ヴァイオレット奇譚2

Chapter3◆「暗い森の晩餐会―【2】」




 奇妙なパーティーは、黒服の演説から始まった。
 それが長いの何の、もうゆうに一時間は経っている。

 彼の話は、瑛士にとって退屈極まりないものだった。
 集まった新しい信者らに、延々語って聞かせているのは、 呪われた血の起源だったりその同胞らの武勇伝であったり。彼は、かつての瑛士の同胞と同じように 自分たちをバンパイアの末裔だと名乗り、その血は選ばれたものにのみ与えられると懇々と語った。
 確かに、第四世代の肉から第五世代が生まれるケースは稀なのだと知ったが、 生まれた第五世代を英雄扱いとはちゃんちゃらおかしい。
 「春川さんはその素晴らしい信仰心でもって」なんて、そんなくだりを聞いてしまうと、 思わず吹き出したくなるが、もちろんぐっと堪える。単なる相性の問題だ。偉そうに。そもそも、 どん尻の第五世代が神のように崇められている時点で、ちょっと待てと横槍を入れたくなってしまうが、 これもぐっと堪える。

 瑛士は、聞けば聞くほどこの団体がチンケなものに思えてきて仕方がなかった。
 起源も武勇伝も全くのデタラメだ。おそらく正しいルーツを知るほどの古い世代は この団体に関わってないに違いない。大方馬鹿な第四世代が思いつきで始めた金稼ぎなのだろう。
 「不死の体にしてあげるからお布施をたくさんしなさい」とシンプルに要約できる演説を聴いていれば、 そのくらい簡単に察しがつく。人間をコントロール出来ないあいつらは、ヒューゴにたかるか、人を脅すか殺して奪うかの 二通りで金を手にしていたが、ついに自分で稼ぎ出す程度の知恵を身につけたらしい。
――金目当てなら、ヒューゴなんかは関わってないのか……
 ほっとしながら、終わりの見えない演説に耳を傾ける。

「それではここで、この血の力を皆様にご覧に入れましょう」

 黒服のそんな言葉と共に、彼の横で華美なイスに座っていた春川が立ち上がる。 彼はゆっくりした足取りでマイクスタンドの前に立っていた黒服と入れ替わると、おもむろに腕をまくり、 それを正面に突き出した。
 春川の動作に会場内が僅かにざわめき、それから五條が彼の差し出した腕を運んできた台に置いて固定すると、 ざわめきはより一層大きなものに変わる。黒服が切れ味の良さそうな鉈を持って戻ってくると、どこからともなく 悲鳴まで上がった。
「皆さん、その目で、よく見ていてください。これがバンパイアの体ですよ」
 そう勝ち誇ったように告げて黒服が持ち上げた鉈を春川の腕めがけて一気に振り下ろす。
 思わず耳をふさぎたくなるような鈍い音が、部屋全体に響き渡った。そして、辺りは恐慌状態に陥る。 黒服はマイクを握りパニックになった皆をなだめ、春川の血に染まった右腕を見るようにと言う。
 しかし彼の腕は悲惨なまま、ぱっくりと断たれた腕の断面がこちらからでも丸見えだ。とても見ていられないと 数人の女性が目を覆う。ところどころで嗚咽の音が聞こえる。それでも、全体的に観察すれば、取り憑かれたように 黙って喉を鳴らし、その断面を眺めている人間の方が多かった。
 さすが、あのわけの分からない心理テストをクリアした変わり者の集団だ。何が起こるのかと羨望の眼差しで 春川の腕をじっと見据えている。ちらりと視界に入った詩織もまた、瞬きもせず彼の様子に見入っていた。
 皆に視線を向けられた春川は、痛みに耐えているのか唇を固く真一文字に結びながら、左手でサングラスを外す。 すると、黒服が鉈を振り下ろしたとき以上のどよめきが広がる。瑛士ですら思わず声を漏らしてしまった。
 サングラスを外した春川の瞳には黒目が存在せず、ただあるのは白目の上に浮かび上がった無数の血管のみ。 それが今、どくどくと脈打っているのが分かる。
――……気色わりぃ……
 人外には慣れたはずでも、やはり見た目のインパクトは大きい。どんなに化け物だと自覚していても、瑛士は 鏡に映った自分の姿に違和感を感じたことは無いし、それを感じさせる同胞に出会ったこともなかった。 今一番そばにいるクレアにいたっては、それこそあれは人間の中でも美しい部類に入る造形をしている男だ。 みなクリーチャーとは違う。だから、春川の姿を見て、今はっきりと分かってしまった。
――……そういうことかよ
 あれは第五世代なんかじゃない。なりそこないの失敗作だ。
 やっぱりどう足掻いても第四世代に次世代を生み出す力なんて無いのだ。
――なんだぁ……
 血はやはり途絶えていた。
 分かっていたのに、妙に胸が締め付けられるのは、種の本能だろうか。

