〜心からの理解を side*England〜



まだ早いのは解っている。

到着予定時刻は五時。まだ早い。解っているのに、足がソワソワと落ち着かなかった。
待っている時間がもどかしい。
浮かされるように、強い春風の中に飛び出した。

当然の事ながら、待ち合わせ場所にあいつの姿はない。
「何焦ってんだ俺…」
駅前通りの大時計を見上げて溜息を吐く。誰に見られている訳でもないのに、気取られるのではと恥ずかしくてならない。
「………」
早く来れば良い。
一本でも二本でも、早い列車で来てくれれば良いのにと思う。
認めたくないけれど、本当は電話越しに声を聞いた一週間前から待ち遠しかった。
最近会ってなかった事だとか、久々に聞いた声だとか。頭は色々な事を無意識に感じ取っていて、知らないうちに気分を高揚させる。


楽しみ
会いたい
待ち遠しい
声が聞きたい


態度に出すなんて出来ないし、ましてや素直に口にするなんて俺のプライドが許さない。
例え全てがあいつに筒抜けでも、だ。
差し出された手を取ったあの日から、それは変わらない。





〜心からの理解を side*England〜





「――今、何て言った…?」

まさか、こんな事が現実に起こるなんて。天と地が逆さになっても有り得ない事だと、きっと俺達以上に世界中が思っていただろうに。
「え、不満なのか?ファショダはお前に譲るって言ったんですけど…」
何『意外』って顔してんだよ。驚いてるのは俺の方だ。
アフリカ大陸縦断作戦の途中、同じく大陸を横断していたフランス軍に先を越されたファショダの地。
いや、先こそ越されたが、我々にとって楽に土地を手に入れるチャンスでもあった。
地元の抵抗勢力と剣を交えたのはフランス軍だ。多少の差はあるにしろ、戦をこなしたばかりの軍隊は戦力が衰える。
そんな状態でこちらの軍と激突すれば、勿論無事では済まない。
かと言って、獲得した土地をみすみす他国に譲れば国家の沽券に関わる。特に、俺に譲り渡すなどフランスにすれば最悪の汚点だろう。
徹底抗戦も充分有り得る事だと踏んでいた。あいつも、俺も、ずっとそうして生きて来たのだから。


あの運命の日。あいつは俺の敵になり、俺はあいつの仇になった。
片時だって忘れた事はない。欲しくて、手に入れたくて、焦がれて焦がれて止まなかった、狭い海峡の向こうの国。
俺が唯一、奪えなかった国。


だから決して相居れない存在だと思っていたし、実際にそうだった。
あっちが動けばこっちも動いた。常にあいつとは正反対の位置に身を置いた。
なのに今、その方程式が崩れて行く。
良い方向に向かうのかは解らないけれど、確実に何かが変わろうとしている。
「あ、ただしモロッコは俺に譲ってくれな?交換条件はこれだけ…悪い話じゃないと思うんだけどなー」
まさかこっちの条件を呑むだなんて。
本当はどんな打開策を持って来ようと突き返して、こちらが用意していた方針を呑ませるつもりだったのに。これで断ったら俺の落ち度になってしまう。
「……承知した」
どう転ぶのか不安で仕方がないけれど、顔には出ないように必死に平静を装った。
何か裏があるのかも知れない。俺が承諾した途端、フランスがにわかにソワソワし始めて余計に不安になった。
「あー…実は、だな。もう一つ、折り入って話があるんだけど……」
恐る恐るながら、自分と俺の護衛に退るように言う。
「話…?」
「ん…ちょっと、こっち…」
手招きされて不安が募る。二人切りで話に応じろと言う事か。頭が無意識にジャケット内側のピストルの位置を確認していた。
招き入れられたのは隣の個室。フランスのエスコートはさりげなく断って、後ろ手にドアを閉める。
「で、何の話…ひゃぁっ?!」
真剣な声を作っていたのに、一瞬にしてそれが裏返ってしまった。
体を扉に押し付けられて、フランスの頭が俺の頭の真横にあって……つまり、これは、抱き付かれてると言う事なのか…?
「てめっ!何の真似だ立場解って…ふぐっ!」
「騒ぐなって、人が来るだろ…!」
「んー!んんー!」
「な?変な事はしないから静かにしてくれ…」
いきなり人の口を押さえた奴が何をいけしゃあしゃあと!
思い切り殴り付けてやりたい気分に駆られたが、いつまでも騒いでいるのも大人げないかと思い直してひとまず暴れるのを止めた。
俺が動きを止めたのを幸いにか、フランスは抱き付いたまま離れようとしない。
「……何がしたいんだよ」
何故か、急にこの状況が恥ずかしくて堪らなくなって来た。
そう言えば、ずっとずっと小さい時にふざけて抱き上げられたくらいしかこいつとこんな風に触れ合った事なんてなかったのだ。
「えーと…先に断っとくけど、これ真面目な話だから……」
「解ったから早く言えって…!」
「うん、あのさ…」
耳元でそんな小さな声出すな。背筋がゾワゾワする。
呼吸の音。唾を飲み込む喉の動き。全てが聞こえて来て居たたまれなかった。

