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 ヴァイオレット奇譚「Chapter2・"螺旋階段の秘密"」



「ここに、理事長室が?」
 はしゃいだ様子のシリルに手を引かれながら辿り着いたのは、新校舎だった。 何だか肩透かしを食らった気分になって万莉亜がため息を零すと、シリルの赤い瞳が彼女の顔を覗き込んだ。
「万莉亜どうして悲しいの?」
「てゆーか、悲しくは無いんだけど、ここはもう散々探したんだ……」
「そんなこと無い。ここにあるよ。でも、油断していたら見過ごすの」
 自信たっぷりにそう言うと、万莉亜の手を引き迷いの無い足取りでシリルが階段をのぼる。
「外から見ると分かるんだけど、ここは五階建てなの」
「……うん……えっ!?」
 思わず顔を上げる。得意げなシリルと目が合った。
 言われてみれば、中庭から見上げる新校舎は確かに五階建てだ。当たり前のように 四階建てだと思っていた自分が信じられなくて口をパクパクさせる。
「油断をしてると、五階には上がれない。油断をしていなくても、大抵の人は四階までしか上がれない。 ここはそうなってるの」
「……そんな」
 からくり屋敷じゃあるまいし、そんな馬鹿な事が現実にあり得るのだろうか。
 半信半疑のまま四階まで辿り着く。この階にはまだ何の教室も入っていない為、実質所々の部屋を物置として使っているだけだ。 それにのぼってきた階段は確かにここで終わっている。
「疑ったらのぼれないよ万莉亜。クレアはそんなに優しくないから、うんと強く信じなきゃダメ」
 相手に言い聞かせるようにして囁きながら、廊下を真っ直ぐ突き進む。このまま行ったら壁にぶち当たってしまうというのに、 シリルは歩を緩めようとはしなかった。
「……何にも見えないよ」
「見えなくても、あるの。騙されないでちゃんと見て。ほら、左」
 そう言ってシリルが万莉亜の肩の向こうを指す。誘われるようにして視線を向ければ、自分の すぐ横に、校内にはいささか不釣合いなステンレスの黒い螺旋階段が現れた。 それは確かに上の階へと続いている。万莉亜は目を見開いてただただ目の前に現れた巨大な螺旋を見上げた。
 そこはほんの一瞬前まで、ただの壁だったはずだ。階段は勿論、こんなスペースすら無かったなのに。
「……信じられない」
「万莉亜はすごいね。よっぽど相性が悪いんだ。梨佳は、見えるまでに三ヶ月はかかったよ。 見えない物を信じる事は難しいって言ってた」
 感心したようにシリルが呟いた言葉に驚いて万莉亜が振り返る。
「今、……梨佳って言った?」
「うん?」
「梨佳って……まさか、羽沢先輩?」
「うん」
「羽沢先輩も五階のことを知ってるの!?」
「勿論。梨佳は仲間だもん。さ、行こう」
 心なしか上機嫌な様子でシリルが螺旋階段をのぼりはじめる。
――まさか……寮長も……幽霊なわけ!?
 混乱しながらおそるおそる一段目にのぼる。幻のように消えてしまわないか、ほんの少しの不安はあったが、 踏みしめてみれば、確かにステンレスの固い感触が足の裏に伝わり、この階段がここに物質として存在している事を思い知る。 軽いめまいを覚えながら、それでも胸にくすぶる好奇心を抑え切れなくて万莉亜は階段をとうとうのぼりきった。
「……うそ……」
 本音が零れる口元を両手で覆って、目の前に広がる信じがたい光景に目を見張った。
 仕切りを取っ払った五階のフロアは、淡い照明に照らされ、まるで高級なホテルのエントランスホールのようにただただ広く、開放感に溢れていた。
「あっちのドアがシリルの部屋。あっちがハンリエットで、あっちがルイス」 
 呆気に取られている万莉亜をよそに、シリルがフロアの所々に見られる扉を指さして紹介する。 しかしその言葉に耳を傾けていられるほど冷静にはなれない。ほんの一階上に、こんな空間が広がっているとも露知らず 自分達は生活していたのだ。それは今こうやって事実を突きつけられてもなお、俄かには信じがたい。
「で、あっちの奥がクレアの部屋。りじちょーしつだよ」
 その言葉にやっと我に返り、万莉亜は促すシリルの後をおそるおそる歩き始める。
「ね、ねぇシリル……あなた、もしかしてここに住んでるの?」
