「もし仮に、です」
 会長に、こんなことを言われたことがある。
「あなたが1975年生まれだったとしたら、15歳、今の年齢になるころには天才プログラマーになっていた可能性が非常に高い」
 どこから覚えてきたのか知れないハッキングの技術を、わたしに伝授してくれているときだった。一通り講義が終わり、わたしはこれまたどこで仕入れてきたのか知れないメイド服でコーヒーを淹れていた。
「どういう意味ですか?」
 わたしには訳が分からず聞き返した。
 はっきり言うが、わたし、檜原かなんはパソコンというものが苦手だ。パソコンだけではない、携帯電話もHDデッキも苦手だ。とにかく最近の電子機器というものが苦手で苦手でしょうがないのだが、とある事情のせいでこうしてパソコンの勉強などしているのである。それも、学校では絶対教えてくれない類の。
「その時代に生まれたとすると、小学校や中学校のころに一回くらいはPC−98などのウィンドウズ95以前のパソコンに触れるはずです。そしてあなたなら、PC−98の操作くらい一発で理解できる」
「ちょ、ちょっと待ってください! それって、かなり昔のパソコンですよね……?」
「いかにも。ようやく愛好家が自宅にパソコンを導入できるようになった時代です」
「そんな操作が難しいパソコン、わたしが使えるとは思わないんですけど……」
 今のパソコンは、とても親切なのだと言う。アイコンをクリックしてやるだけでプログラムが起動する。昔はいちいちキーボードで命令を打ち込まねばならなかったのだという。わたしは、親切なパソコンすら使えない人間なのである。
「いいえ、あなたの場合かえって使いやすいはずです。普通、パソコンが苦手と言う場合は見慣れない専門用語に面食らってしまったり、操作方法を覚えきれないと言うことが考えられます」
 会長はちゃぶ台の上に置かれた『モデルガンのようなもの』をもてあそびながら言う。これもまたパソコンの一種で、悪魔の召喚ができてしまう『GUMP』という代物であることは、初めて触れたときに思い知った。
「しかし、あなたは違う。あなたの場合は食わず嫌いなだけです。今時のパソコンはブラックボックスが多い。だから理解できなくて気持ち悪い、それだけなんです。当時のパソコンはむき出しのソースコードで出来ていました。そんなパソコンなら、あなたが苦手意識を持つことはなかったはずです。コードさえ読めば理解できるんですから」
「はぁ……」
 コーヒーのフィルターから全ての液体が落ちきったのを見計らい、ちゃぶ台の方へと持っていく。講義に使ったノートパソコンはすでに折りたたまれていたが、旧型の大柄なものだからちゃぶ台のスペースを圧迫していた。明らかに邪魔なのでそこらへんに積み上げられた本の上に移動させ、代わりにコーヒーと日本茶のマグカップを一つずつと一袋百円のコンビニの煎餅を置く。
「ああ、その本は結構希少価値高いんですが」
「この黒い表紙のですか?」
「ええ。ゲーティアの日本語訳でしてね、オカルトブームのころに出版されたものです。今でもゲーティアの訳本自体は手に入りますが、全編に渡ってこれだけのレベルの翻訳をしている版は――」
「はぁ」
 ゲーティアってなんだろう、と思いつつ、煎餅をパーティー開けにする。
「えと、それで、なんでわたしがプログラマーになれるんでしょう……?」
「ああそうでしたね」
 会長はコーヒーをブラックのまま一口。
「簡単です。あなたには才能があるんですよ。……確認しますけど、プログラミングには一度も触れたことなかったんですよね?」
「はい、そうですけど」
 それどころか、必要に迫られたとき以外ではパソコンに触れたことがない。
「だったらなんでさっき解かせた問題が解けたんです?」
「え……あれ、英語の意味から推測したら簡単でしたけど……」
 講義前のことだ。会長は適性検査だとだけ言って、わたしに穴埋め形式の問題を解かせたのである。
「どこで出された問題か分りますか?」
「いいえ」
「去年のセンター試験の、数学U・B第6問です。分野で言えば『数値計算とコンピューター』。普通科高校ではほとんど触れられない分野ですが、BASIC言語を読み解く問題ですよ。BASICは敷居の低い言語ですし、事前の勉強なしに満点を取る人がいるのも事実です。それでも、パソコン嫌いの人間が満点とっていい問題ではありません」
 わたしは言葉に詰まった。これくらい、誰にでもできると思って解いていたのである。
「とにかく。あなたは『やれば出来る子』なんです。それならば、『やって出来ちゃった子』になった方がお得だと思いませんか?」
 
 
 矢束高校パソコンルーム。下校時刻寸前、パソコン研究会も休み。この部屋にいるのはわたしと千波矢ちゃん、シャオロンさんの3人だけ。
 この部屋で、わたしはそれまでマンガの中でしか見たことのなかった行為に手を染めようとしていた。
 はっきり言って犯罪である。刑事罰に問われるかは分らないが、バレたら停学くらいは覚悟しなくてはいけないだろう。それでも、やらねばならないことだったし、わたしにはやるだけのスキルがあるはずだった。
「本当に、やるの……?」
 パソコンの電源を入れるわたしの後ろから、千波矢ちゃんが声をかけてくる。根が私以上に気弱らしい彼女は、これからわたしが越えようとしている一線が見えるのようにおびえていた。感受性が強いのか、それとも未知の第六感を持っているのか。このときはそう思ったのだが、数時間後には彼女が本物の超能力者だと判明することになる。
「うん。やるよ」
 心は不思議と落ち着いていた。せいぜいこれから電車に乗って隣町に行くくらいの脈拍数。
 パソコンが立ち上がりきるのを確認し、USBメモリーをパソコン本体に装着する。この中に入っているのはハッキングツール。かなり古いソフトなのだそうだが、この方がわたしには直観的に操作できたし、長く使われたソフトは構造が手堅い。
「これでよし……これより、教員室の管理PCに侵入します」
 引き出すべきは、生徒の出欠記録。
 この高校の男子生徒の誰かが、呪いのかけられた封印を破って弓良真十郎の宝刀を盗み出した。これが今回の桜の樹を廻る事件の真相だった。
 呪いの内容は、破ったものに致死性の疫病をもたらす――つまり、犯人である男子生徒の命が危ない。
 事件が起こってからすでに3日。3日間連続で休んでいる男子生徒がいるはずなのだ。
 だからわたしは、その情報を心の底から欲した。
「よっしゃ、やれッ! 電脳戦士ッ!」
「がんばれ!」
 二人の声を背中に受けて、わたしは電子の世界にダイブした。
「わたしがハッキングなんてする日がくるなんて、2ヶ月前は想像もできなかった……これで人の命が救える!」
 
 
 こうしてわたしは、生まれてはじめて自分からパソコンに向き合った。『やって出来た子』になるために。
 

 
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