涼の鴨川






 気配も見せず、独りでに部屋の扉が開く。

「平次ーっ!これから京都行かへん?」

「はぁっ!?」

 自分の家ではないというのに、気兼ねなく自由に家へ出入りできる特権を利用して、
しばしば顔を出しに来る自分の幼馴染。親同士の交流が深いのかは知らないが、
この部屋の住人にしてみれば、結構いい迷惑だったりもするのである。

「何や、行き成り!」

「何て……せやから、京都行かへん?」

 楽しそうに言う和葉に、平次はしかめ面で訊ねた。

「何で京都やねん?」

「あれ、アカン?鴨川沿いとか、結構、涼むんにええ場所あんねんよ?」

「鴨川?桜見るんやのォて、涼みにか?」

 不思議そうに訊ねる平次を、和葉は呆れたように見た。

「……この時期に桜咲いてんねやったらそれこそ大事件やわ。
 ホンで?行く?それとも行かん?」

「……。別に用もあらへんし、行ってもええけど?」



「――しかし、あれやなァ。ついこの間までは、
 祇園祭でごった返しとった京都も、1週間経ったら大人しなんなァ」

 そう言うと、平次は四条通をのんびり歩きながら、
普段と同じレベルまで戻った人の数を眺めた。

「そらそうやわ。祇園祭なんて京都の三大祭の1つやで?盛り上がらん方がおかしいて。
 ……1回、蘭ちゃんたちと祇園祭見に来れたらええなァ」

「そうやなァ。何処行っても人混み人混みでろくに見れんかもしれんけどなァ」

 面倒くさそうに言う平次を和葉は不満そうに見る。

「他に言い方ないん?」

「せやけどなァ。少しでも人の少ない所で見ようとする人らで、
 連日周辺の店舗ですら満員電車状態なんやで?見に来るだけで一苦労やないか」

「そうまでしてでも見る価値があるから、毎年大勢が見に来はるんやんか!」

 無駄足と言い張る平次に和葉は頬を膨らませて抗議した。



「んー!やっぱええわ!」

 四条大橋の傍にある階段から鴨川に下りた和葉は、木陰で気持ち良さそうに背伸びをした。
平次はと言うと、近くの草むらに寝転がりながら、呆れたように和葉を見ている。

「おい和葉。大人しゅう座っとけや」

「せやけど、こうゆうのしたならへん?」

 不服そうに言ってから、平次の傍らに座り込む。

「そらな……分からんこともないけど……」

「せやろ?」

 平次を見ながら満足げに笑うと、和葉は天を仰いだ。

「こんなに雲一つない空で、暑くも寒くもない日やもん」

 平次の言葉を聞いて、和葉は嬉しそうに笑うと、ふと鴨川に目をやった。

「なぁ、平次。犬が鴨川泳いどる!」

「はぁっ?」

 和葉の言葉に驚いて、平次は腰を上げて鴨川を見た。

「ホラ、あそこ。川縁んトコで、水浴びしてんのと、
 反対側んトコは、首輪外してもろて泳いでるやろ?」

 確かに和葉の指差す先で、犬達が水と楽しそうに戯れている。
それを見て、平次はしみじみと言った。

「大人は大人で、釣りする人間もおるけど、子供や犬にとったら水遊びに丁度ええ場所なんやろなァ」

「……ホンならきっとアタシらみたいな歳やったら、息抜きに丁度ええんやろね」

「へ?」

 自分の方を見て言った、和葉の最後の言葉に平次は首を傾げた。

「平次のおばちゃんに訊いてん。ここ最近、平次疲れてるみたいやったから。
 ホンなら、頼まれた事件の捜査で、毎晩毎晩遅まで駆け回ってるて教えてくれてん。
 事件自体は、昨日片付いたみたいやったから、気分転換でもさせたろ思て」

 そこまで言って、意外そうに自分を見ている平次に気付いてから、慌てて付け加えた。

「――って!せ、せやからて、別に変な意味なんて、あらへんよ!
 アタシも丁度、京都に行こ思てただけで、その……!ちょ、ちょうどたまたま――!」

「アホか」

「は?」

 平次の口から出た言葉に、和葉は目を丸くする。

「別にそんなもん、頼んどらんわ」

「――なっ!」

 和葉が文句を言おうとしたが、平次の言葉に遮られた。

「確かに、ええ息抜きにはなったけどな」

「……ホ、ホンマ!?」

「まあ、せやろな。あの事件は、何やえらいバタバタ捜査しとったからな、
 家帰ったら直ぐ寝るような毎日やったから、休む暇もあらへんかったし」

「そんなに大変な事件やったん?」

「いや、事件自体はそない入り組んどらんかったし、まだ簡単な方やったんやけど、
 向こうの都合で、早よ解決せなアカン事件やったから、それで忙しかったんや」

 そう言って、平次は再び草むらに寝転がった。

「せやから、今日は家でのんびりしよ思っとったんや」

 不意に平次の口から出た言葉に、和葉は顔を曇らせた。

「あ……ホンなら、邪魔したんやね。アタシ……」

 そう言ってから急に黙り込んだ和葉を見て、平次は肩をすくめた。

「変わらへんやないか、別に」

「え?」

 この言葉に、和葉は曇った顔を少しだけ上げた。
平次は平次で、少し照れくさいのかして、頬を掻きながら続ける。

「俺はただ休息したいだけやったから、それが外か中かの違いなだけやろ」

「平次……」

「――ホ、ホンなら行くで!いつまでも、鴨川にいてることもないんやろ!」

 突然立ち上がってそう言うと、鴨川沿いに五条方面へ進み始めた。
行き成りのことに、呆然としていた和葉だったが、慌てて平次を追いかける。

「ま、待ってェや!平次!」



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