 春川の腕は、それからたっぷり時間をかけてゆっくりと治癒を終えた。 嫌な音を立てて骨が生え、肉が生まれ、その上に皮膚が完成すると、床に転がっていたほうの 腕を生まれたての手の平で拾って掲げてみせる。固唾を呑んで見守っていた信者らが、劈くような歓声をあげた。
 瑛士は周りに倣って両手をあげてはしゃぎつつ、さりげなく手首の腕時計を確認する。 所要時間は三十八分……約四十分かけて腕が生え変わったことになる。
――……遅いな
 腕一本にしては遅すぎる。骨が断たれたにしても時間がかかりすぎる。対人間への能力は 一応備えているらしいが、肝心の体は随分と軟弱なようだ。回復にそんなに時間をかけていると、すぐに仲間に 食われてしまう。
――なんか生命力弱そうだな
 人事ながらそんな事を考えているうちに春川が一礼して再びイスに戻る。それから 黒服がマイクを取り、今の出来事の素晴らしさを懇々と語り、また一時間。やっとの事で 終わった演説にため息を堪えていると次々に料理が運ばれてきた。
 ここで出された物を口に入れる気には到底慣れなかったので、部屋の隅に移動してから 用意してきたタバコに火をつける。ルイスの指示で持たされたものだが、持ってきて正解だ。何も食べなくても、 これならそれほど不自然にも見えないだろう。
 しばらくそこでタバコをくわえていると、赤いドレスの五條がやってきた。
「一本くれない?」
「あ、どうぞ」
 そう言って差し出すと、五條はタバコをくわえたまま瑛士の瞳を見つめる。
「……は?」
「火」
「ああ、はいはい」
――めんどくせぇババァだな。妖怪みてぇなツラしやがって……
 心の中で毒を吐きながらにこやかに火を差し出すと、五條は一気に煙を吸い込んで、それからゆっくりと 吐き出した。
「あの人、話長いでしょう」
 そう言ってタバコの先で五條が黒服の男をさす。
「でしゃばりなのよ。仕切りたがりだし、うざったいったら……ただの人間のくせして」
「……」
「あの人、テストでいかさましたのよ。私知ってるわ。あいつに素質なんてカケラもないってこと」
 心臓がドキリと音を立てる。
――俺以外にも小細工するやつとかいるのか……
「そもそも春川さんみたいなのはレアケースなのよ。あなたはまだ分からないでしょうけど、 第四世代の肉は、そもそも次の世代を生み出す能力がほぼ無いといっていいの」
「……え」
――ババァ詳しいじゃん
 少し感心しながら、さも驚いたような小芝居を続ける。
「第四世代の肉なんて、食べる価値も無いわ」
「…………」
「あなたにだけは教えてあげるけど、奇跡の体になりたいのなら、もっと古い世代の 肉を食べないとダメ。古ければ古いほどいいの。第四世代なんて……あれはただの毒よ」
「……そうなんですか。でも、そんなすごい人がこの教団にいるんですかね」
 苛立ちと興奮をどうにか抑え付けて極めて冷静な声でたずねれば、五條は赤い唇を にやりと持ち上げ、そっと腕を瑛士の腰に回した。
「私そんな親切じゃないわよ」
「……あ、そう、ですか」
