ヴァイオレット奇譚2

Chapter7◆「万莉亜―【7】」




「少し、お時間よろしいですか」
 言いながら歩み寄ってくる永江を前に、なぜこの男はこんなにも敵意を剥き出しにしているのかを考える。 うざったい雨のせいだろうか。彼の一挙手一投足が、いちいち癇に障る。

「日本語で結構ですよ」
 頬に張り付いた髪を払いながらクレアがそう言うと、永江はうっすらと笑みを浮かべて首を振った。
「このままでお願いします。いつどこで、誰が聞き耳を立てているか分かりませんから」
「……なるほど」
 日本語ではないからと、声を潜める事もせずにこのような場所で連れと密談をしていたクレアを、遠回しに嘲って、 永江はそのまま彼に傘を差しだした。
 が、いつまでたっても受け取ろうとしない相手に、無言のまま差し出した腕を引く。

「……ご出身は、どちらですか?」
「あなたに何の関係が?」
「いえ、興味本位です。サングラスをかけていらっしゃるので気付きませんでしたが、 先ほどのご友人との会話に少し、北欧訛りが見られたもので、つい」
「……」
「そこでやっと、外国の方だと気付きました。そういえば連れのお方もそうでしたね。ご出身は、北欧ですか?」
「……手短に、お願い出来ますか」

 いつの間にか勢いの増した雨に打たれ、それでも瞬き一つせず相手を見据えて言う。
 永江は、一つ咳払いをして相手の言葉に頷いた。

「そうですね。では手短に。……私たち、どこかでお会いしました?」
 迷い無く彼の口から飛び出た言葉に、表面にこそ出さずにクレアは動揺した。
 あの病室での記憶は、確かに消したはずだった。

「たとえば、名塚さんの病室……」
「いえ、記憶にありませんけど」
「…………」
「人違いじゃないですか?」

 言われて、永江が何かを考え込むようにして黙ってしまう。
 打ち付ける雨に耐えきれずクレアが歩き出すと、彼は唐突に顔を上げて口を開いた。

「ご出身は、スウェーデンではないですか?」
「……は?」
「あなたの瞳、そのサングラスの下の瞳は、紫色ではありませんか?」

 眉をひそめたまま歩みを止めたクレアを見て、永江が一人納得がいったようにして頷く。

「クレア・ランスキー。これは、あなたの名前ですか?」
「…………」
 黙っている青年に確信を得て、永江は一歩進み、再びクレアに傘を差しだした。

「あなたを、知っています。名塚さんの前担当医が残したカルテに、 その名前がたびたび走り書きされていました。出身地から、その外見。その日喋った他愛のない内容。 前担当医は、名塚さんに痴呆症の気があるとも書き記しています」
「……」
「なぜなら、彼女の話に頻繁に登場する異国の見舞客など、存在しなかったからです。誰一人として、 あなたを知るものはいなかったからです」
 淡々と語る永江の言葉が、降りしきる雨音に所々遮断される。
 それでも、この相手にはこれで十分だろうと思い、永江はそのまま続けた。

「つまり、尋ねたいのはこれです」
「……」
「いつ私の記憶を、改ざんしたのですか?」



******



 万莉亜の祖母は、その金髪の青年を、魔法使いだと称した。
 時にはバンパイアだと、そして時には、ただの男の子だと。

 つまり彼女の話に、一貫性はなかった。辻褄も、全く合っていなかった。
 だから見逃していた。老人がぼんやりと語るお伽噺だと、今日の今日までその走り書きの存在すらも忘れていた。

 でも今、この金髪の青年を前にして思う。
 彼は魔法使いであり、バンパイアであり、そしてただの男でもある。そう言われても、 なんら抵抗は感じられない。そうさせるだけの、異様なオーラを放っている。
 彼を異質だと感じるのは、きっと彼が外国人だからではない。

 彼を見た事がある気がする。
 でも思い出せない。記憶にモヤがかかっているようだ。どうしても”その部分”だけが、思い出せない。 けれど”その部分”が確かに存在して、霧に包まれながらも記憶として残っている事を、永江は不思議と確信していた。
 だから、カマをかけてみた。
 案の定、目の前のペテン師が冷淡な微笑みを浮かべてみせる。

「……あなたたちは、……何者ですか」
「僕が何者かは、あなたが決めたらいい。そのどれもが、遠く外れていない」
 答えになっていない。ああけれど、答えを突きつけられて、自分は納得が出来るのだろうか。 自信が無くて、それ以上に恐ろしくて、カラカラに渇いた喉が唾を飲み込んだ。

「正直に言います。あなたと連れの方の会話を立ち聞きしていました。……あなたが、 名塚万莉亜さんの恋人だというのは、本当ですか?」
「答える義理はないよ」
「彼女を、再び捨てていくというのは本当ですか?」
「……」
「簡潔に、イエスかノーで結構です。教えて頂けませんか」
 少し躊躇った後、とても低い声で、確かにイエスと紡がれた言葉に、永江はゆっくりと頷いて、 結局受け取ってはもらえなかった傘を再び引っ込め相手に背を向ける。

「彼女に、結婚を申し込もうと考えていました。これで、胸のつかえが取れた」
 腹いせに、心にもない台詞を言い残して、一歩踏み出す。
「……?」
 そのはずだったのに、どういう訳か石のように固まってしまった足は、命令に反しびくともしない。
 まさかな、と、嫌な汗が額に浮かぶ。
 これは恐怖による筋肉の硬直に過ぎない。そのはずだ。そうであってくれと、必死に願う。

「……あの」
 おそるおそる、視線だけで振り返る。
 いつの間にかサングラスを外した、紫の瞳の青年が、その美しい顔を怒りに歪めてこちらを見据えていた。

「あの……もしかして……私に何かしましたか?」
「あんたを、殺してやりたい」

 飾り気のないストレートな悪意に、永江が再び生唾を飲み込んだ。



 万莉亜の祖母は、その金髪の青年を、魔法使いだと称した。
 時にはバンパイアだと、そして時には、ただの男の子だと。

 その通りだと、今になってみれば大いに頷ける。

 今日初めて会ったときから、言いようのない違和感を彼に感じていた。きっかけは、それだった。
 彼は、ずっとこちらに敵意を剥き出しにしていた。あれは、嫉妬だ。
 見た事もない男から不躾に嫉妬の刃を向けられて、戸惑った。きっかけは、それだった。

 彼はずっと怒っている。初めから、そして今も。上手に隠しているつもりなんだとしたら、とんだお笑い種だ。 棘だらけの相手は、こちらが一言言葉を発するだけで、癇に障ったような表情をあからさまに見せる。

 彼は初めから、嫉妬に狂ったただの男だった。
 気付いていないのだとしたら、とんだお笑い種だ。



PREV     TOP     NEXT


Copyright (C) 2008 kazumi All Rights Reserved.