Johannes Brahms |
ブラームス |
曲について
最初にこの曲を聴いた時は、「なんだこれ、つまんない」 ブラームスについては、基本的にメロディーがつまらないって感じですね。 これは、すでに書いてますが。 メロディ―っていうと、やっぱりまずはモーツァルトですよね。 子供の時のイメージですが 「次に来てほしい音が来る」感じ、というのがモーツァルト。 ブラームスは、「あともう一つ二つ(音が)足りない」感じなんですよね。 「一つ足りない」けど、素敵な曲というのもあります。 「一つ足りない」ことに意味があるというか。 Beethoven - Piano Sonata No. 14 月光です。 最初に聞いた時、この3つずつの音でなんとなく感じたのは、「渇望」みたいなものですかね。 まあ、子供の時なので、その言葉自体ではなかったけれど。 続いて、足りている曲を。ラフマニノフの曲を本人ので。 Rachmaninov - piano concerto No.2 mv.2 30秒ぐらいからのピアノ、4つずつの音。足りてますよね、気持ち的に。 一個増えるとこの違い。 ブラームスは、大体いつも一つか二つ足りない感じなんですよね。 これは、意図的というよりも、やはりブラームスのメロディーメーカーとしてどこか足りなさなんじゃないかと。 その件に関しては、本人が一番よくわかっていて、ドヴォルザークのことを羨ましがっていたなんていうのはwikipediaに書いてますね。 あ、いきなり話がそれまくった。 ブラ4でした。 Brahms Symphony No.4 mv.1 1/2 - C.Kleiber 第1楽章の初めのほう。 なんでしょうねえ。メロディーにもなっていないような。 1楽章の終盤が盛り上がるんですけどね。これがとてもブラームスらしいっていうか。 4つの交響曲で、1番好まれているのは1番なんですが、1番ブラームスらしいと言われるのは4番。 実際、そういうアンケートがありました。 そもそも「1番ブラームスらしい曲はどれか?」という質問があるのがけっこうおかしいですが、そのあたりがブラームスなんでしょうね。 続いて、第2楽章です。の前半 Brahms Symphony No.4 mv.2 1/2 - C.Kleiber この始まり方。第1楽章に輪をかけて酷い。 最初にこれを聴いたとき、「なんて干からびてるんだ」と思いました。 もう、「枯れてる」とかそういう表現では足りない。 水分とか油脂とかまったくなくなって、パッサパサですよね。 しばらくは、この第2楽章が一番酷いと思っていました。 他の曲の話になりますが、その昔、ある日曜日の朝、目覚まし代わりに、タイマーでFMが入るようにしていたのです。 その朝は、ブラームスのピアノ協奏曲1番が入ったんですね。ギレリスさんの演奏でした。(この話はたぶん既出) 当時、レコードはあったんだけど、あまり好きな曲ではなかったのです。 やたらと重いですよね。で、そのまま布団の中に。 第3楽章のある部分で、不意に天から光がさして来たような響きを感じたんです。 (あ、わたくし特に宗教はやっておりません) Brahms - Piano Concerto No. 1 mv.3 - Gilels ちょうど、このギレリスさんの演奏です。時間で言うと1:34あたりのところ。 これもたぶん前に書いたと思うんですが、ブラームスの曲って、どよ〜んと暗く入って、あとから明るくなるのが多いんです。 この曲だと、第1楽章は、 Brahms - Piano Concerto No. 1 mv.1- Gilels このように重々しいです。 わりと若いころの作品ですし、強大なエネルギーが出口がみつからずに暴れているかのようです。 Brahms - Symphony No. 1 mv.1- Klemperer 交響曲第1番なんか、第1楽章はカオスですよね。大和ハウス的な意味で。 Brahms - Symphony No. 1 mv.4- Klemperer そして第4楽章は、最初こそ重いですが、すぐに、あの第九のようなメロディーになりますね。 バイオリン協奏曲も、第1楽章は、最初こそ町長ですが展開部で短調になって重いんですよね。 そして、最後の第3楽章は終始明るい曲調です。 やはり根底にあるのは第九だと思うのですが、ブラームスが音楽で表したいことというのは、主にこれなんだろうと。 出口の無い暗い世界から、(出口を見つけて)光に満ちた明るい世界に。 そして、話はまた4番の第2楽章に戻ります。 Brahms Symphony No.4 mv.2 1/2 - C.Kleiber ブラームス自身おいたので、この干からびた第2楽章にはエネルギーは感じないのですが、3分46秒からのところ、光は感じますね。 天国的な響きです。出口を見つけたどころか、出てしまった? 天国的な響きというと、第九の第3楽章がありますが、ブラームスのほうがくどくなくて好きです。 まあ、第九は、第4楽章がメインですけれども。 もうひとつ、この第2楽章ですが、フリギア旋法で書かれています。(正確にはフリギア旋法風であって、そのものではありませんが) 教会音楽の旋法の一つで、ミが主音なのですが、ピアノでいうと黒鍵を使わないので、ホ長調とはちょっと違うんですね。 なんか、長調でも短調でもないような、どちらでもあるような。ふわっとした感じ。 バッハのマタイ受難曲にもフリギア旋法(風)の曲があります。 ピアノ協奏曲1番や交響曲1番などは、暗いところから明るいところに行くのに「短調→長調」で表されていたわけですね。 