〜心からの理解を side*France〜



居る筈がない。

五時頃に到着すると伝えたのは自分だ。まだ居る筈がない。
けれど、もう居ても立っていられなかった。早く会いたくて仕方がなかった。
頭がそう命じるままに、海へと向かう列車に乗り込んだ。

景色が後ろへと流れて行く。三時間の長旅の始まりだ。
「飛行機にするべきだったかな…」
こんな日まで懐具合を気にするんじゃなかった。少しでも早く着けるようにするんだった。
「…くそっ」
もっと、もっと速く走ってくれ。
一分でも二分でも、早い時間に着いて欲しいんだ。
一週間前に電話で話した切りの相手、少しは待ち遠しく思ってくれているだろうか。
機械越しの涼しい声が何か悔しくて、あの時は何とも感じていないように声を作ってしまった。


楽しみ
会いたい
待ち遠しい
声が聞きたい


もしあの場でそう囁いていたら、少しは可愛らしい返事が来たかも知れない。
いや、やっぱり有り得ないな。
手を差し伸べたあの日から、俺達は変わってないのだから。





〜心からの理解を side*France〜





「――今、何て言った…?」

イギリスの表情が僅かに歪む。不機嫌と言うよりも、話の内容に驚いていると行った所か。
「え、不満なのか?ファショダはお前に譲るって言ったんですけど…」
確かに突飛な発想かも知れないけれど、そこまで呆然とされると少し傷付くんだけどな……。
アフリカ大陸横断作戦の途中、同じく大陸を縦断していたイギリス軍とファショダで一問題起きてしまった。
狙ったのか偶然なのか、墜としたばかりの土地を向こうさんも欲しがって来た訳だ。
そりゃあもう、これ以上ない位に焦った。正直、一戦終えたばかりの軍隊で勝利する自信はない。
けれど、そう易々と相手に屈せる程、俺のプライドも低くない訳で。おまけに、その相手がイギリスである以上、強固な姿勢を崩してはいけないのだ。
どうにもならなくなったら、玉砕覚悟で突っ込む根性で構える。俺だけじゃない。これはあいつだって同じ事。


あの運命の日。あいつは俺の仇になり、俺はあいつの敵になった。
憎くて憎くて、憎しみの故に固執した。決して奪われなかった代償に、俺もまたあいつを奪う事は叶わなかった。
俺が唯一、触れられなかった国。


火と水。光と影。決して交わらず、認めず、一方が他方を常に狙い続けるだけ。
そう言う運命なのだと、過剰なまでに睨み合って来た。
けれど、それも恐らく、今日で終わる。
上手く行く保証なんて無いけれど、きっと何かが変わってくれると信じている。
「あ、ただしモロッコは俺に譲ってくれな?交換条件はこれだけ…悪い話じゃないと思うんだけどなー」
顔色を伺いながらタイミングを計る。焦ったら駄目だ。相手に合わせて、確実にやり遂げなければ。
きっとあっちは半分混乱してるに違いない。困ったような悲しんでるような、そんな不安定な表情をしていた。
「……承知した」
いつもより覇気の欠けた声。昨日までなら格好の反撃チャンスにしか見えなかったそれも、今は違って映る。
さあ、ここからが大変。警戒心丸出しのこいつに、どうやって伝えたものだろうか。
「あー…実は、だな。もう一つ、折り入って話があるんだけど……」
いざ面と向かうと、不安より気恥ずかしさが勝ってしまう。本当、昔からこいつにだけは自分のペースを保てた試しがない。
「話…?」
「ん…ちょっと、こっち…」
手招きすると、あからさまに警戒の色が強まる。こっちはガッチガチだってのに、何か物凄く悔しい。
何の裏もないエスコートも、今のイギリスにとってはだだの不信点。
「で、何の話…ひゃぁっ?!」
ああ、もう、頭脳戦は苦手だ!
考えるよりも先に体が動いた。抱き締めると言うより飛び付くに近い抱擁で、イギリスを体とドアの間に挟み込む。
「てめっ!何の真似だ立場解って…ふぐっ!」
「騒ぐなって、人が来るだろ…!」
「んー!んんー!」
「な?変な事はしないから静かにしてくれ…」
しまった。こいつも口より手足が早く動くタイプだった。
今の状況で誰かに踏み込んで来られたら堪ったもんじゃない。思わず、癖で口で塞ぎそうになるのを寸での所で手に変える。
眉間に深く皺を寄せたまま、イギリスがもがくのを止めた。
「……何がしたいんだよ」
顔の真横から聞こえる声。言い澱んだ小声がくすぐったい。
こうして、こんなに近い距離で接するのもガキの時以来。声も顔も体つきも、離れていた間に随分と変わっていて少しだけ照れてしまう。
「えーと…先に断っとくけど、これ真面目な話だから……」
「解ったから早く言えって…!」
「うん、あのさ…」
唯一変わってないのは身長差くらいだろうか。
俺より少しだけ低いイギリスの体に、覆い被さるようにして囁く。

