせいで、すっかり暗くなっていく窓からの空を、走りながらアルムヒルドは眺めた。深く暗い青の中にうっすら浮かび上がる月。まだまだ細い、やせっぽちの三日月がこちらを見ていた。

(月を見てるんだろうか…。それとも、月に見られているんだろうか…。)

ふと、そんなふうに思ってしまう。それでも、走る足をゆるめる事はない。

テラスがもう見える。そこで、赤薔薇が待っている。

テラスの、日光を取り入れるためのガラスの天井は、今わずかな月明かりと星の光を取り込んでいた。暗い部屋。薔薇は眠って、花びらを閉じている。

「静か…だな。月が明るければ、もっとキレイなんだろうな。…もっとも、俺には似合わないけれど…。」

そんな独り言をこぼして、アルムヒルドは薔薇の茎を手折った。

パキリ、と静かな薔薇の悲鳴が聞こえてくる。

口元に薔薇を吸い寄せれば、赤かった花びらは変色して黒くなり、その首を落とした。

水分の抜ける音は、薔薇の断末魔。

自室に何十本か持って行こう。そう思い、一株の薔薇を根元から抜き取る。

土がぱらぱらと根の間からこぼれた。

片手にぶら下げて、アルムヒルドはテラスから出て行く。

根っこから引き抜いた薔薇を、土を落としながら歩いて行く男の姿は、何となく異様だ。

 

所変わり、自室。エイシェルがさも『あきれた』とでも言う様な目でこっちを見てきた。

「アルムヒルド…。何だ?これは…。」

「何って…、飯だよ、俺の。」

「いや、そうじゃない、この砂やら土は…。それに根っこごと持ってくる馬鹿がいるか?」

床にこぼれてる土を指差し、エイシェルは低く言った。

「怒ってんの?いいじゃん、後で掃除すれば…。」

「…そう言ってお前が掃除した事が有ったか…。」

銃声。切れたエイシェルが撃った弾丸は、アルムヒルドの右耳をかすめた。銃声が耳をつんざく。痛い、でも、たった一瞬の事で、すぐに痛くなくなった。様子がおかしい。

鼓膜が破れたようだ。右耳が聞こえない。

「何すんだよてめえ!まあ、すぐくっつくけれどよ…。」

「掃除は、お前がやれ。」

「えー、だってぇ。」

「やれ。」

撃鉄が下りた。エイシェル…、本気だ。

「わかった!俺がやりますから!たのむから心臓と脳みそは撃つなよ、死ぬから!」

「ホントか?」

「ホントです、マジです!」

部屋の隅に置いておいたちり取りとほうきを持って、アルムヒルドは片付け始めた。銃口を向けられて、かなりびびっている。

「なぁ、お前さ…、俺の何が気に入らねえの?」

前々から気になっていた。この教会に来て、心苦しい事が多い。

つい、そんな言葉が出てきた。

「教会の連中、俺が吸血鬼だって知ると嫌な目で見るし…。エイシェル…、お前も俺をただの吸血鬼だとしか見てねえの?」

アルムヒルドが急に真面目な話をしているので、エイシェルは首をかしげた。声はおどけた調子だが、話の内容は普段のアルムヒルドからは考えられない様な物だったからだ。