男の美学
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夜のロンドンを喧しいサイレンが切り裂く。

回るパトランプ。
踊るスポットライト。
野次馬の視線。
それら全てを独占し、先頭を行く白い風。
追い付けはしないと解っているが、そんな事で止まれる筈がない。
海の向こうから来た外来種を、この島から叩き出さない限り、俺は枕を高くして眠れないのだから。
しかし、俺の苦労を笑うように、男は重力を感じさせない身軽さで、ふわり、宙を舞う。
何とやらと煙は高い所が好きと言ったのは誰だったか。
いっそ、ここまで動きが洗練されていると、いっそワイヤー無しでビルから落としても死なないんじゃないかと思う。
ライトアップされたビッグベンの上。そこが男のお気に入りの舞台。
「Au revoir!」
世界一美しいとのたまう言葉で以って別れを告げ、優雅に腰を折る。
視線を浴びる快感を全身で頬張り、味わっているのだろう。
そして全てを収め切った次の瞬間、一片の影も残さず男は消える。
街を盛大な溜息が覆う中、家路を急ぐ俺の横を一陣の風が通り過ぎた。
「Encore...」
耳に残された、熱にも似た響き。
「…くそっ!」
そうして、俺は今夜も眠れない事を悟る。





遅めの湯浴みを済ませ、部屋に戻る。
照明は点けず、月明かりだけが部屋を満たすように。
寝台脇の窓をロックすべきか少し迷って、どうせ錠をした所で無駄だと思い直した。
サイドボードの懐中時計を開ければ、短身と長身が真上。
ボォン…。遠くから、今夜も足蹴にされたビッグベンの恨み言が聞こえる。
鐘の音が二回と鳴らぬうち、不意に閉まっていた窓が開く。
風が部屋に入って来た。
「Bon soir」
全身を白で覆い、決して捕まる事の無い風のような男。
「帰れ」
「連れねえな。折角イイモノ持って来たのに…」
男が手を突き出し、見せ付けるようにして、握る。
再度掌が見えた時には、白い手袋の上に青い輝石が光っていた。
「どうぞ?」
差し出されるがままに、宝石は受け取る。ただし、甲に落とされそうになる唇はお断りだ。
残念そうに笑う男を睨み付け、大粒のサファイアをハンカチに包む。青い瞳とも渾名されるこの石は、昨夜こいつに盗み出された。
そして今日、夜が明ければ、俺がスコットランドヤードに届ける事になる物だ。
男が盗んだ品々は大抵、こうして一日と間を置かず、俺を仲介して元あった場所へと還される。
「何故こんな事をする?」
男が獲物を還しに来る度、俺は問わずにはいわれなかった。
「さぁ?それを当てるのがお前の仕事だろ?」
「アルセーヌ…」
けれど、結局俺は男の真意が掴めないまま、こんな夜をもう幾十と過している。
「まあ、言うなら美学だよ…俺の作った、俺だけの怪盗の美学」
「アルセーヌ!」
茶化されてると判断し、語調を強める。男は挑発的な笑みを浮かべるだけ。
そのまま一瞬で間合いを詰められて、気が付けば男の顔が目の前。
手袋越しの人差し指が唇に触れ、そこで漸く反応が遅れた事に気付く。
「二人っきりの時はジャンって呼んで?」
「ふざけんな…」
枕の下のピストルには手が届かない。代わりに不愉快な布に噛み付き、引く。
服と同じ白の下から現れた手は驚くほど整っていて、さぞ器用に動くのだろうと思った。
手袋を床に吐き捨てる。
「んな怖い顔しないでよ。今夜は本命を奪う前のただ準備運動」
「そうか。人様の物を奪ってる自覚はあるか」
「まさか!そんな石に奪う価値なんかねぇよ。それは少々拝借しただけ」
石、と男は言う。世界中の誰もが欲しがって止まない輝石を、沿道の小石と変わらぬ名前で呼ぶ。
そして、さも興味なさ気に、こうして易々と還して寄越す。
「俺が奪うのはこの世で一つだけだから…」
何故だ、と問うよりも先に答えを教えられる。
時に、男はこうして俺の心中を的確に読んで来る。
只管に、不可解。
男が苦笑している。また胸の内を読まれたようだ。
「何でこんなおニブさんかなぁ、アーサー?」
不意を突かれ、どくり、と心臓が跳ねる。
その幾らもない隙に指が動いた。顎に手が掛かり、捕らえられる。
反射的に背を反らせた所に圧し掛かられ、軸が崩れた。
重力に引かれて倒れる。落ちた先は寝台の上。
「…退け」
膝で押し返そうとしたが、察知されたらしく逆に膝を股に滑り込まされる。
「嫌、と言ったら?」
下股に感じる圧迫感と、何よりその笑みが不愉快。
「退け」
ぐ…。男の横っ面に銃身を突き付ける。押し倒された拍子に枕の下から抜き取った物だ。
男の表情は動かない。
「なあ、アーサー」
「カークラント、だ」
「アーサー」
「…やめろ」
「アーサー」
「やめろ…!!」
間近で動く唇。低い声音。細められた青い目に射抜かれる感覚。
見たくない。聞きたくない。眩暈がする。
名を呼ばれる度に、全身を髄から揺さぶられる。
「Je te veux...」
唇に触れる、暖かい感触。
背筋を走ったのは悪寒か、それとも。
「消えろっ!!」
乾いた破裂音。
男が身を跳ね上げるのと、俺が引き金を引くのとは同時だった筈だ。
けれど銃弾は掠りもせず、それ所か、壁に突き刺さりもしていない。
「こんな夜に銃は無粋だぜ?」
男の指が、銃身から薔薇の花を抜き取った。
「…こ、のっ!!」
足を振り上げ、上体を起こした反動そのままに手を伸ばす。
指の先が、僅かに触れるか触れないか。ぎりぎりの所で躱され、胸倉の変わりに薔薇を掴まされた。
一体、何時の間に摩り替えられたのか、本物のピストルは何処なのか。
それともこれが本物で、弾だけ抜かれて細工された物なのか。
だとしても、どのタイミングで細工を?
考えは尽きない無い。そして、考えるだけ無駄だ。
「今夜は退くと致しましょう。けれど、次は必ず…」
「次は必ずお前を捕らえる…!!」
この男は、怪盗なのだから。
「Bonne nuit, アーサー・ホームズ―良い夢を…」
摩天楼に遊び、夜の空に溶けて消える流星のように。
そう、朝が来れば全て泡沫と消える。
「消えろ、二度と来るな!アルセーヌ=ルパン……!」
風が吹く。白いマントが翻る。
そして、
「Encore...」

