終わる世界、始まる物語 01「忘れ物はないですか?」 心地よい声が耳に届く。しかしその声とは裏腹に、少しばかり慌てた様子で妙に顔立ちが整った大柄の男、直江信綱は玄関先で立ち尽くす青年、仰木高耶に近付いた。 「筆箱は?頭痛薬と、それからハンカチは持ちましたか?」 「直江…もう大丈夫だって、…」 「あとは、…ああ」 直江は高耶言葉を遮るようにしてキョロキョロと辺りを見回した。今日は妙に落ち着きがない。いつも冷静で落ち着いている直江にしては珍しかった。そして当の本人はある一点に目を向けて少しほっと息を吐き出した。 「はいこれ、お忘れですよ」 そう言って直江が差し出したのは黒い縁のメガネだった。 「ああ…そうだったな…」 1年ほど前の一件以来、高耶は外に出るときこのメガネを欠かさず着けている。ようやく世間から「仰木高耶」の名が忘れ去られてきたとはいえ、高耶の顔は一度テレビで晒されている。只でさえ目立つ容貌なのだ、少しでも周りに与える印象を変えなくては安心して生活が出来ない。今更何を言われようとたいして気にすることもないが、ようやく手に入れた平穏だ。壊したくはなかった。 「いってらっしゃい、高耶さん。頑張ってきてくださいね」 ちゅ、と直江は高耶の前髪をかき上げて、おまじないをするようにキスをした。そんな直江に照れた高耶はぶっきらぼうに、幾分か頬を赤く染めて俯きながら言った。 「いってきます…直江」 パタンと玄関のドアが閉まり、それを見送った直江は深く息を吐き出していた。高耶はこれから試験を受けに行くのだ。それなのに当の本人よりも直江の方が緊張しているようだ。変だな、と苦笑しながら直江は部屋で静かに高耶の帰りを待つことにした。 今年の8月、高耶は高卒認定試験を受け見事合格した。 信長を調伏し、自分自身の魂核異常による命の危機から奇跡にも等しく助け出された高耶には休息と療養が必要だった。しかし、それも僅か3ヶ月でベッドから起き出してしまった。なぜ高耶がそんなに急いでいたのか、直江には手に取るように分かった。失意のまま終わろうとしていた生が動き出し、ようやく未来に希望が持てるようになった今、高耶は自分のやりたいことを成し遂げようとしていたのだ。 それから半年後、予備校と直江の教えで何とか高校の勉強を頭に押し込んだ高耶は高卒認定試験に臨んだ。高校を中退したままだった高耶にはそれを受けなければ大学に入る資格がない。だから必死になって勉強をした、それこそ寝る間も惜しんで。 高耶の夢は昔と変わらず家裁の調査官になることだ。それを叶えるために大学へ行こうと決めた。 最初こそ専門学校へと考えていた高耶だったが、学ぶならしっかり時間を掛けて学んだ方がいいと直江に言われた。家裁調査官になるための資格を取るには、30歳までと制限がある。今23歳の高耶が大学を出たとして、試験を受験するためには3年しか時間が無いことになる。時間が足りない、と高耶は言ったが、それならなお更4年間しっかりみっちり勉強して試験に臨めばいいと直江に上手く諭されたのだ。 そして今日、高耶はセンター試験を受けに行く。高卒認定に合格してから4ヶ月、今度はセンター試験のために勉強をしてきのだ。その成果を今日、解答用紙にぶつけるのみだった。 試験会場は高耶の住むマンションから一駅先の大学だった。因みに丁度ここは高耶が志望している大学だ。そこはセンター試験と言うだけあって既に人でいっぱいだった。 「…流石に人がいっぱいいるな…」 ボソリとそんな言葉が洩れる。 基本的に高耶は本番に強い。意味合いは違うが、今まで怨将たちと一発勝負、生きるか死ぬかの中で生活してきたせいか、試験の時余程のことがない限り緊張することは無かった。 しかし、今はどこか緊張しているのだろう。知らずに独り言が増える。 「一通り過去問もやってきたし、大丈夫だ…」 そう呟いてぐっと拳を握り締めた。 そんな中、高耶は何か視線を感じてはっと顔を上げた。見れば目の前に、高耶より幾分か背が高い男が立っていた。 その男は茶色に染めた少し長めの髪を後ろでくくり、顎に手を当てて高耶をじっと見下ろしていた。一瞬、誰かが憑依しているのかとも思ったがそういうわけではないらしい。だが、その男の髪型が何処か千秋修平を思わせて高耶の表情がふっと緩んだ。 「ねぇ…君さ、俺と会ったことある?」 「は?」 唐突にそう問われて、高耶は目を瞬かせた。 「うーん、君の顔どっかで見た気がすんだけどさ」 まずい、と高耶は思った。あの事件からもう1年も過ぎているとはいえ、今まではこんなにまじまじと自分の顔を見てくる奴などいなかった。だけどどうだ、この男ときたら首を捻り徐々に高耶に近づいて来るではないか。高耶は顔を逸らした。 「気のせいかな…。まぁ、いいや。…君も受験生だよな?」 「…あ、ああ」 「じゃあお互い頑張ろうな。全力尽くして」 男は、世間一般的に整っていると思われる顔をニッコリとさせてた。そしてさり気なく高耶に手を振りつつ、立ち去り際こう言った。 「なんか君とはまた会いそうな気がする。またな」 高耶はただただ、ぽかんとするばかりだった。 >> 02 →BACK |