霧雨の音が聞こえる。 紅茶の入ったカップの温もりが。 冷えた指先に沁みた。 The necessities of teatime フランスの作ったフィナンシェが食べたい。 紅茶を啜りながらぼんやりと思った。 自分で作ったスコーンだって悪くはないのだけれど、時々、無性にフランスの作った菓子が食べたくなる。 最近フランスに会っていないせいかもしれない。 フランスがこちらを訪れるときは、大抵手製の菓子を土産に持ってくる。 しかし、最近は忙しいらしく、彼の訪れもない。 結果として大分フランスが作った菓子を食べていないことになる。 電話で呼び出して作らせるか。 不穏な考えが頭をよぎるが、仕事で忙しい相手にそんなことをさせるのも酷な話だ。 仕方なくスコーンを齧る。 次にフランスが来るのはいつだろうか。 霧雨の降る窓の外を見ながら、自分の思考に苦笑した。 昔と変わらない。 フランスはいつもふらりとやってくる。 自分が幼い頃からそうだった。 約束なんてない。 昔は次はいつ来るのかと聞いたりもしたが、フランスがその問いに答えることはなかった。 だから自分もいつしか聞くのをやめた。 いつ来るか分からない相手をずっと待っている。 場所が森の中から家の中に変わっただけで、自分は何も変わっていない。 通信技術が発達した現代では、電話かメールで「あいたい」と一言伝えれば済むはずなのに、出来ない。 たとえ幼い頃、そんな技術があったとしても「あいたい」などとは言えなかったであろうのと同じように。 再度、紅茶を啜ったとき玄関の呼び鈴が鳴った。 淡い期待が生まれたけれど、フランスが来るわけないと自分に言い聞かせて立ち上がった。 ドアを開けると太陽の光の色をした金の髪が目に映った。 雨が降ってるのに場違いだなどと下らないことを思った。 そして反射的にドアを閉めようとした。 「待って待って坊っちゃん待って!!何で閉めるの!?」 フランスがドアに身体を滑り込ませながら、そんなことを言うのでついドアを閉める手に力が籠もった。 玄関先でフランスを見たらドアを閉めるという行為は癖になっているから仕方がない。 ドアに挟まれて痛いと騒ぐフランスの声が耳に届いて、あぁ本当にフランスが来ているとか変なとこに感動して、手の力を緩めた。 「お前、何でここにいるんだ？」 仕事で忙しいはずじゃなかったのか。 「現実逃避デス★」 「さっさと帰れ」 来てくれたのは嬉しいのに素直に喜べない。 本当に昔と変わっていない。 「お兄さん、働き詰めなんだよ!!ちょっとくらいの気分転換なら許されるでしょ？」 「ちょっとくらいで海を渡るな、馬鹿ワイン」 「ひっどいなぁ。ほら、坊っちゃんの好きなフィナンシェ作ってきたから一緒に食べようぜ」 結局、いつものようにフランスを家に上げ、彼のために紅茶を淹れ直した。 ソファーに腰掛けてフィナンシェを一口齧る。 アーモンドの香りに安心した。 しかし、何でフィナンシェなんだろう。 彼の料理のレパートリーは豊富で、土産で持ってくる菓子も様々だ。 それなのにどうして自分が食べたいと思っていたものをピンポイントで持ってくるのか。 食べたかったから嬉しいと素直に喜べれば良いのだが、生憎そんな性格でもない。 「なぁ、フランス」 「ん？」 「どうしてフィナンシェなんだ？」 「え？お気に召さなかった？」 「そうじゃなくて」 聞きたいことは分かっているのに上手く言葉に出来ない。 言葉に詰まっているとフランスが何を察したのか笑んだ。 「坊っちゃんが食べたいんじゃねぇかと思って」 ばれている。 こちらが言ってほしいことを分かった上での返答なんてタチ悪いことこの上ない。 「せめて久々に作りたかったからとか言え」 そう悪態をついたら、フランスは何故だか立ち上がって、俺の隣りに腰掛けてきた。 肩に手を回され、抱き寄せられる。 触れ合った部分は温かく、久しぶりの体温に泣きたくなった。 「お兄さん、これでもイギリスとのつきあい長いからねー」 お前の考えてることは何となく分かるんだよ、と続けられたから思わず殴った。 「何で殴るの!?」 「お前が変なこと言うからだ!!」 「イギリスだって俺に会えなくて寂しかったでしょ？」 青い瞳に見つめられるとどきりとする。 「寂しくなんかねぇよ!!」 拳を振り上げようとしたが、フランスに抱きしめられ、攻撃は失敗に終わる。 「素直になれよ」 素直に、か。 次はいつ来るのか聞いてやろうか。 「フランス…」 けれど、目が合った瞬間、言葉はどこかに消える。 会いたいも寂しいも言えない自分が今更何を言えるのだろうか。 「なぁに？」 きっと聞いてもいつもの通り答えなどくれないだろう。 「…何でもない」 俯いた俺の頭をフランスが撫でる。 今はこの優しさだけでいい。 素直になんかなれるわけがない。 代わりに別のことを聞いた。 「本当に仕事は大丈夫なのか？」 するとフランスは悪戯が成功した子供のように笑った。 「二日徹夜して頑張ったから、明日はお休み」 菓子を作る余裕があったことから実は予想がついていた。 「そうか」 「あれ？あんまり驚いてない？」 「お前の場合、本当に現実逃避でやってきそうだから一応聞いただけだ。仕事終わってないなら帰さないといけねーし」 「それって仕事終わってるなら帰らなくてもいいってこと？」 あぁ、そうか。 ここで頷けばフランスは泊まっていくのだろう。 ならば次はいつ来るのかという心配もしなくていい。 「好きにすれば？」 およそ肯定には聞こえない肯定を返すと、フランスは笑った。 「じゃあ、坊っちゃんも誘ってくれたことだし、お兄さん、泊まっちゃおうかな」 「誘ってなんかねぇよ!!」 しかもフランスは「まぁ、元から泊まるつもりだったけどね」とか言いやがった。 悔しかったので、食べかけのフィナンシェをフランスの口に押し込み、ぬるくなった紅茶を呷った。 END |