 不快にゆがむ表情は誤魔化せても、全身に立つ鳥肌は根性では抑えられない。
 いくらボスのためと言えども、気色の悪いこの女の生贄になるつもりは毛頭無かったので、 瑛士はその腕をあからさまに振り払って彼女の隣から後ずさった。
「友達待ってますんで」
 言い捨てるようにしてその場から逃げ去る。
――ったく、冗談じゃねぇっ!
 ぶつぶつと怒りを零しながら恭士郎を探していると、先ほどの演説の場所で 黒服に詰め寄っている彼の姿を見つけた。
「おい、恭士郎」
 声をかけても、恭士郎は気がつかない。何かを必死に訴えているらしい彼の話を聞こうと 近寄ると、先に瑛士に気付いた黒服が「どうも」と挨拶をしてきた。つられるようにして、恭士郎が 振り返る。
「あ、……翔太くん」
「どうしたんだよ」
「いや、その……別に」
 歯切れの悪い彼に眉をひそめると、黒服が口を開く。
「何度も言うように、今日のセレモニーで肉を与えられる人物はすでに決まっています。私の一存では どうにも出来ないんです」
「誰だっていいなら俺だっていいはずです!」
「おいおい待て待て、どういう事だよ」
 一人話についていけない瑛士に、黒服が勘弁してくれと言わんばかりの口調で説明をしてくれた。
 つまり、今夜、新しい仲間を祝ってその中から特別に選ばれたものに「肉」を与える儀式が予定されているが、 そのメンバーに恭士郎は含まれてはおらず、また勝手にメンバーを変更するわけにもいかず、駄々をこねられても どうしようもないという話。それを聞きながら、瑛士は首をひねった。
「……それってどういう基準で選ばれたんです?」
「上の者が話し合って、ふさわしい人物を選びました」
「つまり、適当に選んだんだろ?」
「違います」
「なるほど。金か」
 瑛士の問いかけに、黒服は否定も肯定もしなかった。
 一方恭士郎はそれを聞くや否や「金なら俺も払う」とわめき始めたが、やはり黒服はそれを突っぱねた。
 おそらく彼らは、搾り取れそうなやつはギリギリになるまで引っ張るつもりだ。だから恭士郎のようないい所のお坊ちゃまを 初回のセレモニー程度でむざむざ殺すような真似はしない。むしろ底の見えそうなやつにだけ 今回のセレモニーの話を吹っかけ、有り金全部吸い取ってから「信仰心の足らぬ失敗例」として見せしめに処分する。
「頼むよ、俺には時間が無いんだっ!」
 悲痛な声を上げて縋る恭士郎に、黒服は「信仰心を持ち続ければいずれあなたの番がやってきます」などとうそぶいて 立ち去っていく。
 がっくりとうな垂れて膝をついた恭士郎を、瑛士はどこか哀れみながら見下ろし、それでもこれでとりあえず金の続く限りは 彼に危険は及ばないと知り安堵した。恭士郎には切羽詰った事情がある。今日明日に事が運ばないと知れば、この団体を 諦めてくれるかもしれないという希望すら湧いて来た。
「おい、立てよ恭士郎」
「……ああ」
 覇気の無い声で答えると、彼はフラフラと立ち上がり、おぼつかない足取りで壁際に移動し、そこで 再び崩れ落ちた。しばらく一人にしてやろうと、瑛士は後を追わずに離れた場所から見守る。



