消え失せた存在:第一章


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 街中が静まり返った真夜中に、コナンはかすかに聞こえたコール音に目を覚ます。
目の前の時計に手を伸ばし、時間を確認すると午前1時半。

(……誰だよ?こんな時間に)

 無視を決め込んでも鳴りやみそうにないそのコール音に、
コナンはけだるそうに布団から這い出て目をこする。
隣に目をやると、小五郎が他人事のようにぐっすり眠っていた。

(呑気なもんだよな……)

 呆れと羨ましさの混じったため息をつきながら、
コナンは腰を上げて居間へと向かうと、受話器を上げた。

「……もしもし?」

『――新一君か?』

「え……?は、博士?」

 意外な発信者にコナンは目を丸くする。
顔馴染みも顔馴染みだ。こんな非常識な時間に電話をかけてくるとも思えない。
ましてや博士ともあろう人が、相手の都合を考えないはずはないのだが――。

「……何かあったのか?」

 こんな時間にわざわざかけてくる理由はただ一つ。
何か重大なことがあったこそなんだろうと、コナンは本題を促した。

『…………哀君が……帰って来ないんじゃ』

「え?」

 しばしの沈黙の後、不安げに呟かれた言葉に、コナンは瞬間言葉を失った。



「すまんのォ、こんな真夜中に……」

 あれからすぐに電話を切ると、コナンは阿笠邸へと向かった。
図らずとも夜中に呼び出す形になってしまったことを、博士は申し訳なさそうに謝りながら、
ソファに座ったコナンにお茶の入ったグラスを渡す。
コナンは渡されたグラスを受け取ると、首を横に振った。

「いや。むしろ有り難いくらいだよ」

「有り難い……?」

 予期せぬ言葉に博士は首を傾げるが、コナンは何やら考え込むように押し黙る。
眉を寄せては首をひねる動作を幾度か繰り返してから、コナンはようやく博士に目を向けた。

「なあ、博士。ここ最近のあいつ見てて、何か違うところとかなかったか?」

「違うところかね?……特になかったとは思うがのォ」

「そうか……。ってことは、気付かれないように振舞ってたんだな」

 半ば呟くように言われた言葉に、博士はますます目をしばたたかせた。

「最近のあいつ、学校じゃちょっとおかしかったんだ。
 視線は覚束ないし、ちょっとしたことでも背後気にしたり、一人でさっさと帰ったりな。
 さすがに何かあるのかと思って訊いても、突っぱねられて話にならねーし。
 あそこまでピリピリしたあいつ見るの久々でさ。少し心配はしてたんだよ」

 コナンはやり場のないため息をつくと、向かいのソファへ目を向ける。
その際、端の手すりにもたれるように置いてあったランドセルが目についた。

「そう言や、博士。そのランドセルは?」

「ああ、これかね。哀君のじゃよ。
 夕飯の時間になっても帰ってこんから心配して、
 外へ捜しに行こうと玄関を出た時に、門扉の前に置かれてたのを見つけてな。
 急用でも思い出して、ランドセルだけ置いて行ったのかと思っとったんじゃがのう……」

「……追手があったのか」

 博士の言葉に、コナンは舌打ちすると独り言のように呟いた。

「え?」

「わざわざランドセルを置いて逃げた理由は、小学校へ通ってるという印象を少しでもなくすため。
 尚且つ、家に入らずランドセルを置いて行った理由は、博士に危害を加えさせないため。
 家に出入りしてるところを見られたら、住人が無関係とは言えねーからな。
 追われてなきゃ、いちいちそんな面倒なことする必要なんてねーだろ?」