「うん。ここがお家だよ」
「いつから……?」
「万莉亜が来る、ずーっと前から」
「……そう、なんだ」
 分かったような、分からないような、とにかく混乱した頭のままある扉の前に辿り着く。 フロアの奥まった場所にあるその扉は、他の扉と比べると一回り大きくて、確かに立派ではあったが、最早この中にまともな理事長が 居るとは到底思えなかった。
「ラスボス登場って感じ……」
 一人で呟くと、不思議そうな面持ちでシリルが振り返る。
「ううん、こっちの話。親玉がいるんでしょ? この中に」
「そう。万莉亜よく知ってるね。クレアは私たちのお父さまなんだよ」
「……なるほどね」
 一体何がなるほどなのか、自分でも分からぬままに頷く。一体どんな人物なのかは知らないが、 忘れてはいけない。自分が彼に要求したい事はたった一つ。アルバイトの許可だ。
「クレア、クレアー」
 そう言いながらシリルが扉をノックするが、返事が無い。二人はしばらくそこに立っていたが、 うんともすんとも言わない扉の向こうに、困り果てた様子でシリルが万莉亜を見上げた。
「……ごめん万莉亜。クレア、居ないみたい」
「そんなぁ……っ」
 思わず落胆を露わにすると、それにショックを受けたシリルが唇を固く結んで踵を返す。
「シリル!?」
「待ってて万莉亜! クレアを探してくるから!!」
「そんな、待ってっ……一人にしないでぇー!」
 万莉亜の叫びもむなしく、シリルの姿は一瞬で消え去った。
「嘘……」
 途端に心細くなり、キョロキョロと辺りを見回す。豪華で綺麗な空間だけれど、なんだか奇妙なねじれを感じて 居心地が悪い。
――……どうしよう……不法侵入とかにならないのかな……
 そう思い、なるべく小さくしていようと理事長室のドアの前で膝を抱えた。ふと左手の腕時計に目をやれば 時刻は午前十時を回っている。
――あとニ時間でお昼……それまでに何とかしないと。おばあちゃんのためにも……
「大丈夫ですか?」
 突然、頭の上から声が降ってきて万莉亜は膝に埋めていた顔を上げる。
 灰色のスーツを身にまとった男性が、優しく微笑んでいた。
「あ、の……」
 動揺している万莉亜を気遣うように男性は床に膝をついて彼女に腕を差し出す。彫りの深い顔立ちのわりに、 涼しい目元が魅力的な人だった。
「ここに生徒が迷い込むのは珍しい。さてはあなた、よっぽど相性が悪いようだ」
 明るい口調で彼はシリルと同じ言葉を呟く。
「……理事長さんですか!?」
 差し出された腕を取る前に、すがり付くような口調でそう言うと、男性は一瞬驚いた後、困ったように微笑んだ。
「いえ、私は理事長ではありません」
「……そう、ですか」
 あからさまに落胆する万莉亜を見て、男性は彼女の肩に手を置き慰めるように続ける。
「ですが、理事長代理みたいなものですし、お話くらいは聞けますよ?」
「……ほ、ほんと!?」
「だからそんなところに座っていないで、あちらのソファでお話しましょう」
 そう言って彼がフロアの中央にあるソファーを指さす。万莉亜は頷いて立ち上がると、紳士に接してくれる男性に 導かれるまま、ソファに腰かけた。
 万莉亜が座ったのを確認すると、男はどこからとも無くティーセットを持ってきて彼女の目の前でお茶を入れ始める。
「紅茶はお好きですか?」
「あ、はい!……あの、おかまいなく……」
 遠慮してそう付け足すと、彼は口元を綻ばせた。
「ここにお客様が来るのは珍しいですからね。おもてなしさせて下さい」
 そう言って優雅に微笑む彼の端正な顔立ちは、やはり日本人のそれとはかけ離れている。 百九十センチをゆうに超えるであろう長身ですっきりとスーツを着こなす姿は何か只者ではないオーラを放っていたし、 とどめの赤い瞳は、シリルと全く同じ色で妖しい輝きを放っていた。
「……あなたも……外国の幽霊なんですか?」
 失礼だとは思ったが、そこはやはりハッキリさせておきたかったので聞いてみる。 すると男は小さくふきだして、肩をすくめた。
「私の名前はルイス。生まれはイギリスですが、日本に移住してもう二十年になります」
 言いながら彼はティーカップを万莉亜の前に差し出した。