「仲直り…しよう?」

フランスの声が低く低く響く。
一瞬、言葉の意味が解らなかった。
「いや違うな…一時休戦って言うか、手を組むって言うか……」
仲直り?一時休戦?手を組む?
誰が?誰と?まさかフランスと俺がか?
思わず相手の肩を掴み、引き剥がして顔を見た。つもりがそのまま視線を下に降ろしてしまった。
「冗談…じゃ、ないんだな……」
いつもは品の悪い笑みを浮かべてる目や口元が、今はあまりに真剣で視線を合わせられない。
急な事に血が上ってまともな判断も出来ない。ポーカーフェイスなんて抱き付かれた時点でガタガタに崩れている。
「真面目な話なんだって…!」
「っ…!?」
どう返すべきか言葉選びに迷っていたら、顎を取られて少し強引に目を合わされた。
お前、それは、違うだろう。こんなのは女性やれ女性に。
言ってやりたい言葉は浮かぶのに声にならない。代わりにカァッと顔が火照る。頬が熱い。耳まで熱い。
「……同盟を…結ぶのか…?」
「うー…そりゃ、お前と同盟国になれたら万々歳だけど……流石に国民が付いて来れないかな、と…」
「あー…」
「それに…ほら、お前ちょっと前に日本と同盟結んだばっかだし…あんまり軽々しいのも……」
「…うん」
普通の会話すら気恥ずかしいのは、俺が舞い上がってるからか、それともフランスの顔が少し赤いからか。恐らく、両方。
「…だから、協商ならどうかなーって思って…」
「協商、か…」
それは条文を持たない国家間の口約束。相手の存在を認め、許容し、視界に入れ互いに監視し合う事で成り立つ。
どちらかが均衡を破ればそれまでの関係。不安定で忙しなくて、それでいて酷く性に合ってる。

