プレイクの世界
ウイリアム・ブレイク
平凡社の世界大百科事典から彼について一部引用すると、
『科学尊重の18世紀の〈散文と理性の時代〉にあって,人間の自由をしばる因襲的モラルに反対、ことばよりシンボルを、理性よりは活力(エナジー)を重視、想像力によってユニークな神話的ビジョンの世界をつくった神秘詩人。ロンドンの洋品商の次男に生まれ、子どものころから異常な幻視力を示し、ペカム・ライで木に天使が鈴なりになっているといって父に叱られたこともあった。正規の学校教育は受けなかったが、・・・』
と、まあ・・ここまで読んでみても分かるように普通ではないわけです。
さらに『超』大雑把な感想を続けるとなんか牧師の息子なのに反キリスト教になった(?本当はなってない気がするけれども、それはおいといて)ニーチェっぽいよなあ、と思うわけです。
要するにいるべき場所の(社会の)外側に位置する人だなあ。(極めて分かりやすい) すると、ごく自然にある本の題名が思い出されます。
今さら読み直すまでもなく「アウトサイダー」(コリン・ウイルソン)の第8章はブレイクで始まっているのだ。(いきなりコーヒーかなにか飲んで休んでいるわけではないです)
これは当り前の話なのだ。オカルトの専門家コリン・ウイルソンが幻視をするアウトサイダーのW・ブレイクを見逃すはずがないのです。
C・ウイルソンによれば、このような人物は「充実した活動と質の高い人生への欲求」から始まり(これは人間としてはかなり当り前ですが)、一般の理解を超えた高みへ飛び去るという点において「アウトサイダー」だと言うのです。
W・ブレイクは周りの無理解から偏執症になった時期もあるようだし(そりゃあ、天使が鈴なりになっていたなんて言って理解されるのは容易ではない)、ブレイクが賢者であったとすれば、後の者に伝授するに値するものも彼と共に消えてしまったのかもしれないのです。 別世界に生きる偶像破壊者を理解したいと思うものはあまりにも少なく、理解したいと願って理解できるとは限らないからなのです。
しかしながら、幸いなことにブレイクは絵画・版画・詩などを残していて、彼が何を「悟った」のか、いつか分かるかも知れません。
私がブレイクを知ったのは、不覚にもアルフレッド・ベスターの「虎よ!虎よ!」というSFによってでした。(「虎よ!虎よ!」は「経験の歌」の中の有名な詩ですが)、しかもその時は「へーー」ぐらいにしか思わなかったのです。
なぜ興味を持ったのかというと、「エルサレム」という詩がきっかけでした。
この曲は邦題では「聖地エルサレム」として、EL&Pの「恐怖の頭脳改革」というアルバムの最初に入っていて、10代のころにはさんざん聴いていたし、よくあわせて歌ったものでした。 ところが、「炎のランナー」という映画にもこの曲が出てくる。賛美歌のように教会で歌われているのだ。
これは不思議だ、EL&Pの曲が教会でうたわれるかね〜、とあれこれ調べるとブレイクという人が作っていて(それは歌詞カード見れば分かる)、この人は詩人で神秘主義者らしいということを知り、おまけにアウトサイダーにも出てきたよー、というわけです。
ちなみに「エルサレム」は英国国教会の聖歌になっていました。
Jerusalem
さあ、それでブレイクの何を私は理解しているのかというと、さっぱりなのであります。 彼の描く絵は(版画も含めて)変だ。
「ぺ」さんによれば、「目がうつろ」。
そうなのです。まったくもって非現実的。天の光に包まれるが如く(よく映画にあるようなあの天国の感じ)ふわっとした絵と、その正反対の「濃い!グロい!」という両極端の表現。
まるで無心の歌と経験の歌そのものですが、神々しいはずの絵ですら、どこか不気味な気がするのです。
美しいとは感じないし、シーレのように「内面を抉ってやったぜ」でもない。
変な絵なのだ。
まあ、映画「レッド・ドラゴン」にでてきた絵はまだ分かりやすいですが。格好いいから。(笑)
ここで、少しお休みして、ブレイクの作品を見てみましょう。
artcyclopedia
ブレイクの作品などが見られます。
なにやら、キューブリックが好みそうな絵を想像します。
経験の歌におさめられたブレイクの詩でももっとも有名なものの一つですが、tygerというのは古い綴りのようです。
こうすることで、虎の破壊的な力を暗示しているとも言えるようです。(いにしえのもの)
この詩でダンテの「暗い森」(迷妄の森)を思い浮かべる人もいるようです。
「nebuchadnezzar」
ところで、ブレイクは神秘主義者ということなんだけれども、では神秘主義ってなんだろうか。
再び、世界大百科事典に頼ると(抜粋)、
『神秘主義とは,神,最高実在,宇宙の究極的根拠などと考えられる絶対者を,その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場をいい』
とあります。これを神秘的合一unio mysticaというようです。
神秘主義というのは絶対者(まあ、神ということですね)と一つになることのようです。
絶対者と一緒になるんだから、自分(私)などと言うものは存在しなくなるわけだ。
(スタートレック風にいくとボーグになるということ?ちょっとちがうだろうな)
つまり、神秘体験をすること、絶対者との合一というのは忘我(脱我、エクスタシー)を知ることなのだ。
絶対者に自己は吸収され、絶対者から「対象性」はうしなわれてしまう。(一体になるんだから当り前だ) そして同時にそのことが自己の根拠となるのだ。
自己の内部の深遠を覗き、自己を突き破り無限の深さが開かれることによって絶対者との合一がなされる。 こういうのはブラフマンとの合一、「梵我一如」とも考えられそうですが。
そこで、ブレイクの作品に戻ってみます。
彼の作品(絵や版画)に出てくる目がうつろなのは、この忘我の状態を表わしていると考えることが出来そうです。
内部を見つめその対象性すら失われるのだから、目がうつろなのはうなづけるわけです。
というのは私の想像であって、本当にブレイクがそう感じてあの絵を描いていたのかは定かではありませんが。
「虎」という詩についてみると、2段目は絶対者の存在を暗示している(ほとんど明示かも)ようです。
創世記によれば、神は天地をつくったが地には暗深遠の面があるそうです。
とりあえず一旦このあたりで。
Blake Galleryに行きます