「幽霊ではありませんが、そう思うのも無理はない。こんなところに住んでいる者が居たら誰だって驚きますでしょうし」
「……違うの……ごめんなさい! 私失礼な事を……」
 慌てて万莉亜が取り繕うとすると、ルイスはゆっくりと首を振った。
「いいんですよ。人間じゃないのは、本当ですから。それに幽霊というのもあながち的外れではない」
「……やっぱり、お化けなんですか? 私霊感は無いはずなんだけど……」
「私達を見るのに、霊感は必要ありません。見える見えないはただの相性なんです」
「……なるほど」
 何が何だか分からないけれど、妙に納得してしまうのは、相手が冷静に淡々と説明するせいだろうか。
「あんまり、驚かないんですね?」
 今度はルイスが不思議そうに万莉亜を伺う。
「意外と……普通だったので」
「と、申しますと?」
「人間じゃない生き物を見たのは今日が初めてなんですけど、結構普通っていうか……。いえ、 混乱はしてるんですけど……多分慣れの問題だと思います」
「……慣れ、ですか」
「はい……多分……」
 自信が無さそうな声色でそう答えると、ルイスはやはり穏やかに微笑んだ。何だか嬉しそうなその微笑みは おそらく万莉亜の気のせいではないだろう。シリルといい彼といい、人間ではないこの人たちは、もしかしたら人間が好きなのかもしれない。 そう思うと、胸の奥にあった僅かな警戒心がだんだんと薄れ始めた。
「では、私の話はこれくらいにして、今度はあなたの話を聞きましょう。 なぜ理事長を?」
「は、はい……あの……あの、実は私アルバイトをしているんです!!」
 思い切って口を開く。意外な話の切り口に、ルイスは目を丸くした。
「それで……何回か門限を破ってしまって、寮長にバイトを辞めろと言われたんです。 でも、どうしても辞めるわけにはいかないんです! 時給上がっちゃったし……あそこが好きなんです。 そしたら、蛍が権力には権力って、あ、蛍っていうのはルームメイトなんですけど。それで私、ずっと 理事長を探してて……校長に対抗できるのは、理事長しかいないかなって……それで……」
 一気に言い切ってから万莉亜はギュッとスカートの裾を握った。タイムリミットはすぐそこだ。
「……なるほど。わかりました」
 黙って聞いていたルイスが納得したようにそう答えると、万莉亜は瞳を輝かせて彼を見つめた。
「僕から理事長に話をしてみますが、学生の規律や風紀を取り仕切っているのは事実上羽沢梨佳さんですからね……。 彼女の方にも、僕から掛け合ってみましょう」
「……寮長を、知っているんですか?」
「ええ。彼女も、ここを訊ねる事が出来る貴重な客人です」
 あの厳しい寮長が五階の存在をすでに知り、それを容認している事に万莉亜は内心驚いたが、とにかく 顔見知りならば話が早い。
「それで、あの、ずうずうしいとは思うんですけど、今日のお昼までにそれを寮長に言って欲しいんです」
「お昼まで?」
「はい、蛍が、寮長のことだからお昼にはもうお店に連絡するって……」
 俯いてそう言うと、彼はクスクスと笑ってカップに口をつけた。
「それなら大丈夫。彼女はいつもお昼にここを訪ねてきますから、その時に話してみましょう」
「あ、ありがとうございます!! あの、ほんとに、感謝します」
 顔一面に笑顔を浮かべ、今にも抱きついてきそうなほど身を乗り出して万莉亜が頭を下げる。
「あの、これ良かったらどうぞ! 呪いのサボテン人形なんですけど」
 摩央から突っ返された人形をポケットから差し出して、きょとんとしているルイスに握らせる。
「パタゴニア産の限定品なんですよ!」
 誇らしげにそう説明されると、ルイスはまじまじと手の平の奇妙なサボテンと睨めっこをはじめた。
「パタゴニアの……これは珍しい。一体どんなご利益が?」
「ご利益はありません! 呪いの人形ですから、持ち主に不幸をもたらすと忌み嫌われた伝説の人形なんです」
「な、なるほど……ありがとうございます」
 無邪気な少女の好意をありがたく受け取ると、ルイスはそれを胸ポケットにしまう。
「じゃあ私、今から授業に出るので、これで失礼しますね」
「はい。階段を見失うといけませんから、四階まで送りましょう」
 そう言って腰を浮かせたルイスに片手を突き出して万莉亜は首を振った。