 セレモニーは、それからしばらくして始まった。
 黒服が再びスタンドマイクの前に立ち、セレモニーの説明の後に二人の名前を読み上げる。 どこの誰とも知らぬ男女一名ずつが、皆の前におずおずと立った。
 二人が覚悟のほどを順に語っている間に、二つの皿が運ばれる。その上に乗っている肉片に皆気を取られ、 語っている本人らですら動揺し始める。爪の剥がされた人差し指の第一関節。白い皿に乗せられたそれは、 人間の体から独立しているというたったそれだけで、驚くほど奇妙なものとして目に映った。
「それでは沢口さん」
 黒服に指名され、まず男の方が皿の置かれたテーブルの前に立つ。
「己の資質と信仰心を信じてください。これを飲み込んだ瞬間、あなたが第二の春川さんになる」
「……はい」
 煽る黒服に素直に頷くと、男は思い切って手を伸ばし、おぞましい肉片を口に入れる。
 瑛士は心を凍らせながらその光景を遠巻きに見守った。

 それから十数分。
 男はもがきにもがき、最早胃液しか出てこない状態まで吐き続け、散々苦しんだ後、この世のものとは 思えない恐ろしい形相をしながら息絶えた。
 その間、誰一人として声を上げるものはいなかった。
 男が絶命すると、パーティールームの入り口を警備していたガードマンらしき屈強な 男性二人が手際よくその後始末を始める。沢口を呼ばれた男性の体は、あっという間にみんなの目の前から 消え失せた。その間も、やはり声を発するものは一人としていなかった。
「……残念です」
 静かに黒服の男が言う。
 沈痛な面持ちで、沢口の信仰心が足らなかった事を懇々と説く。
「佐久間さん、あなたの番です」
 目の前の光景に怯えきってしまった女性に向かって黒服がいう。
「……やめますか?」
「あ、わ、私……私は……」
 震える彼女の声を聞いて、誰もが「辞退するのだろう」と思ったとき、突然飛び出してきた人影に 女性が驚いて悲鳴を上げる。飛び出した人物は彼女の持っていた皿を素早く奪い取り、その上に乗っていた 肉片を摘み上げた。
「き、恭士郎……っ!!」
 思わず瑛士が叫び、今まさに口に肉片を放り込もうとしている彼に飛び掛る。
「やめろ馬鹿ッ!」
「放せっ! 放せっ!!」
 突然のことに一瞬出遅れた黒服も慌てて瑛士に加勢し、恭士郎に掴みかかる。観客たちはその成り行きを ざわざわと騒がしく見守った。
「やめろっ! こんなもん食ったって死ぬだけなんだぞ!! これはただの毒なんだっ」
「なら春川さんはどうなるっ!」
「あんなもんそうそう生まれるもんじゃないんだ、俺の話を聞けよ恭士郎っ!」
 物凄い力で手の平に握った肉片をどうにか口元へ運ぼうとする恭士郎。床にうずくまり 瑛士らの妨害から逃げおおせようとする彼を力ずくでどうにかしようと試みるが、上手くいかない。 そのうち、彼はまんまとその肉片を口に放り投げる。
「バカッ……吐き出せ! 吐き出せバカ野郎っ! 恭士郎聞け! 死体なら俺がどうにかしてやるっ!  頼んでやるからッ!!」
 興奮してパニックに陥りながらそう叫ぶと、僅かに恭士郎の力が緩んだ気がした。
「大丈夫なんだ恭士郎っ、いるんだよ、俺知ってるんだ、頼んでやるから! 第五世代なんかよりも、 もっとずっとすげーやつがこの世にはゴロゴロしてるんだ。俺が頼んでやるから、頼むから……っ」
「……しょう、た」

 パン、という乾いた音と共に、恭士郎の額から鮮血が吹き出した。
 瑛士を見上げるために持ち上げた恭士郎の頭が、ごとんと鈍い音を立てて床に落ちる。

「まったく」
 そう呟いて、黒服の男が銃を胸元にしまう。その動作が、スローモーションのように瑛士の瞳に焼きついた。 言葉にならない失望感と怒りで何も言えない。ただじっと、男の動作を見つめる。
「おい誰か、コレも運んでくれ」
 先ほどの沢口の処理でガードマンの姿が見当たらなかったため、仕方がなくその辺にいる信者に命令すると、 黒服は狼狽し混乱し恐怖している新たな同士に向かって慰めの言葉をかけ始めた。
「欲深な者を、我が教団は許しません」
 そんな言葉で始まった彼の演説は、スタンドマイクを横から蹴倒されたことによって早々に中断されてしまう。
 黒服の男は、沢口が死んだときも、そして恭士郎が欲を出したときもこんな風に不快感を表情にありありと 浮かべたりはしなかった。彼は、得意の演説を中断させられて、初めて人間らしい憎悪の表情を浮かべる。

「何で……殺す必要がある」
 怒りを必死に押し殺した瑛士の言葉に、彼はいやらしい笑みを浮かべて答えた。
「今それを説明しているところです。我が教団は欲深なものを……」
「ふざけんなっ!! ……何が奇跡だっ!」
 恭士郎の口元から転がり落ちてきた肉片を、瑛士が黒服へと投げつけた。
「拾って食えよ。奇跡なんだろ? てめぇが食って見せろよ」
「いい加減にしなさい」
「食ったと思ったんだろ? 恭士郎が食ったと思って撃ったんだろ? なぁ、食ったら助からねーもんな。 もう金巻き上げらんねーから用済みなんだろ? てめぇらが一番よく分かってんだろこの肉がどういうもんか。何が奇跡だよ。 出来上がったのは失敗作の春川一人じゃねーかッ!!」