一輪の赤薔薇と、また幾晩先の逢瀬の誓いだけを残し、怪盗は街に溶けた。





開け放された窓から冷たい夜風が吹き付ける。
錠を掛け、カーテンを引く前に少しだけ、ハンカチを開いてみた。
月光の中で、驚くほど輝く青。
ほんの一瞬、あいつで全身が満たされたように感じた。
「馬鹿か、俺は…」
こんな感傷じみた思いは何かの間違いだ。
もうこれきりだ、とカーテンを引き。やっと闇夜に染まる部屋。
寝台に潜り込み、目を閉じる。
枕元には、あいつが置いていった赤薔薇。捨てようか、と手を伸ばしかけて止める。
花に罪はない、だから……言い訳にもならない言い訳をする。
朝になっても枯れずにいたら、グラスに挿してやるくらいはしてやろうか。



ロンドンの夜が更ける。


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一遍やって見たかった!仏英ではなくジャン×アーサー小説。
タイトルは同名の、ザ・サードなアニメの主題歌より。個人的に仏英のテーマ(笑)。
因みに、ジャンの本名はジャン・アルセーヌ=ルパン(Jean Arsene Lupin)でミドルネームまであり、
アーサーの本名はアーサー・ホームズ(Arthur Holmes)。カークランドは偽名です。
アーサーの方で呼ばれると、素の自分を探られそうだから嫌がったんです…が、
言わなきゃ解んない設定でしたね、すいません;;
2007/05/03


Present from*時雨さま

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