「大丈夫です。階段があるの、もう疑ってませんから」
 何の迷いも無くそういい切った彼女にほんの少し虚をつかれて、ルイスは呆れたように微笑む。
「帰り道は、お気をつけて。ぜひまたいらして下さい。お茶をご一緒しましょう」
「はい、また来ますね!」
 そう言って少女はスカートの裾を翻し、存在の危うい螺旋階段を確かな足取りで駆け下りていった。 その後姿を微笑ましそうに見送ると、ふいにルイスが声を漏らす。
「しまった。名前を聞くのを忘れてしまった」
 まあいい。あの少女はまだやって来るだろう。なぜかそう確信してしまうだけの力が彼女の言葉にはあった。 おそらく、あの純粋な人柄のせいだろう。なぜだか心が洗われた気がして、足取りも軽く、彼は フロアの奥へと歩き出す。突き当たりの大きな扉をニ、三度ノックして、返事が無いと知ると彼はドアノブに手をかけた。
「クレア、起きていますか」
 薄暗い部屋に入りカーテンを引くと、昼の日差しが部屋に差し込む。光に照らされた主人のブロンドが ベッドの上できらめいた。
「……ルイスか」
 バイオレットの瞳をした美貌の青年が、気だるそうに呟く。
 その横で、一糸纏わぬ姿の羽沢梨佳がまぶたをこすりながらシーツを捲し上げた。
「今お客様がいらしてましたよ。お気付きでしたか?」
 ルイスの言葉を聞いた梨佳が厳しい顔つきで起き上がる。しかし、肝心の青年は 特にリアクションを見せるでもなく、横たわったまま再び瞳を閉じた。
「中々可愛らしいお嬢さんで、私にお土産をくれました」
 そう言って胸元からサボテンの人形を取り出し、主人の目の前でプラプラと振ってみせる。 煩わしそうにまぶたを半分持ち上げたクレアは、それを手に取り虚ろな眼差しで眺める。
「呪いのサボテン人形です。パタゴニア産の限定品らしいですよ」
「……良かったじゃないか」
 かすれた声でそう言ってやると、満足そうにルイスが微笑んだ。
「ちなみに持ち主にはもれなく不幸をもたらすんだそうです」
「バッカみたい、随分嫌味な事するのね、その子」
 水を差すように冷たく言うと、不機嫌そうな面持ちで梨佳がベッドから立ち上がり、 シーツを体に巻きつけたまま部屋にあるバスルームへと消えていった。
「やっぱり、私が言うと嫌味に聞こえちゃいますかね」
 ほんの少し落胆したようなルイスの口調にクレアが視線を上げる。
「いい子でしたよクレア。お茶に誘いました」
「そっか。良かったな」
 どう見ても年上で、体格などは一回り以上違うルイスを見上げては、まるで子供を見守る親のような口調でクレアが呟く。 穏やかに細められたバイオレットの瞳は、日の光に照らされて鮮やかな光彩を浮かべていた。



******



 その夜、すっかり安心しきった万莉亜は、自室がある二階ではなく、寮の三階に立っていた。 どうしても話を聞いてもらいたい相手の部屋の前でほんの少し躊躇う。
 思えば、こうやって彼女の部屋を訪ねるのは初めてだ。同じクラスになったことも無いし、 たまに合同授業で二言三言会話を交わす程度の間柄でしかない自分が、突然訪ねて迷惑ではないだろうかと ノックする手を出しては引っ込めての繰り返し。しばらくその場で難しい顔をしていると、 まるで待ちきれなくなったかのようにして扉が開かれた。
「……あ……」
「入って」
 部屋から出てきた逢坂千歳は、何を聞くでもなく、ただそれだけ言って万莉亜を部屋へと招き入れる。
「あの……お、お邪魔します」
 そう言ってペコリと頭を下げて、おずおずと部屋の中へ失礼する。 摩央と共同で使われている部屋は、どちらがどちらのスペースなのか一見するだけではっきりと分かった。
「うわ、摩央ちゃんのベッド……きったな……」
 洋服や化粧品がゴチャゴチャと放り投げられたベッドの上を見てそう漏らす脇で、千歳は皺一つ無い自分のベッドに 腰かけて相手を見上げた。
「私に話があるんでしょう? 言って」
 その言葉に驚いて万莉亜が振り返る。まるでずっと前から知っていたような素振りだと感じた。
「……どうして分かるの?」
「そういうの、何か分かるの。名塚さんが今日ここへ来る事も、少し前から分かってた」
「……すっごい」
 思わずそう零すと、ほんの少し意外そうな目つきで千歳が万莉亜を見つめる。
