蝉の音が四方八方から鳴り響く夏の午後。
 風も無く、熱を帯びたアスファルトには逃げ水の蜃気楼が浮かぶ。

 それを三階にある自室の窓から眺めていた華絵は、一階の大広間から聞こえる大人たちの笑い声が上がるたびに、びくりと肩を震わせていた。

 夏のこの時期、親戚一同が本家藤代邸に集まり夜通し宴会を行うのは毎年のことだ。
 しかし華絵にとって春先に起こった我妻養成所での出来事はまだ記憶に新しく、以来どうにも親戚の大人たちに苦手意識を持ってしまっている。

 否、自分の立場にとでも言うべきか。

 それでも夕食の席には本家の娘として必ず出席をしなければならない。

 気が重いのは雪絵も同じなようで、二人は同時にため息を零しながら女中に取って置きの着物を着付けてもらい、すでにしこたま酔った大人たちが囲う宴会の広間へと案内された。

 白い照明が照らす三百畳の大広間には漆塗りの長テーブルがずらりと並べられ、親族を代表する錚々(そうそう)たる面子がそろっていた。

 中でもその上座に鎮座する大柄な老人、当主である藤代武永の存在感たるや凄まじく、皆一様にその場を楽しんでいるように見えて、その実武永の咳払い一つに神経を研ぎ澄ませて注視している。

 屈強な猛者を思わせる浅黒い肌に無骨な顔立ち。
 今年古稀(こき)を迎えた老体でありながらその体つきは筋骨隆々としており、身長など190をゆうに越える稀有な老爺(ろうや)である彼は、今から数年前に家業である製薬会社を娘婿に一任してからというもの、龍虎の勢いで政界へ飛び込み、今もなおその勢いたるや留まるところを知らない。

 数多くの若き政治家の信望を集め、固い有権者に支えられている武永は、高齢であるハンデを抱えながらも次期総理と名高い日本の重鎮の一人だ。

「武永様、お久しぶりでございます」
「ご当主様、阿久津のせがれに是非ご挨拶をさせてください」
「ご無沙汰しております武永様」

 上座に座る武永の前を各親族の年長者が取り囲み、我先にと声をかける。
 常に政務に追われている彼が年単位で家を空けることは珍しくなく、今回の帰郷も5年ぶりとなれば、直接当主と話が出来るチャンスに飛びついてしまうのも無理は無い。
 しかし武永は終始けだるそうな態度を隠そうともせず、彼らの話に頷くそぶりも見せず、入り口に立つ二人の幼い少女の姿を見た途端、右手を振って周りの者を散らせた。

「こちらへ」

 しゃがれた低い声で武永が言う。

 視線は手元の料理に落としたままだったが、それが広間の入り口に立つ雪絵と華絵に向けた言葉であることは明白だった。
 二人の少女は女中に促され、武永を挟むようにして上座に着席させられる。
 すぐさま二人用の料理と、子供用のオレンジジュースが運ばれてきたが、緊張のあまりに手をつける気にはなれない。

「一の姫雪絵。二の姫華絵にございます。二人とも、ご当主様にご挨拶を」

 どこからともなく現れた着物姿の母を見て、二人の少女が不器用な挨拶をする。
 ほとんど雪絵の見よう見まねで頭を垂れた華絵が顔を持ち上げると、武永の鋭い眼光と視線が交差した。彼は真っ直ぐに華絵だけを眺め、雪絵のことなど視界には入っていないような素振りを見せる。

「腹が減っているだろう。食べなさい。お前は刺身は食べられるのか」

 質問されていることに気づいた華絵が、慌てて頷く。

「依然見たときは赤子に毛が生えたようなものだったが、大きくなったな、華絵」

 彼が具体的に名指しで語りかけたことで、華絵を含める周囲の者の緊張感が増す。
 その場の誰もが薄々感じてはいたものの、武永が華絵の名だけを呼んだことで、彼が意思を持って雪絵を無視していることが明らかになってしまったのだ。

