もとは聖都に住んでいた、中流階級の家庭の、一人っ子だった。

青い髪に、灰色の瞳の、端整な顔立ちをした少女は、名を「エイシェル」と言った。

 

そう、『少女』だと思っていた。

 

でも違った。

 

「お母さん…。」

十三歳の頃だった。エイシェルが学校から返って来た時、神妙な面持ちで母に言ったのは。

その悩みの内容と言えば、この歳の少女にはありがちな物であった。

女性の生理現象や、成長が全くもって見られないのだ。しかしまだ十三歳だったと言う事もあってか、母もその他の家族も気に止めはしなかった。

「彼女」の異常を気にかけ、医院へ連れて行ったのはそれから三年も後の、エイシェルが十六になった頃である。

 

「それで…娘は…?何かの病気なんでしょうか?」

エイシェルとよく似た面差しの母は、医師に訊ねた。不安で仕方が無いと言った感じで、すがる様な、「娘」と同じ灰色の瞳が医者を見詰めていた。それはもう、穴が開かんとするばかりに、だ。

「娘さんは…。『娘さん』とは呼べないのです。男でもなければ女でもありません。無性体です。お母さん…貴女には吸血鬼との不倫…交配の容疑がかけられています。異端審問官を呼びました。貴女もお子さんも、異端審問にかけられます。」

医者のその言葉は逮捕状を読み上げられる様な衝撃を母に与えた。

医師がそう言った瞬間。診察室の白い扉は開けられ、黒い修道服の審問官が二人、入って来た。修道服の心底似合わない、厳つい男は母親の細い腕を掴んで手錠をかけた。

現状が理解出来ない母親は、混乱する脳内の片隅で、我が子を思った。大事な一人娘が女で無いとすれば一体どういう事だろうか。吸血鬼と不義を犯したなどと言う身に覚えも無い、又、恥辱の他ならない疑いをかけられ自尊心が傷付く。

今、自分の愛する子供も、同じ様に手錠をかけられ連行されている事だろう、この病院の、何処か、で…。

「エイシェル―――――…!」

母は叫んだが、その声が子の耳に届いたかは定かではない。

子も何処かで、母の名を呼んだのかもしれない。

もしくは、こう叫んだのかも…。

『主よ、主よ。どうか私をお助け下さい』

と…。

母と子が再会したのは牢の中であった。

小さな窓から日が差し込んでいた。手足には鉄製の枷がしっかりとはめられている。母と子は無言のままであった。拷問など野蛮な事は一つとして無かったが、連日の尋問で精神は疲れ果てていたのだ。

今日はこれから正式な異端裁判が有る。法王から決断が下されるのだ。

もしかしたら身に覚えの無い罪で、親子共々火刑に処せられるかもしれない。

異端審問で火刑台に上り、焼かれる異端者を広場で見た事は有る。薪の炎と人の焼かれる絶叫と臭いは観衆に恐怖さえ覚えさせた。エイシェルにとっては聞いた話だが、元聖職者などの大罪人が焼かれる時は、一度普通に焼き、その後四肢を引き千切って、再び火中に投じ、骨も砕いて灰になるまで燃やされた。しかもその灰は人知れず川に流されると言う。

自分達も、あの様な灰になるかと思えば、恐ろしい。

 

『異端審問』――〈インキジション〉

正式名称を「国王直属王立異端審問局」と言い、この国を統一する宗教を逸脱した、別の異教を拝する者を取り締まる制度。又、その他にも国の治安維持の為の組織である。犯罪調査、逮捕、裁判、収容、処刑に至るまで全てを手懸ける。

「異端審問官」別名を「インクジッタ―」と言う。出家し、僧位を得た後、戦闘訓練や体力検査など、その他諸々を受けて資格を取ればなれる。相当信心深く、知識博識もあれば戦闘訓練なども受けずに入れる。雑談はここまでにしておこう。

 

最終判決は法王が下す事になっている。

今日エイシェルと母親の番が回ってきたのだ。

当時の法王、ケセドは手元の資料を見ながら、異端審問官達には予想し難い一言を言った。

「無罪なり。」

驚き、声が裏返りそうになりながらも、法廷の厳粛なる静けさを守ろうと精一杯の冷静さを装って、担当異端審問官は壇上の法王に訊ねた。

「何ゆえに。」

「人間と吸血鬼の交配によって生まれるのは、今まで両性具有かその他の奇形のみ。しかして異端容疑者エイシェルは無性体なり。故に疑い無し。母親も然り。」

「気違いになられましたか、聖下。」

「否。この世で穢れしモノと言えば、背信や姦通など。数を上げればキリなど無い。性もその一つである。しかし、その者は無性。天使も無性であると言う話も有るぐらいであるから、疑いかけたるは主の御心に背く行為。ましてや処刑したとあれば御怒りが天より降るであろう。母にも吸血鬼との交配に関する資料が不充分である。この者達に咎無し。釈放こそ然り。」

ここまで一気に言って法王ケセドは一息吐いた。しかしもう一言付け足す。

「これでも疑いをかけるであれば、この子を私が監視する。法王の任も降りよう。」

最後の一言に、法廷がどよめいたのは言うまでも無かろう。それでも、ケセドは己の信心を突き通そうとした。

「このエイシェルと言う者が、天使の生まれ変わりであると私は信じよう。その様な気がしてならないのだ。」

そう言って純白の生地に金糸の装飾の施された法王冠を脱いだケセド。

「私は死去したと報道し、次期教皇は数年前に出家した甥の修道僧ケテルを推薦する。」

そう言い残してケセドは法廷を後にした。教皇そしてのケセドをエイシェルが見たのはそれきりの事で、次にその老人が姿を現した時には黒い極普通の僧衣を着ていた。二人の再会までに一週間も無かった。優しげな顔に、変わりは無かった。むしろ法王の地位をかなぐり捨てた後の老人の顔には、聖職者その物が持つ純粋混じり気の無い慈悲と慈愛とが満ち溢れている様に見えた