和やかなTea Time






 ――お前は組織を抜けて、ここに来てどう思った?
 ――悪くはないわ。



 いつかの学校帰りの帰り道。探偵団三人と別れた後で行われたやり取り。
質問に対しての回答に、コナンは顔をしかめた。
どこか答えになっていない答えでは、それも無理はない。
他に別な言いようもあっただろう。しかし、それでも哀は素直に言えなかったのだ。

 自分の身が危険になると理解した上で、哀を引き受けている博士。
初対面時こそ、敵意むき出しだったものの、今ではむしろ哀をかばう側の探偵。
どちらとも、自分にとっては最高の理解者的存在である。

 特にコナンに至っては、いつだったか哀に言った言葉の通り、
危機的状況に陥れば、毎回体を張ってでも守り抜くという頼もしい存在でもある。

 ――誰か、頼れるほど信頼出来る人物と他愛無い会話で日々を過ごす。
姉を組織に殺害されてから、ずっと抱いていた「逃げ出したい」という気持ちと、
自分の思い描いた理想の日々。その時の希望がそのまま反映されたのが今の生活なのだ。

 博士は発明に関しては、たまに失敗はするものの、穏やかな人物である。
そしてまた、直感的に人の感情を見破ってしまうところもある。
いくら平気なふりをしても『何かあったのか?』と勘付かれる。
その度に、哀は『また話すわよ』と話を逸らしていた。

 しかし、コナン相手ではそれもそう上手くは行かない。
『また話す』と言ったにしても『絶対話さないだろ』と切り返される。
だが、哀がそう頼むより先に『博士には話さねーから心配すんな』と言われてしまう。
それだけではない。自分自身が壊れそうな時、『何かあっただろ?』と声をかけてくる。
博士も敏感だが、コナンはそれ以上に人の心を見透かすことが出来る人物である。

(……まあ、切羽詰った時にあえて訊いてくるあの行動は、
 私の気持ちに歯止めが利かなくなるのを考慮の上なんでしょうけど)



「――灰原?」

 聞き慣れた声が、哀を現実の世界へと引戻す。
哀は今、近所の図書館へと来ていた。博士の研究の邪魔をしないように、である。
本を読んでいる最中に、無意識に自分の思考の世界へ入っていたらしい。
聞こえたその声に我に返ると、哀は相手を見つめると不思議そうに言った。

「工藤君。どうしたの?」

「何だよ、その意外そうな言い方は」

「意外よ。どうせ殆どの推理小説は読んでるんでしょ?今更図書館に来なくても――」

 そう言う哀に、コナンは児童書を哀の方へチラつかせた。

「――課題図書」

「ああ、読書感想文ね」

「そういうこと。――ったく、今更児童書で読書感想文かよ……」

 いかにも面倒臭そうに言うと、コナンは哀の向かいの席に腰掛けて本を読み出す。
そんなコナンを哀は一瞥してから、窓越しに空を見上げる。
元は高校生である。小学生――ましてや小学1年生用の課題図書とあらば、
即座に読みきってしまうだろう。その間の時間が短時間なら再び本を読むより効率が良い。



「――お前この頃、よく空を見上げるよな」

「え?」

 それから十数分。意味もなく窓の外へ目をやっていると、目の前でコナンが話しかけた。
その様子に哀がコナンの手元へ目をやると、そこには閉じられた本が置いてある。
本を読み終わったのだと理解すると、哀は怪訝そうにコナンを見つめた。