「どうして信じるの?」
「……え!? 嘘なの……?」
「嘘じゃないけど……こんなこと言っても大抵の人は信じない。摩央にも、そんなことあんまり言うなって注意されるし」
 肩をすぼめるような仕草をした千歳を見て、万莉亜は「あー」と呆れたように唸った。
「摩央ちゃんはほら、すっごい怖がりだからしょうがないよ。人間得手不得手ってもんがあるし」
「得手、不得手……」
「私は実は今日でそういうの知っちゃったから、きっとちーちゃんとも……あ! ご、ごめん」
 慌てて口元を両手で覆う。
 摩央がいつもルームメイトの逢坂千歳を「ちー」とまるでペットのような愛称で呼ぶものだから、 つい自分も「ちーちゃん」で慣れ親しんでいたが、実際の彼女とはそこまで深い中ではなかったことを思い出す。 けれどそんな様子の万莉亜に千歳はクスクスと笑みを零し、首を振った。
「いいよ、そう呼んで」
「あ、ありがとう。私のことも、万莉亜でいいから……」
「うん」
 そう言って微笑む千歳は、とても可愛らしかったがほんの少し幼くも見えた。
 おかっぱみたいに耳の横でバッサリと切り落とされた髪型の上に、体もみんなより小さい彼女だ。 穢れをしらない幼い少女のようなその姿で巫女装束を纏えば、たしかにある意味では神秘的と言えるだろう。 しかし、万が一まかり間違って着物を着せてしまったらきっと七五三と間違える人が続出するに違いない。心の中でそんな失礼な事を思い浮かべては、 見透かされないようにと必死にかき消した。なんたって神通力の持ち主だ。人の心が読めても不思議ではない。
「それで、私に話って……?」
 一人で頭を振っている相手を怪しむような口調で千歳が声をかけると、万莉亜は一つ咳払いをしてから腰を下ろして話を切り出した。
「……実は、信じてもらえるかどうか分からないんだけど、私今日、人ではないものと出会っちゃったの」
 神妙に万莉亜がそう口火を切ると、千歳はただ黙って頷いた。
「それで思ったの。もしかしてちーちゃんなら、あの人たちに気がついてるかなって……」
「……万莉亜が言いたい存在は分かる」
 千歳がそう答えると、万莉亜は期待を込めた瞳でベッドに腰かける彼女を見上げた。だが千歳は残念そうに首を振る。
「でも、私には見えない。どうしても見えないの。居るのは分かるんだけど」
「……やっぱり。摩央ちゃんにも校務員のおじさんにも見えないみたい。彼らは、私が見えるのは相性が悪いからだって言うんだけど、 どういう意味か全然分からなくて……相性がいいならまだしも」
 愚痴るように万莉亜がそう零すと、千歳は何か思案するように頬に手を当てて黙りこくってしまった。 奇妙な静寂が部屋に訪れる。
「あ、あの……ちーちゃん?」
 居心地が悪くなり万莉亜が相手の顔を覗きこむと、千歳は一人納得するようにして頷き、顔を上げた。
「私ずっと感じていたんだけど……」
「な、何を?」
「意図的な何か。多分彼らは本当は見えるのに、あえて姿を消しているの。 だから、気配を感じても決して目には映らない。私も彼らの術中にはまっているんじゃないかなって」
「……術」
「そう。曖昧で、超自然的な力。だからこそ、思ったとおりにはならない。万莉亜みたいに、 相性が悪くて見えてしまうイレギュラーが存在するの」
「な、なるほど」
「私、本当言うと、新校舎がずっと怖かったの」
 思い切って千歳がそう告白すると、万莉亜は驚いて目を見開いた。
「すごいちーちゃん! どうして新館って分かるの!?」
「何かがおかしい気がするの。あそこに行くとなんだか狸に化かされているような気持ちになるから」
 最も的確な例えに万莉亜は興奮して立ち上がった。まさしくその通りではないか。 そんな万莉亜の動作に、千歳はきょとんと首を傾げる。
「その通りだよ! 実はあそこは五階建てで、彼らはそこに住んでるの。でも普通は階段が見えなくて、 でもね、あそこにはすーっごく広いホテルのロビーみたいな場所がっ」
「ま、万莉亜……落ち着いて……」
 興奮して知らず知らずのうちに声が大きくなっていく万莉亜を、千歳が慌てて制止する。 薄い壁では会話が筒抜けだ。他人に聞かれて嬉しい会話でもなかったため、万莉亜も我に返って口元を覆った。