「解った」

返事は不思議な程にすんなりと口を継いで出た。フランスの顔が輝く。
「メルシー!」
嬉しそうな声と共に、今度はかなり勢い良く抱き付かれる。おまけに、何か、頬に、柔らかい感、触…が……。
引き掛けていた血がまた顔に上る。
「か、勘違いするなよ!余計な戦力を使わないためだからな!」
「うん」
「それと!お前の尻拭いは御免だからな!必要以上に頼ってくるなよ!」
「うん」
「他の奴らの前でベタベタすんなよ!」
「うん」
「お前、ちゃんと聞いてるのか!?」
「うん……凄い嬉しい…!」
ぎゅぅう。腕が締まって体と体がくっ付く。少しだけ息苦しくて、微かに薔薇の芳香が立った。
フランスとの僅かな隙間も埋めたくて、シャツ越しの背中を強く引き寄せた。
どれ程抱き合っていたのかは解らない。十分とも半時間とも思える位に長かったが、実際には五分もなかったのかも知れない。
やがて、どちらともなく抱擁を解くと、今度はまた恥ずかしさが込み上げて来て黙り込んでしまう。
「じゃあ、改めて……宜しくな、イギリス…」
差し出された手。こんな時くらい素直に握り返せば良いと、解っているのに詰まらない意地がそれを邪魔する。
「ほ、程々にな…!」
握手の代わりに、友人になったばかりの島国に倣って小指を絡ませた。
「何だこれ?」
「約束の印、だとか」
「ふーん。何か、さりげなくて良いな…」
上、下、上。揺れる手を見ていると、これまでにない位、穏やかな気分になって行くのが解った。
「……宜しく、フランス…」
小さく呟くと、青い瞳が嬉しそうに細められる。
絡んだ小指の体温が、とても心地良かった。



***



「イギリスー!イギリスってば!」
名前を呼ばれて振り返ると、嬉しげに歩み寄って来る陰が一つ。
「はっ?お前っ…今、何時っ?!」
そんな長時間ぼんやりとしていたつもりはない。慌てて時計を見れば、まだ短針は三の近く。
「いやぁ、何か落ち着かなくってさ。まさか待っててくれたりしないかなーって思って来てみたの」
したら本当にお前がいるし、やっぱ繋がってるんだなぁ俺達…!
ペラペラと上機嫌にしていたかと思うと、両腕を広げ出会い頭に思い切り抱きしめて来た。
「会いたかったぜイギリスちゃーん!」
「誰がイギリスちゃんだ馬鹿っ!」
スパン。にやけた横っ面を引っ叩き、どさくさに紛れて腰やら尻やらに回されていた手も外す。
「ちぇー…」
「往来のど真ん中で変な事すんな…!」
擦れ違う人の視線が物凄く痛い事に気付き、慌てて声を潜める。
「ほらっ」
「…何だよその手は」
「荷物だよ。一つくらい持ってやるから」
そう言って手を差し出すと、フランスは手ぶらである事を示すように両手を肩まで持ち上げて見せた。
「お前、それ今更……お前ン家のセラーに俺の秘蔵ワインが何本あると思ってんの?」
「あ…」
「調理器具もやたらと揃ってるし、キッチンも良いやつだし、冷蔵庫はいつも材料で一杯だし…」
「………」
つまりそれはそれだけフランスが入り浸ってると言う事で。墓穴を掘ったと気付いた時には、隣からいつもの品の悪い笑みを注がれていた。
気分が浮ついてるせいか余計な事までポンポン喋ってしまう。
「もう良いっ、放って行かれたくなかったらさっさと来い!」
恐らく、俺が迎えになど来なくてもフランスは迷わず家まで辿り着けるのだろう。
けれど天気が良いから、悪いからと、自分に言い訳しては迎えの足を止められずにいる。
あの日から変わった事も多い。連合を組んでみたり、少しだけヨーロッパに目を向けてみたり。
フランスと俺を決定的に隔てて来た海峡もとうとう繋がって、今や交通の要所になっている。
けれど、ドーバー海峡は相変わらず波風立てて横たわっているし、フランスとの付き合い方も変わる兆しはない。。
これで良い。付かず離れずで一定の、この距離が一番心地良い。
「手とか繋いじゃう?」
「馬鹿…」
差し出された手は取らず、代わりに絡めるのは小指。
街灯の旗が春風に揺れていた。



1904/04/08―Entente Cordiale


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英仏協商103周年記念小説第一弾(長い)
大阪オフ会でネタをお話したら、賛同して下さった方がいらっしゃったので仕上げてみました。
『愛の百年戦争』様に御奉げします!!
2007/04/07

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