「この楔は今年でいくつになる」
「今年の春に10歳になりました」
「そうか。早いものだな。もう立派な楔だ。イヌは染谷の孫息子だったな」
「はい」

 緊張気味の母の声と、武永のやりとりだけが広間に響く。

 自然と皆の視線は広間中段で席についていた染谷一族に向けられ、その中で静かに佇む青い瞳の少年に集まる。

「あの青目の童子(わっぱ)か。なるほど良い面立ちだ。鬼火もさぞ青かろうな」

 ちらりとレンを見やった武永がそう呟くと、染谷家の重鎮と思われる老人が立ち上がり、いそいそ床をするように進むと武永の前で傅き、周りの大人たちに引きずられるようにして出てきたレンもその横に膝をついた。

「こちらが華絵様の狗(いぬ)を仰せつかりました、染谷のレンにございます」

 そう言って染谷家の老人はレンの頭を畳にこすりつけ、自身もまた深く礼をする。

「鬼火は青く鮮やかで資質も備わった忠犬でありますゆえ、きっと楔様の、ひいてはお家のお役に立つことでしょう」
「ふん」

 熱燗をくいっと飲み干すと、武永は空になったお猪口をテーブルに置きながら、今一度レンの面差しを見やる。

「過去を見ても青の鬼火を持つ狗は忠犬が多い。せいぜい励め」

 それだけ言うと武永はレンと染谷の者を下がらせ、「休む」と告げてその場を後にした。

 残された親族はやっとのことで肩の力を抜き酒の席を楽しみ出したが、上座に座ったまま動くタイミングを逃した少女二人は俯き、固く冷えていく料理を今なおじっと見つめている。

「……おねえちゃん……」

 姉にだけ聞こえるようにそう囁く。

 肩も震わせずに、静かに頬を流れる雪絵の涙に気づいているのはおそらく自分だけだろう。
 その姿を見て、華絵は泣きたくなった。
 皆の前で公然と雪絵を無視した武永を冷たく思い、でもその理由が分からず、混乱したまま込み上げる切なさと悲しみに、膝の上の小さな両手を握り締める。

「泣かないで華絵。……しょうがないよ。私は、楔姫じゃないから」

 泣いている妹に気づいた雪絵が、自分も大粒の涙を零しながらそう呟く。
 華絵は俯いたまま視線を横にいる姉に向けて、眉根を寄せた。

 この家で、時折女中が「楔姫」と呼びかけるのは華絵にだけではない。
 雪絵がその二つ名で呼ばれているのを華絵は何度も耳にしてきた。
 皆が雪絵と華絵、分け隔てなく公平に扱っているし、長女である分、何かと先立って優遇されるのは雪絵だったりもした。だから、なぜ武永が雪絵にだけあのような態度を見せたのか、まったく理解が出来ない。

「狗がいなければ、楔姫には成れないんだよ。だから私は楔姫じゃないの」
「……いぬ……」
「だから私は、役立たずなの……」
「おねえちゃんどうしてそんな事言うの。なんでそんな事言うの」
「しょうがないよ。それが、この家のしきたりなんだから」
「おねえちゃんは役立たずじゃない……!」
「この家で本当に大事にされてるのは、……華絵だけ」

「雪絵様」

 その時、優しい声が姉妹の会話を遮った。いつの間にか二人の前に膝をついて座っていた長身の男性が、雪絵の名を呼んで手を差し出している。
 上品な濃紺の着物に身を包み、艶やかな黒髪を顎の先ほどまで伸ばした彼は、いつも母の側にいる分家の男性だ。藤代家にも多く出入りをしているため、他の親族よりは姉妹と縁の深い彼の姿を見て、雪絵は唇を噛んで涙をせき止めるとその手を取って立ち上がった。

「ごめんね華絵。私、マキと先に部屋に戻る」
「……」

 マキ。そうだ。そんな名前の男性だった。
 確か久々宮家の人だった気がするが。姉をまかせても大丈夫かと少女は一瞬戸惑ったものの、非力な自分には何も出来ないだろうと諦め、結局頷いてその言葉に従った。

――おねえちゃんは、楔姫じゃない……?