 そう言うと、コナンはソファから立ち上がり、博士の横を通り過ぎる。

「悪い博士。俺のスケボー出してきてくれるか?」

「そ、それは構わんが……。わざわざスケボーで行かんでも、ワシの車で――」

「いや。博士はここに残っててくれ。万一、連絡が来ないとも限らない」

「し、しかし……」

 心配そうに異議を唱える博士を振り返ると、コナンは困った様子で笑う。

「あいつが怒るよ、博士なんて連れて行ったら。わざわざ被害が出ないように配慮したんだ。
 せめてそこはあいつの意図を汲んでやらねーとな」



 真夜中の公道を走る一台の黒いポルシェ。
周囲をまばらに走る車の多くは、制限速度を大幅に上回る速度で飛ばしていた。

「――アニキ、今スイッセスから連絡がありやしたぜ」

「どんな用件だ?」

 ジンは周囲を走る車の速度よりも増したスピードで走らせる。
助手席から聞こえた言葉に、タバコを咥えながら訊ねると、横目でウォッカへ目を向けた。

「ええ。何でもシェリーを捕まえたとか言ってましたが」

「何処だ?」

 訊くが早いか、ジンは突如急ブレーキを踏むと車を停止させる。

「え?」

「スイッセスがシェリーを見つけたのは何処かと訊いてるんだ」

 予想外の急ブレーキに前のめりになりながら訊き返すウォッカに、ジンは苛立った様子で声を荒立てた。

「ええ、何でも東京の方だとか……」

「そうか。それでシェリーは?」

「まだ薬で眠らせてるらしいですよ。
 とりあえず、人目のつかない所へ監禁してるらしいですが」

「それじゃあ、スイッセスに連絡しろ。『俺が行くまでシェリーはそのままにしておけ』とな」

 そう言うと、アクセルに足を置き、乱暴に車を発進させて東京方面へとUターンさせる。

「――アイツを始末するのは俺の役目だ」



「…………っ」

 見知らぬ場所で目を覚ました哀は、体を起こして辺りを見回した。
木張りのその部屋は、鍵付きの出入口の他は、小さめの窓が一つあるだけの殺風景なものだった。
その窓すらも、内側からは開かないように特殊加工のされている窓だ。
大きさ的には脱出できないサイズでもないが、開けられなくてはどうしようもない。

 かがされた薬のせいで、動くと時折来る眩暈。
まだ動くには早いかと、そのまま床へと寝そべった。

(……少し油断したわね)

 哀はため息をつくと、さらわれた時のことを思い出す。
一週間ほど前から妙な気配は感じていたが、つけられている感覚まではなかった。
だが、万一のことを考えて、コナンを含めた探偵団からはなるべく距離を取り、
下校時も足早に一人で帰り、気配がなくなってから阿笠邸へと帰っていた。

 もちろん、途中でコナンに相談することも考えたが、
確証もない以上、無駄な心配と不安を煽りたくもなく訊かれても否定した。
そんな日がしばらく続いた今日の帰り。普段と変わらず、一人で帰宅していた時のこと。
今までは断続的だった気配を常時感じるようになり、一度はそれをまいたのだ。

 それでも、すんなり阿笠邸へ帰ることもはばかられて、
ランドセルだけ門扉の前へ残し、逃げるように阿笠邸から離れた。
いくつもの路地を抜け、自分が今いる場所すら分からなくなった頃、
突如として現れた気配に、身構える間もなく眠らされて今に至る。

(心配……してるかしら……)

 ふと目を落とした腕時計の針が差していた時刻は3時50分。
まだ外が暗いことから考えても、午前3時50分だろう。
朝家を出てから全く帰っていないのであれば、博士のことだ。心配しているに違いない。

「……ごめんなさい」

 無意識に出た言葉と共に、涙が頬を伝う。
迷惑をかけているのは分かっている。――いや、もう既に組織の手が回っているかもしれない。
心配させたくなくて気丈に振る舞っていたことで、今更謝罪やお礼の言葉も言えやしない。
子供たちも、何も告げずに去ったとすれば心配するだろうか。

(……ないわね。そう思わせないために、冷たい態度を取って来たんだもの)

 ふと湧いた感情に、哀は首を振りながら否定する。
話しかけられても最低限の言葉を返すだけだった一週間。
下校時に足早に教室を後にしたことで、彼らが何かを話し込んでいたのは知っていた。
事情を知っているのか訊かれたであろうコナンが、しきりに首を傾げていたことも――。

(一番ホッとしているのは彼かしら……)