 乾いた音が、再び部屋に轟いた。
 もう悲鳴も上がらない。誰もが固唾を呑んで、額に穴の開いた少年を見据えていた。しかしどういうわけか、彼は 中々床に膝をつかない。出血も、ほとんど見られない。

「……ってぇな……くそったれ」
 撃ち抜かれた頭を両手で抱えながら、瑛士が毒づくと、そこではじめて辺りがどよめき始める。
「ふざけやがって……ぶっ殺してやる」
 頭を抱えながら呪詛のようにブツブツと呟く少年に、黒服が眉をひそめながら後ずさる。
「肉を……食え」
 少年の言葉を聴いて、足元にあった肉片を反射的に黒服が蹴り飛ばす。飛んできたそれを、人々は 皆避けて己から遠ざけようと躍起になった。
「なんだそれ。遠慮すんなよ。たくさんあるんだよ」
 一歩一歩詰め寄る瑛士が頭を抱えていた手の平を黒服の前にかざす。
「てめぇだけは逃がさねぇぞ」
 そう言って顔を上げた少年の額に、すでに銃痕は見当たらなかった。
 ヒュっと息を飲み込んだ黒服の男が、瑛士に背を向けて走り出し、離れた場所で事の成り行きを見守っていた 春川に縋りつく。いつの間にかサングラスをかけていた春川が、その顔をこちらに詰め寄る瑛士に向けた。
「……やはり君は、第四世代か」
「どけよおっさん」
「そんな気がしたんだ。君の前だと、僕の体が無意識に恐怖を覚える。第四世代の人を前にすると、いつもそうなんだ」
「どけって言ってんだろ」
「許してやってはくれないだろうか。榊(さかき)くんは教団にとって必要な人材なんだ」
「駄目だ」
「……そうか。仕方ない」
 肩を落としてため息をつくと、春川は素早く胸元から拳銃を引き抜き、瑛士の両膝めがけて発砲する。
「……ッ!!」
 少年が床に倒れこみ、顔をゆがめた。
 壊されると厄介な場所をピンポイントで撃たれてしまった。ここをやられると 身動きが取れない上に、やたら回復に時間がかかってしまう。
――……何だよ。やっぱり俺も銃くらい持ってくりゃ良かった……
 特に持ち物の検査もされなかった。持ってきても、ばれたりはしなかった。しかし今となってはもう後の祭り。 瑛士に出来る事といえば、時間を稼ぐ事くらいだ。
「……お前らも……目ぇ覚ませ!」
 仕方がなしに、呆然としているギャラリーに向けて言い放つ。
「血はもう絶えたんだ。こいつの目を見ただろ! こいつは失敗作なんだ!」
「時間稼ぎかな?」
 じわじわと追い詰めるように春川が瑛士に近寄る。
「第五世代なんて存在しないんだ! もう終わりなんだよっ! でも……でもそれが何なんだよ!  化け物になったところでてめぇらを取り巻く辛い現実は何にも変わったりしねぇぞっ。いい大人が雁首そろえて 夢見てんじゃねぇよっ!!」
 必死の形相で怒鳴りつける少年の体に、無数の銃弾が撃ち込まれる。
「縛れ」
 春川の命令に、いつの間にかその場に戻ってきていたガードマン二人が手際よく少年の手足を拘束した。
「いい事を思いつきました。せっかくですから奇跡の体の素晴らしさを、ここの皆に披露して貰うというのは如何でしょう」
 ぱちぱちと一人の拍手がすぐさま上がる。朦朧とした意識の中瑛士が目を開けば、五條が嬉々として両手を打ち鳴らしている。
――……ババァッ……
 苛立ちながらも、ダメージを負いすぎて治癒が間に合わない重たい体に瑛士は観念して目を瞑った。
 別に、細切れにバラされたところで死んだりはしない。痛みで心臓が止まる事もない。感情に任せてくだらない 展開に運んでしまったのは他ならない自分だ。それにもちろん、こうなるパターンだって想定していた。
――……恭士郎、死んじまったんだなぁ……
 長方形の台の上に横にされ、晒し者になりながら、ぼんやりと先ほど息を引き取った彼について考える。
――良かったのかな。もう冷やすことばっか考えなくていいもんな……
 本当は、あの肉が毒でも、たとえそうでなくても、彼の前に突きつけられる現実にあの男はきっと耐えられないだろう。 とても、とても繊細そうな青年だった。