 でも、だったらどうだと言うのだろう。
 雪絵と華絵の何が違うというのだろう。そもそも、楔姫とは何を定義する言葉なのか……。



 すっかり宴もたけなわとなった宴会場から、気をきかせた女中の計らいによってやっとのこと抜け出せた華絵は、あの場では何も口に出来なかったことを今更思い出し、鳴り始めた腹の虫を収めるため着物姿でふらふらと厨房に向かった。

 しかしその途中通りかかった玄関ホール辺りで、何かひそひそと話し合う声が聞こえ、ふと立ち止まる。

 やがて声の主の一人が国枝であることに気づいた少女は咄嗟に柱の陰に身を隠した。

「……実の姉があんな仕打ち受けて、平気な顔してるなんて信じられない」

 国枝がそう言うと、彼女の隣に座っている誰かが抑えたような声で何か言い返した。きちんと聞き取れるよう、華絵は目をつぶって耳をそばだてる。

「……しょうがない。あの子は何も知らないんだから」
「本家の娘だからって贔屓されすぎだよ。他の家の楔はちゃんと小さい頃から躾けられるのに、どうして華絵だけ毎日遊んでていいの? 楔として目覚めるどころか、レンが狗だってことすら分かってない」
「誰も教えないからだ」
「だからそれが分からないの! どうしてあの子だけ特別に扱うの?」
「それが……武永様のご意向だから」
「…………」

 そう言われては二の句も継げられなくなってしまった国枝が、悔しそうに唇を噛む。

「……どうして私が、レンの楔じゃないんだろう」
「俺に言われても」
「私が一番レンと仲良いのに。私だったら絶対、華絵よりもレンを大事にするのに」
「……」
「……どうして、生まれたときから楔は決まっているの」

 震える国枝の声が、静かな玄関ホールに響いては悲しく消えていく。
 その時、柱の裏に立っていた華絵は閉じたまぶたの裏に一瞬、青い閃光を見た。

「……っ……!」

 雷が全身に落ちたような衝撃を受けて、少女は一人その場によろめく。
 轟々と燃え上がる高温の青い炎のような、深い深い海の底のような、言葉にしがたい青の色がまぶたを覆いつくし、それから逃れようと本能的にすばやく瞬きを繰り返す。

――なにっ……今のは……。

 心臓は未だ早鐘を打っていて、よろめいたままぺたんと床に腰をつけた少女は、謎の衝撃に戸惑った。

「誰!」

 次の瞬間、僅かな衣擦れを聞いた国枝が声を上げ、二人分の足音が近づく。
 柱の影で小さく蹲っていた華絵の姿を見ると、国枝は目を吊り上げ、咄嗟に隣の少年の腕にしがみついた。

「最低! 盗み聞きしないでよ!」
「……ごめ、ん」

 じっと心臓に手を当てているといくらか鼓動も収まってきたので、華絵は最後に息を吐き出すと力なく立ち上がる。
 すぐに立ち去ろうと思ってのことだった。
 彼女がこちらを心底毛嫌いしているのは知っているし、華絵も国枝に対しては苦手意識がある。それに……。

 国枝の隣にいる青い瞳の少年をちらりと見やる。

 レンとも、春先に養成所で起こったあの事件以降距離をとるようになってしまっている。淡い恋心があったぶん余計にもう合わせる顔が無いと、そんな臆病風に吹かれてしまったのだ。

「もう、行くから……」

 床を見つめたままそう呟いたとき、国枝の指先が、レンの手にしっかりと絡んでいるのが見えた。
 幼馴染らしき二人が、仲が良いことは知っている。手を繋いでいるのを見るのも初めてではないのかもしれない。