「仲直り…しよう?」

ひゅっ、と空気が鳴る。
殴られるのではなく、相手が息を詰めたのだと気付くのに、俺は若干の時間を要した。
「いや違うな…一時休戦って言うか、手を組むって言うか……」
言い方が不味かったのか?まあ確かに良い歳だし仲直りって柄じゃないけれど。
そもそも男同士で仲直りなんて、どうやってすりゃあ良いのかすら解ってないけれどもさ。
あれこれ考えていたら、イギリスに体を引き離された。罵声が飛んで来るかと思ったら、心無しか顔を赤くして俯いてしまった。
「冗談…じゃ、ないんだな……」
何だそりゃ。人をこんな時にこんなタイミングでこんな冗談言う無神経野郎とでも思ってんのかこいつは…!
そう考えたら悲しいやら腹立たしいやらで、只でさえ使ってない思考をどんどん後回しにしてしまい…。
「真面目な話なんだって…!」
「っ…!?」
近かった距離が一層縮まった。唇の僅かな動きさえ見落とさないくらいに、イギリスの顔が、近い。
けれど、やり過ぎたと思う反面、俺は顎に掛けた手を外せずにいる。
おまけにイギリスが顔を染めたり、耳まで赤くしたりするもんだから…つい、こう……可愛なー、なんて…思ったりして。
「……同盟を…結ぶのか…?」
「うー…そりゃ、お前と同盟国になれたら万々歳だけど……流石に国民が付いて来れないかな、と…」
「あー…」
「それに…ほら、お前ちょっと前に日本と同盟結んだばっかだし…あんまり軽々しいのも……」
「…うん」
気遣うふりをして、実は俺が怖いだけ。断られたらどうしようかと気が気じゃないなんて、必死で悟られないようにしてるけど。
「…だから、協商ならどうかなーって思って…」
「協商、か…」
上司からこの話を伝えられた時、自分でも不思議なくらいに抵抗感がなかった。
寧ろ、もしかしたら成立するかも知れない新しい関係を、少なからず嬉しいと思いすらした。

「解った」

だから、この返事がどれだけ甘く響いた事か。
「メルシー!」
間髪入れず抱き締め、飛び切りの感謝と歓迎の意を込めてキスを贈る。
と、ここで漸くいつもの調子に戻ったらしい相手から元気なお叱りが飛んで来た。
「か、勘違いするなよ!余計な戦力を使わないためだからな!」
「うん」
「それと!お前の尻拭いは御免だからな!必要以上に頼ってくるなよ!」
「うん」
「他の奴らの前でベタベタすんなよ!」
「うん」
「お前、ちゃんと聞いてるのか!?」
「うん……凄い嬉しい…!」
ごめん。実は殆ど上の空でした。嬉しくて堪らなかったんです。
夢中で抱き締めていたら、ゆっくりと背中に感触が走り、抱き締め返された。
暖かい。鼓動が直に解る。ずっとこうしていられたら、なんて我ながら恥ずかしい考えがポンポン浮かんで来る。
体は自然と離れてしまったけれど、高揚した気分は恐らく、一緒。
「じゃあ、改めて……宜しくな、イギリス…」
イギリスの指先が、握り返すか否かを決めかねて揺れている。
「ほ、程々にな…!」
迷った挙句、しっかり組み合わせられたのは小指だった。
「何だこれ?」
「約束の印、だとか」
「ふーん。何か、さりげなくて良いな…」
上へ下へ、イギリスの真似して手を動かしながら、ゆっくりとリズムを刻む。
「……宜しく、フランス…」
それは小さな呟きだったけれど、俺の耳までしっかり届いた。
ただ只管に嬉しくて。絡められた小指に、力を込めた。



***



「イギリスー!イギリスってば!」
駅前通りに着くや否や、一番会いたかった姿を見かけて思わず大声を出してしまった。
「はっ?お前っ…今、何時っ?!」
慌てて時計を確認して、信じられないと言いた気に何度も文字盤を見直す仕草が可愛い。
「いやぁ、何か落ち着かなくってさ。まさか待っててくれたりしないかなーって思って来てみたの」
したら本当にお前がいるし、やっぱ繋がってるんだなぁ俺達…!
思わず饒舌にもなると言う物。だって目の前には愛しの……!
「会いたかったぜイギリスちゃーん!」
「誰がイギリスちゃんだ馬鹿っ!」
スパン。快音と共に平手が飛んで来て、愛の抱擁も未遂に終わらされてしまった。
「ちぇー…」
「往来のど真ん中で変な事すんな…!」
……またイロイロと突っ込み所の多い返事を…。家ン中ならイイって事か?
「ほらっ」
「…何だよその手は」
「荷物だよ。一つくらい持ってやるから」
照れ隠し自体は非常に可愛いんだが、生憎とその手に預ける程の荷物が無い。
「お前、それ今更……お前ン家のセラーに俺の秘蔵ワインが何本あると思ってんの?」
「あ…」
「調理器具もやたらと揃ってるし、キッチンも良いやつだし、冷蔵庫はいつも材料で一杯だし…」
「………」
お泊りセットやその他諸々、綺麗に揃っちゃってるんですがねぇ。もう、端から見たら同棲してますって言った方が手っ取り早いかも知れない。
勿論、俺ン家にもイギリスの為の一式がいつでも使える状態で揃ってる。
「もう良いっ、放って行かれたくなかったらさっさと来い!」
真っ赤になって大股で歩きながらも、イギリスが俺を放って行った事はない。遅いだの早くしろだの叱咤を受けつつ、彼の家までの道を二人で歩くのだ。
随分と長い間、一緒に居る事になる。いがみ合っていただけの思い出がいつからか変わって、遠いようで近い距離を心地良いと思うようにまでなった。
けれど、相も変わらず甘い関係とは程遠い。顔を合わせれば皮肉の応酬、喧嘩は近所まで巻き込む程に大規模だ。
この距離が良い。前を行くでも後ろを行くでもなく、隣に居てくれるのが良い。
「手とか繋いじゃう?」
「馬鹿…」
差し出した手は取らず、代わりに絡められる小指。
街灯の旗が春風に揺れていた。



1904/04/08―Entente Cordiale


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英仏協商103周年記念小説第二段(やっぱり長い)
どっちの話が先と言う構成ではありませんが、英仏協商なので兄ちゃんが後です。
もう仏英協商でイイと思うんだけどなー。仏英にしちゃいなよ。
2007/04/08

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