ま、そりゃそうなんですが。短調や長調って、そういうものですからね。 それが、この4番の第2楽章では、短調でも長調でもないでもない古い教会の旋法を使って、それを表現したのではないかと思います。 ブラームスの4つの交響曲ですが、1番は、発表された当初から、第九に似ていると言われました。 曲の造りを考えても、意識したと思います。 それから2番はブラームス(当たり前ですけど。)の「田園」と言われてますし、3番は「英雄」なんて言われます。 ベートーベンの、それぞれ9番、6番、3番に対応しているわけですね。きっちり等差数列。 そうすると、4番が困るのです。ベートーベンに0番はないですからね。ブルックナーならともかく。 やはりここはベートーベン以前ということになるかと。 ベートーベン以前でまず思いつくのはモーツァルトです。交響曲もたくさん書いてるし。 そうすると、モーツァルトの最後、41番的なもの? 41番は、あまりに神々しいので「ジュピター(ユピテル)」と、呼ばれる曲です。 しかし、モーツァルトはブラームスにとって神のような存在なんですね。 神が作った神のような曲の真似はさすがにね。 ただ、41番が神々しいのは、主にその第4楽章なのですね。 対位法を使ったことによります。 41番の話に飛びます。 モーツァルトは、20代の半ばにスヴィーデン男爵さんちに入り浸って、バッハとヘンデルに浸っていたんですね。 対位法にはまってかなり勉強したようです。 そのころ対位法の曲をたくさん書いています。 クラヴィア(ピアノ)曲もたくさん書いてます。 ただですね、あまりうまくいったとは思えません。 例えば。この曲。「前奏曲とフーガ」と、まるでバッハみたいな題名です。 Mozart - Prelude and Fugue k 394 - NAILY SARIPOVA 5分40秒あたりからフーガになってます。 前奏曲はバッハとは雰囲気が違いますが、フーガのところはバッハぽいですね。 これって、わざと似せたように思いますが、 下のリンクはバッハの平均律クラヴィアです。 J.S.Bach - The Well-Tempered Clavier - Gould 最初の前奏曲とフーガのフーガ(2分41秒から)と似てますよね。 そして、モーツァルトのフーガはあまり出来がいいとはいえないですよね。 他も、クラヴィア曲に関しては、いつもの切れがない。 天才モーツァルト、かなり苦労してます。 バッハもクラヴィア曲のフーガは、かなり無理無理な作り方してますし、やはり相当難しいんですね。 一方で、交響曲38番のプラハは対位法を使ってますが評判がいいです。 そしてとどめがジュピターの第4楽章。 この場合、正確にはフーガの要件は満たしていないので、フガートというんだって。 ほぼフーガの形ってことです。 「ドーレ―ファーミー」(C−D−F−E)のジュピター音階と、他5つの動機が、同時に各パートで演奏されて、それぞれを追いかけていくという、非常に高度な技を使ってこの出来栄え。 最早人間技ではありません。 冒頭の「ドーレ―ファーミー」は、交響曲第1番で出て以来、何度か使われています。 さらに、この曲。 W. A. Mozart - Missa brevis 原曲ですよね。これをフーガ入りの管弦楽曲にしたのですね。 R・シュトラウスは、「まるで天上にいるようだ」といったそうです。 それはともかく、モーツァルトは、2ヶ月の間に39番から41番の(最後の)3大交響曲と、さらに他にも数曲作っています。おいらは、HP用に以前、MIDIというのを打ち込みで作ってましたが、ピアノ曲1曲仕上げるのに、モーツァルトがその曲の作曲にかけるより時間がかかってました。ちょっと暴れたくなります。 そして、この3大交響曲、依頼を受けたものではなく、演奏会用でもないんですね。作られた理由が不明となっています。 まあ、もちろん作りたかったから作ったんでしょうけど。 モーツァルトは、かつて若いころ(っていうか、死んだ時も結構若かったわけですが)、当時、ハイドンの弦楽四重奏曲を書き換えて、その楽譜をハイドンに送ったことがあるんですね。 意図は明らかにはなっていませんが、おそらく自分の能力をハイドンに見せたかったんだろうと。ひょっとしたら「俺のほうがいい曲書けるんだ」。 ハイドンは温厚な性格で、そんなモーツァルトを褒めたそうですが、ジュピターを作った動機はこれじゃないでしょうかね。 「どうだ、すごいだろ」と天国のバッハに見せたかったから。 神様かも知れないけど。 ブラームスに戻ります。 ブラームスの4つの交響曲は、調性が1番から順に C−D−F−Eになっているんですね。 もうそれぐらい、モーツァルトを愛していたと。だから、(第9と田園と英雄は作ったけど)ジュピターは作れない。おそらく、本人はモーツァルト的な曲を作るなんてまるっきり不可能だと思っていただろうし。 (メロディーには自信がなかったから) そうして、第4番の中で最初に作ったのが、第4楽章です。パッサカリアという形式。主にバッハやヘンデルの時代に使われた形式。 短い変奏が次々と現れる形。 そして第2楽章は、フリギア旋法。(これも天上の響きだと思います) 「4番=ベートーベン以前」は、このような理由からモーツァルト以前になったのではないかと。 演奏について |
第1楽章 | BGMを切って MP3←こっちで聴いたほうがいいです。 | (playing time = 17'19") |
おすすぬ ようつべバックハウス(ピアノ)、ベーム(指揮)、ウィーンフィルの67年(バックハウス4度目)の録音。これは是非ききませう。 |