 初めて会った時に、まくしたてるように言われた罵声の言葉。
未だに思い出しては胸が痛むが、事実な以上否定しようがない。

「最初から……理解なんて求めちゃいけなかった……」

「――初対面の時のこと言ってるんなら、博士殺害をにおわせたオメーにも原因はあるんだぜ」

「え……?」

 予想外の言葉に、哀は声のした方を振り返る。

「工藤君!?」

 抑え気味の声で思わず叫ぶ。
それを聞いた途端、コナンは自分の口元に人差し指を当ててから、窓から室内へと入り込んだ。

「ちょっと待って!あなたどうして……!」

「夜中になっても帰って来ないお前を心配して、博士が連絡してきたんだよ。
 で、最近のお前の行動から察して、奴ら絡みの可能性が高いと踏んで助けに来たってわけさ」

「で、でもどうやってこの場所――」

 言われてコナンはメガネの縁を数回叩く。

「こいつと探偵バッジ。まあ、ランドセル置いて行ったみたいだったし、
 オメー自身が持ってるかどうかは半信半疑だったけどな。でも持っててくれて助かったよ」

「またそんな呑気なこと言って……!大体、こんなところに来てどうするつもりよ!?
 彼らに見つかりでもしたら、あなただって無事じゃ済まないわよ!?」

 焦った様子の哀に対して、コナンは緊張感などまるで気にしない様子で面白そうに笑う。

「大丈夫。それが分からずに助けに来るほど、俺はバカじゃねーよ」

「そういう問題じゃ――!」

 抗議しかけた哀の言葉が止まった。
コナンが哀の前に移動したのとほぼ同時に、部屋の扉が開く。

「――おや?捕まえていない獲物までいるようだね。誰だい?」

 入って来たのは長身の中年女性。
一見して隙がなく、その鋭い眼光から漂う冷徹さ。右手には拳銃を携えている。

「あんたに名乗る義務はねーな」

「ほう……。そうかい」

 そう言うと、女はコナンの前で立ち止まり、頭に拳銃を突きつける。

「これでもかな」

「そうだと言ったら?」

 表情一つ変えずに睨み返すコナンを、面白そうに笑うと、コナンから銃口を逸らす。

「面白い子だ。でもね、ボウヤ。私が用があるのは後ろのお嬢ちゃんだ。
 申し訳ないがそこをどいてもらえないかね。ボウヤをどうするかはその後だ」

「そりゃ奇遇だな。こっちもこいつに用があるんだよ。
 だからさ、おばさん。――そこ、どいてくれない?」

 無邪気にニッコリ笑った瞬間、コナンは持ってきたサッカーボールを思い切り蹴り上げた。
予想外の反撃に、身構えないまま女は部屋の隅まで吹っ飛ばされる。
コナンは近くに落ちた拳銃を拾い上げると、哀の手を引っ張りドアへと向かった。

「――待ちな!!」

 女の叫び声と共に発砲音が響き渡った途端、哀がバランスを崩してその場へ倒れ込む。

「おい!大丈夫か!?」

「……足にかすっただけよ」

 言葉の通り、出血も殆どなく軽傷だ。
女の方もふらつきながらの発砲だったらしく、狙いは甘かったらしい。
コナンは哀を支えながら体を起こさせると、女を振り返る。

「拳銃は一丁だけじゃなかったってわけか」

「万が一のことを考えると、一丁じゃ心許なくてね」

 女は横たえた体を重そうに起こしながら、コナンへと銃口を向けた。

「どうも私の読みが間違っていたみたいだよ。ボウヤの方が厄介らしい。
 悪いがここでみすみす見逃がすわけにはいきそうにないねぇ」

「ああ。こっちもハナから逃げるつもりはなかったぜ。
 ここで逃げても、こいつの追跡が止まなきゃ意味がねーからな」

 コナンの言葉に、女は呆れたように笑う。

「ならどうしてここから出ようとする必要がある?」

「そうでもしねーと、こいつを安全な場所に匿えねーだろ?」

 淡々と答えたコナンの言葉に、哀が驚いた様子でコナンの腕を引っ張った。

「ちょっとどういうこと?聞いてないわよ、そんなこと」

「ああ。言ったらお前、絶対拒否するからな。
 まあ文句は後でまとめて聞いてやるよ。今はあいつをどうにかする方が先だ」

 そう言うとコナンは女の方へ視線を戻す。
コナンから先程受けた攻撃の痛みはまだ残っているだろうが、女は壁伝いに何とか立ち上がった。

「子供の割には見上げた根性だが、良いのかい?その選択は自分で死を望んだも同然だよ?」

「ああ。それに、こちとら死を望んだつもりはないんでね」

「その強がり、一体いつまで通用するかね?」

 変わりそうにない強硬な態度に、女は興味深げに一笑すると引き金を引く手に力を込めた。



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