 それなのに、やっと正しいリズムを刻み始めた心臓が、再び熱を持つ。

「レンの手を離して」

 自分のものとは到底思えない、冷たい声がホールに響いた。
 国枝が、見開かれたハシバミ色の瞳でこちらを見つめている。

「離して」

 もう一度告げる。それでも国枝がぴくりとも動かないことを知った華絵は視線をレンに移し、その青い瞳に告げる。

「レン、その女の手を離して」

 それは、華絵が自身の狗に下した、初めての命令だった。







 広大な藤代邸の北奥に、藤代武永の書斎はある。
 殆どの使用人が出入りを禁じられているその部屋を四度ノックして、久々宮マキは武永の返事を待った。

 しばらくすると入室を許可する重厚な声が返ってきて、彼は頭を垂れながらドアを開ける。

「……そうか。ついに目覚めの兆しか」

 マキから報告を受けた武永が、デスクの上の書類に目を通しながら呟く。

「はい。先ほどロビーで我妻の娘と何か言葉を交わした際、突然気を失い、倒れられました。今はまだ眠っておりますが、そのお体からかすかに鬼火の反応が」
「ふん。まぁどちらでもよい。楔が自覚しようがしまいが、さして変わりもせん」
「今二の姫様のお側に狗を付けさせております。そうするようにと、染谷家からの要望がございましたので」
「ご苦労なことだな。だが華絵はまだ未熟な楔だ。一度反応を出した程度で騒ぐこともない」
「……」
「だがそれでいい。楔は、馬鹿であればあるほどいい。賢い女など懸念材料にしかなり得ぬ」
「……このまま染谷の狗を側に置いておきますか?」

 マキの問いかけに、武永は書類をめくる手を休め、先ほど大広間で見た青い瞳の少年を思い浮かべる。

「よい。楔が目覚め次第、二人を「躾の間」に呼べ」
「……は」

 思わず視線を持ち上げたマキは、武永の言葉に眉根を寄せる。

「しかし……レンは素直な狗です。今更躾ける必要はないかと」
「マキ。二度同じことを言わせるでない。よいな」
「……畏まりました」
「昔から、青の狗は忠義に厚い反面駄犬も多いのでな」
「……」

 鋭い眼光を目の前の男に向けてそう言うと、武永は白髪交じりの髭を蓄えた口元に不遜な笑みを浮かべた。



 突然意識を失ってからわずか3時間ほどで、華絵は目覚めた。
 たっぷり丸一日寝たかのような充足感と僅かな倦怠感を感じて、重たい上半身を起こす。

 頭はすっきりしていたけれど、いつ自分がベッドに入ったのか思い出せず、きょろきょろとあたりを見回す。人形やおもちゃで溢れ返った部屋は薄暗く人気も無い。だからベッド脇のロッキングチェアが軋んだとき、華絵は思わず吐息だけの悲鳴を上げてしまった。

「すみません」

 ゆったりとした木製のロッキングチェアの上で、膝を抱えて座っていた少年が静かに謝罪する。
 華絵はそこで初めてレンが至近距離にいることに気づき、小首をかしげた。

「……レン、どうしてここにいるの」
「えっと……」
「もう夜でしょう? おうちに帰らないと家の人に怒られちゃうよ」
「はい」
「……」
「……」

 もとより口数の少ないレンと、今は彼に対して複雑な感情を抱く華絵。
 会話は途切れたまま、二人の間に気まずい沈黙が流れる。
 そうしてるうちに徐々に先ほどの記憶が蘇ってきて、華絵は突然勢いよくレンの方向へ体をひねった。

「さっきね! 青い光が雷みたいに落ちてきたの!」
「え?」
「いきなりで驚いちゃった。そしたら私……それから、あれ……」
「……」
「それから私、どうしたんだっけ……」

 尋ねるでもなく、独り言のように華絵がぶつぶつと呟く。
 その様子をしばらく見ていたレンが、彼女の独り事に答える。

「国枝と手を繋ぐなって言って、それでいきなり倒れたんです」
「倒れた……? 私が……?」
「はい。それで、俺は楔姫様の側にいるように家の者に命じられました」
「……」

