楽史舎では中国の星座について2冊の本を出版していますが、制作段階から日本の星座はどんなのだったのか?という疑問がありました。
知っての通り、現在一般的に使われているおおぐま座、オリオン座といった名前は20世紀になって西洋から入ってきたものです。
日本でも朝廷などの公的な場で使われていたのは中国の星座でした。キトラ古墳に描かれていたのは中国の28宿でしたし、陰陽道などで使われていたのもおそらくこれでしょう。江戸時代に渋川春海によって若干の日本オリジナルの星座を加えられるまで、中国のものをそのまま使っていたと思われます。
なお、日本の星座を加えた星図は大阪市立科学館のホームページで見ることができます。日本や中国の星座を調べるには必見です。
ただ、日本・中国どちらもですが、占星術というのは当時最高の国家機密でした。
『史記』天官書などに星座名は記されていますので、知識人は知り得たでしょうが、庶民レベルがどこまで知り得たかというと疑問が残ります。
特に日本では漢風でない星の名前があまり残っておらず、あまり星に興味を持っていなかったのではないか?という説もあります。
七夕の織り姫・彦星も中国から来たものですが、日本の民間伝承とうまくリンクして広まった希有な例です。
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