――馬鹿だなぁ……ったく……
 ドン、と突然耳に入ってきた衝撃音と共に、電流のような痛みが右腕に走る。鉈で切り落とされたのだと 気付くまでには時間がかかったが、気付いたときにはすでに治癒が始まっていた。観客から歓声の声が上がる。
「やはり大分違うね。私ならこれだけで三十分はかかってしまう」
 四十分だろと心の中で突っ込みながら、冷めた瞳を春川に向けた。
「……なぁ、ちょっと疑問に思ったんだけど」
「何かな」
 興味深そうに素早く回復していく瑛士の腕を眺めながら春川が答える。
「あんたのその力があるのに、なんでわざわざ宗教立ち上げて金巻き上げるわけ」
「…………」
「簡単だろ。人間の前で金寄越せって言えばいいだけじゃん。羨ましいよな。出来損ないのクセに そんな力だけはちゃっかり受け継いでんだろ」
 返事の代わりに、今度は右足を切り落とされた。
 奥歯をかみ締めて衝撃に耐える。
「……っ、なんだよ……むかついちゃった……?」
「次はどこがいいかな、ああそうだ、一度バイオレットの瞳をこの手に握ってみたかったんだ」
 そう言って、サバイバルナイフを春川が瑛士の目の前にちらつかせる。
「なんだよ。もしかしてあんた……大した命令できないんじゃねーの? 例えば金を持ち出させるような、 本人の意思の反発が強いものなんかは……」
 そこまで言ったところで、瑛士の右目にナイフが容赦なく突き立てられた。
 痛みに声を上げた少年を見て、観客が沸きあがる。みなこの異常な空気にのまれてしまっているのかもしれない。 上がる悲鳴はどれも狂喜めいたものだ。
「……みんなの希望になってくれたお礼に、これが終わったらバラバラに切り刻んで海に捨ててあげるよ」
 興奮している他の者には聞こえないように、そっと春川が耳打ちする。
「もちろん、金庫に詰めてね。噂では君のお仲間がたくさん沈んでいるそうじゃないか」
「……うわ、さ、じゃねぇよバーカ」
 嫌というほどよく知っている。
 未来永劫死ぬ事も出来ず、狭い金庫の中で海の底に今も沈んだままのかつての仲間。まさか自分が そこに加わる羽目になろうとは。
――……参ったな
 そうなると、見つけてもらうのは至難の業だ。
 長い事忘れていた「死」への恐怖がふと瑛士の中に甦った。こんな風に滅びる事が怖いのは、随分久しぶりな 気がする。
「……おい、テメェ……春川……」
 すでに抵抗を諦めた体とは正反対の攻撃的な声で呟く。
「俺に何かあってみろ……テメェの百倍は根性曲がった化け物がその寝首掻きに向かうからそのつもりでな」
「……と、いうと?」
「お前もすぐに俺の隣に沈められんだ。そんときはまぁ、仲良くやろうぜ」
「君は、どこかの組織に属しているのかな」
「組織ぃ? なんだそれ。バッカじゃねぇの」
「…………」
 足はすでに完治している。右目は潰されたが左目は生きている。問題は、手足を拘束している鎖だ。 おまけにガタイのいいガードマン二人が目を光らせている。無駄に時間を稼いでみてはいるものの、あまり いい策が思い浮かばない。
「そうか。なら仕方ない。そこ、そこの君、ちょっと」
 ふいに春川が遠巻きに見ていたギャラリーに向けてそう声をあげる。
「ここへ来なさい。君に奇跡をあげよう」
 そう言って、近寄ってきた少女を瑛士の前に立たせる。
 片目だけの瑛士の視界に入ってきたのは、まぎれもなく守屋詩織の青ざめた顔だった。
「……ッ!!」
 動揺のあまりピクリと反応してしまう。春川はそれを目ざとく確認し、満足そうに微笑んだ後、 優しい声色で詩織に語りかける。

「己の資質と信仰心を信じましょう。その強い思いが奇跡を起こすのです」

 そう言って、彼が瑛士の指切り落とす。



PREV     TOP     NEXT


Copyright (C) 2008 kazumi All Rights Reserved.