「ごめん。つい……」
「うん。それにしても、私馬鹿だった。五階建てだって、外から見ればすぐに分かるのに、 まんまと騙されるなんて」
「しょうがないよ。私もシリルに言われるまで気がつかなかったし」
 肩をすくめて答える万莉亜を不思議そうに千歳が見つめる。
「……シリルってその、例の存在?」
「うん、可愛い女の子だよ。外国の女の子だけどね。一緒に理事長室を探してくれて、あとルイスさんもいい人、じゃないや、 いい生き物だった」
「……すごいね。怖くないの?」
 感心したように呟く千歳に万莉亜が微笑んで返す。
「最初は、少しね。でも、多分慣れの問題だと思う」
「……慣れ」
「そう、慣れ。何でも慣れ。人間歳を取るごとに怖い物が減っていくっておばあちゃんも言ってたし」
「……そっか。そうかも……」
 納得したように千歳が頷いたとき、バタンと音を立てて豪快に部屋の扉が開かれた。
「あっれー、万莉亜じゃん」
 私服に身を包んだ摩央が部屋に珍しい人物を見つけて駆け寄る。デートの帰りなのか、すっかり 上機嫌の摩央はほんのりとお酒の匂いを漂わせながら万莉亜に抱きついた。
「めずらしー。あんた達友達だったんらぁ」
 舌の回らない口調でそう言うとそのまま万莉亜の腕の中に崩れ落ちる。 それを呆れ顔の千歳がずりずりと引き摺って無理やり物が散乱するベッドの上に寝かせた。
「まったく……いっつもこうなんだから」
「すごいね。ちーちゃん小さいのに、結構力持ち」
 自分よりも重たいはずの摩央を腕の力だけで持ち上げてベッドに運んだ彼女に感心すると、 千歳はげんなりした様子で乾いた笑いを零した。
「まぁ、しょっちゅうやってるからね。慣れちゃったよ」
 そう言ってからはっと気付いたようにして、千歳が照れ笑いを浮かべた。
「……やっぱ慣れってすごいね」
「だよね」
 万莉亜も満足そうに微笑み返し、そっと彼女らの部屋を後にする。
 まずはルームメイトの蛍に打ち明けようかとも考えたが、やはり真っ先に千歳に相談して正解だったのかもしれない。 何となく、彼女ならきちんと話を聞いてくれる気がしたし、実際そうだった。あんなに稀有な体験を一笑に付されてはつまらない。
 驚きを誰かと共有できた事で、若干すっきりした万莉亜が自室へ向かおうと階段を下りていると、階下にある人物の姿を捕えた。 思わず引き返したい衝動に駆られたが、彼女が立っているのは紛れも無く自分と蛍の部屋の前だ。 おそらくは万莉亜を待ち構えているのだろう。逃げ場は無いと観念し、重い足取りで階段を下りる。
「お帰りなさい、名塚さん」
 感情の無い声でそういうと、羽沢梨佳が万莉亜に冷たい視線を向けた。
「……あ、あの……先輩……?」
 頬にかかったショートカットの髪を耳にかけなおしながら、梨佳は腕を組んで万莉亜の前に立ち塞がる。 怒っているのだとその表情が物語っていたが、怒られるいわれは無いと、毅然とした態度で万莉亜も相手を見返した。 理事長にすがり付いてはいけないという規則などは存在しないはずだ。
「……今日の、ことですよね」
 おそるおそる口を開くと、梨佳が小さく頷いた。
「そうよ」
「私は……どうしてもあそこを辞めるわけにはいかないんです……」
「そうでしょうね。安心して。喫茶店でのあなたのアルバイトを許可する事にしたわ」
「……えっ!?」
「だからもう二度とあの場所に入らないで」
 きつい口調で投げつけられた言葉に思わず固まる。梨佳の表情は どこか切羽詰っているようにも見えて万莉亜は動揺した。
「いいわね。約束を守らなかったら私あなたを許さないから」
「で、でも」
「聞きたくない。あなたの我儘に振り回されるのはもうごめんだわ」
 冷たくそう言い放つと梨佳はまだ呆然としている万莉亜の脇を通り過ぎ足早に階段を駆け下りていった。
「……そんな」
――ルイスさんと、約束しちゃったのに……
 彼との約束は破りたくないが、これ以上彼女を刺激もしたくない。
 再び難題にぶち当たり頭を抱えた万莉亜は、その晩中々寝付けずに、翌朝も重い足取りで学校へと向かう羽目になった。
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