「何よ、行き成り」

「別に。ただ、お前が物思いにふけるときはよく空を見上げてるよなぁ、と思ってな」

「そう?意識はしてないけど。まあ、組織にいた頃はホントに封鎖的だったからね。
 ボーっとしてる時は大体外を眺めてたわよ」

「へー。お前が組織にいた頃は研究に熱心になってたのかと思ってたのにな」

 皮肉も若干交えたのか、コナンは面白げに言う。
哀はその言葉に一瞬微笑しただけで、再度窓の外へ目を向けた。

「……そうね。お姉ちゃんが殺される前までは、そうだったかもしれないけど」

「あ……悪い」

 哀の言葉に慌てて謝るコナンだが、哀は無言で首を振る。

「ねぇ、工藤君。前にあなた私に訊いたわよね。『ここに来てどう思った?』って」

「へ?あ、ああ……。でも、それがどうかしたのか?」

 話が急に変わって、コナンは不思議そうな様子で哀を見た。

「工藤君はどう思ってるの?今の生活」

「え?」

 その質問にコナンは驚いたように哀を見返す。
その後で唸りながら難しそうに顔をしかめて頬をかいた。

「蘭のことさえ除けば、俺はまんざらでもねーけどな。結構気に入ってるぜ?」

「そう。……それで、工藤君は私のこと怒ってないの?」

「はあ?何でだよ?」

 訊かれて、不思議そうにほぼ即答して返すが、哀はバツが悪そうに視線を逸らす。

「だって、私は元々――」

「『組織の人間だから』ってか?」

 自分で言うより先にコナンに言われてしまい、哀はただ黙って頷いただけだった。
その様子を見ると、コナンは呆れたようにため息をもらす。

「そりゃ、少しは頭ん中に入れてるぞ?」

「少し?」

「んなもん。全部忘れてたら、お前の状況まで忘れるだろ?」

「何よ?状況って?」

 眉間にシワを寄せて訊く哀に、コナンは至って真面目に前を見据える。

「言っただろ?『ヤバくなったら俺が何とかしてやる』って。
 お前が昔組織の人間で、今は逆にその組織から追われる側だ。
 それ忘れてりゃ、守るも何もなくなっちまうじゃねーか」

 そう言うコナンの態度に、一切の偽りは見られない。
そのあまりにも真摯な様子に、哀は小さく吹き出した。

「変わった人ね」

「うるせーよ」



 図書館からの帰り道。河川敷を歩いていると不意に哀が話し出した。

「……あの時はごめんなさいね」

 急にそう言われ、コナンはキョトンとして哀を見る。

「あなたが『お前は組織を抜けて、ここに来てどう思った?』って訊いた時の話」

「ああ。あれか。でも何で謝る必要があるんだよ?」

 怪訝そうに訊くコナンに対して、哀は川辺へと目を落とす。

「『悪くはないわ』って答えたとき、工藤君顔しかめたでしょ?
 あの時は言いづらかったのよ。私はそんなこと言えるような立場じゃないもの」

 何処か寂しげに言うと、哀は近くの川辺に腰を下ろした。
その行動に、コナンは黙って哀の傍へ座り込む。

「今の私は相当人に助けられてる。……組織にいた頃は人を頼るなんて出来なかったのにね。
 『自分は自分のことだけを考えていればいい。他人のことは考えるな』そう言われてたわ。
 それの名残でしょうね。あの頃から比べたら、今の自分の状況が許されなく思うのよ」

「お前なぁ……」

 呆れたように呟くとコナンは深くため息をついた。

「今は『灰原哀』としてここにいるんだろ?
 『宮野志保』の時の感情を『灰原哀』の時に持ってきてどうすんだよ?
 そりゃ、組織の事を考えるなとは言わねーけど、組織にいた頃と今の自分は別人だろ?
 それなら、自分の思う通りに過ごしてりゃ良いじゃねーか。
 誰かが止めない以上は間違った行動じゃねーんだから」

「楽天家思考もそこまで行くと大した慰めの言葉ね」

「おい……」

「冗談よ」

 ハナからの皮肉にコナンは顔をしかめるが、哀は面白げに返す。

「――実際は博士には感謝してるわよ。工藤君にもね」

「……何だよその取って付けたような言い方は」

「さあね。どうかしら?」

 爽やかにそう流すと、哀は流れる川に顔を映す。

「それにあの子達にもね」

「あの子達って……元太達のことか?」

「ええ」

 そう言うと哀は安堵した様子で微かに口元で笑った。

「――で?全体的に見た感想は?」

「色々あるけど、総じて言うなら理想に近い世界かしら」

「……理想の世界?」

 抽象的なその言い回しにコナンは眉をひそめるが、哀は黙って頷いた。

「そう。組織にいた頃、何もかも嫌になった時に、頭で描いていた世界。
 それが今の私『灰原哀』が生きている世界よ」

「要するに、穏やかな生活ってことか?」

「組織に対する威圧感さえなければね」

「――大丈夫」

 そう言うと、コナンは虚空に空を見上げてスッと立ち上がる。
その際に、哀を優しく見下ろしながら――。

「いつか、お前が思っている“生活”っていうのが訪れる時が来る。
 まぁ、それがいつになるかは保障できねーけど、絶対に来るよ。
 自分自身の“理想の世界”がな」

「……そうね。いつか来てくれるといいわね」

 いつか全てのことが片付いたら――。
途方もない未来に少しの期待を抱きながら哀は再び空を仰いだ。
今の心を表すように、雲一つない快晴の空が目の前に広がっていく。

「――ねえ工藤くん。もし今から何も用がないなら、博士も交えてティータイムなんてどうかしら?」




 いつか夢見た理想の世界。その内の一つのティーパーティ。
規模は小さくとも、参加者が信頼のおけるメンバーならたとえそれでも構わない。
純粋な『灰原哀』を過ごすための第一歩。そんなちっぽけで些細なきっかけ――。



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