 そう言われればそんなことを言ったかもしれない。
 普段は彼に対して臆病な華絵だが、あの時はそう言うのが当たり前だと感じた。でも、なぜだかは分からない。
 しかし考え込むより先に華絵の腹の虫が鳴り出し、静かな部屋に響き渡る。それが甲高くマヌケな音だったので、華絵は仰天し咄嗟に両手で腹を抱えた。

「……っ!」

 よりにもよってレンの前で。
 そう思うと一層顔の熱は増して、まだキュルキュルとしぶとく鳴り続ける腹のせいで嫌な汗まで浮かんでくる。

「……腹減ってるんですか?」
「へ、減ってない」
「……」
「減ってない!」

 恥ずかしさのあまり動転してそう叫ぶと、今まできょとんとしていた少年が、突然小さく吹き出して笑った。
 そんな風にしてレンが笑うのを始めて見た華絵だったが、今は到底恥ずかしさが勝っていて感動する暇も無い。それどころか想い人に醜態を笑われたことで、幼い少女はひどくショックを受け、目に涙すら浮かべ出す。
 それに驚いたのかレンは椅子から飛び降り、ベッドに突っ伏したまま顔を隠してしまった華絵の肩に手を置いた。

「あ、あの……なんか食べるもん持ってきましょうか……?」
「お腹すいてない!」
「でも……」

 幼い少年に、少女の複雑な心中を察しろというのも無理な話で、二人はそのまましばしのこう着状態に陥る。

「……あの、楔姫様……」
「なにっ」
「すみませんでした」
「……え?」

 沈黙を破ったレンの謝罪が、何に対してなのか分からずに、華絵は鼻をすすりながら顔を上げる。
 涙でぐしゃぐしゃになった少女の赤い顔を冷静な青い瞳が覗き込んでいる。それはいつもと寸分違わぬ透明で静かな瞳。

 けれど今日は、その奥に隠された戸惑いの色が見えた。

――レンが困ってる……。

 何でそんな風に感じたのかは分からないが確信があった。

「……ううん。……えっと、あの、私もごめんなさい」
「……」
「すごく、お腹がすいてるの。……宴会だと緊張して、ご飯食べられなかったから」

 素直に白状してしまえば、ぐっと気が楽になった。
 情けない笑みを浮かべる華絵を見て、レンもやっと安堵したのか唇の端を持ち上げる。

「何か持ってきます」
「……レンはお腹すいてないの?」
「俺は平気ですから、楔姫様は食べてください」

 そう言って少年がベッドに上げていた片足を下ろして部屋のドアへ向かい歩き出す。

「ねぇレン」

 その時、ふと以前から考えていたことを思い出して華絵はレンを呼び止める。呼ばれた少年は振り返り、不思議そうに二度瞬きをした。
 その青い瞳の奥にはたくさんの感情が見え隠れしていたが、幼い華絵には複雑過ぎて、たったの1つも名前を付けることが出来ない。

 それにしても、なぜ気づかなかったのだろう。クールで無口だと思っていたレンだけれど、こうしてちゃんと読めば、彼はこんなにも感情豊かな人なのに。

――……読む?

――読むって、何を……?

「……姫様?」

 黙りこんでしまった華絵を見ながら、レンが首をかしげる。

「……あ、あのね、何だっけ。あ、そうそう! どうしてレンは、私のこと楔姫様って呼ぶの?」
「……え」
「おねえちゃんのことも、楔姫様って呼ぶの?」
「えっと……」

 ドアとベッドの中央地点で立ったまま、少年が指先でこめかみを撫でる。

「私はレンって呼んでるよ。だからレンも、私のこと華絵って呼んで」
「……」
「だめ?」

 そうせっついたとき、ギィっと鈍い音を立てて部屋の扉が開かれる。
 お仕着せ姿の女中が、ベッドの上で目覚めている少女と、振り返った少年の姿を確認すると、頷いて一歩下がる。そんな彼女と入れ替わるようにして部屋を覗き込んだマキは、呆けている二人に向かって出来る限り優しい声音で告げた。

「二の姫様、レン。武永様がお呼びです。付いていらっしゃい」