残された数字の謎:第二章


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 書斎の扉を開き、中の惨劇に真樹は悲鳴を上げた。
その悲鳴に慌てて中を覗いた小五郎が目にしたのは、心臓を刺され血を流し倒れていた敏夫の姿。
驚きで少しずつ後退する真樹の横を抜け、小五郎は敏夫の首筋へと手を当てる。

「真樹さん」

「…………は、はい」

「すみませんが警察に連絡して下さい」

「警察……」

 やっとの思いで返事をしたが、小五郎の言葉にハッとした様子で小五郎を見た。

「あの……旦那様は……」

 口元で握りしめた両手を震わせながら不安げに訊く真樹に、小五郎は首を横に振る。

「申し訳ありませんが、亡くなられています」

「そんな……」

 真樹は小五郎の言葉に一瞬目を見開くが、すぐに視線を落とす。
少し時間をおいて、自分を落ち着けるように息を吐き出すと顔を上げた。

「……警察、でしたね……連絡してきます」

 まだ不安げな表情を見せて走っていく真樹の背中を見て、小五郎は重いため息をついた。

「――おじさーん!」

「お前……!」

 その真樹と入れ違うように現場へやって来たコナンに、
小五郎は怒鳴りかけるが、後ろについてきた人物を見つけて言葉を切った。

「何でお前が……」

「雪で立ち往生したっていうのが平次兄ちゃんだったみたい」

「まあそういうこっちゃ。ホンで何があってん?」

 この状況に小五郎は諦めたように肩をすくめると、室内の方に向けて顎をしゃくる。

「家の家主が殺された。心臓を一突き、ほぼ即死だ」

「ホンなら死亡推定時刻はどれ位や」

「まあ、遺体の状況から言って今から一時間以内――午後六時から午後七時の間ってところだな」

 そう言うと小五郎は再び室内へ入る。
それについて行く形でコナンと平次も中へ入り、遺体の傍にかがみ込んだ。

「……あれ?」

「何や、どないしてん?」

「あそこ……あの腕のところ何か変じゃない?
 心臓を一突きにされた割には、腕の下の床に血痕が見えるような……」

 コナンの言葉に、小五郎と平次はコナンの指差した遺体の左腕を確かめる。
ほとんど腕で隠れてはいるが、そこには不自然に血が付いていた。
さすがに不審に思い、小五郎が慎重に被害者の腕を持ち上げる。

「ダイイング・メッセージちゃうんか、これ」

「みたいだね」

 小五郎が持ち上げた腕の下にあったのは、血で書かれた文字。
書いてからわざわざ腕で隠したということを考えても、敏夫が残したものに違いない。

「おい。念のためにどっちか写真撮っとけ。
 さすがに警察が来る前に、遺体動かすわけにはいかんだろう」

 言われてコナンが携帯のカメラで血文字を撮影した。
それを見てから小五郎は持ち上げていた腕を下ろすと、コナンの背後へ移動する。
コナンはデータフォルダを開き、撮った血文字を再度確認した。

「……少し歪んでるけど、ほとんど数字だね」

 画面に表示されている画像は『5・1・0・レ・1』の五文字。

「……ストレートに犯人の名前やろか」

「普通はそうだろうけど、でも……」

「――分かったぞ!」

 言葉を濁すコナンとは対照的に、
自信満々に声を上げて立ち上がった小五郎を、コナンと平次は面倒くさそうに見上げた。

「犯人は『ゴトウレイ』って奴だ!」

 意気込んで言う小五郎を無言で見つめた後、
二人は示し合わせたかのように同時にため息をついた。

「何だ!その反応は!」

 不満げに抗議する小五郎だが、二人からは呆れ顔しか返って来ない。

「あんなぁ、おっちゃん……。それやったら何で全部数字とちゃうねん」

「何の話だ」

「『ゴトウレイ』って言いたいのなら、『5・1・0・0』だけで良いじゃない。
 いつ死ぬかも分からない状況で、『レイ』を表したいんなら、
 『レ・1』の二文字より、一文字で済む『0』を書くのが普通じゃないの?」

 コナンの反論を鼻で笑うと、小五郎は首を左右に振った。

「これだからガキは困るんだよ。
 数字だけじゃ何のことか分からないからこそ、途中にカタカナを加えたに決まってんだろ!」

「じゃあ、どうして最初から全部カタカナで犯人の名前を書かなかったの?」

 この言葉に小五郎は一瞬眉を上げると、行動を止めた。

「犯人にバレる可能性を考えたからこそ、文字を腕で隠したんでしょ?
 だったら、わざわざ名前をカモフラージュする必要はないと思うんだけど」

 畳みかけるように言われた言葉に、小五郎はそれ以上の言葉を飲み込んだ。



「――警察が来られない?」

 真樹によると、屋敷に通じる道が雪で通行止めになっていて、
どうにも現場へ向かうことができない、というものだった。

「はい……。それから、この吹雪が止むまでは恐らく無理だと」

 真樹の言葉に小五郎は少し考えるように顎に手を置いた。

「……となると、こっちで何とかするしかねえな。
 真樹さん。この部屋、鍵はかけられますか?」

「あ、はい」

「それでは何度もすみません。この部屋の鍵を持ってきてもらって良いでしょうか。
 それから、住人の方をリビングに集めて下さい。状況を説明します」

「わ、分かりました!」

 小五郎に言われて、真樹は来た道を慌てて戻って行った。



 しばらくして鍵を手に戻って来た真樹から鍵を預かると、
現場となった部屋に鍵をかけてから、揃ってリビングへと向かう。
リビングには既に住人全員が集まっており、小五郎は簡単に現状を説明した。
真樹の叫び声は全員が聞いていたようで、何かがあったことは察していたようだ。

 集まっていたのは、妻の由里、長男の隆、次男の俊哉、次女の詩織の五人。
小五郎が事件当時のアリバイと動機の有無を訊いた際、予想外の言葉が飛び出した。

「……正直に申し上げますと、主人を殺す動機は全員が持っていたと思います」

 淡々と告げられた由里の言葉に、コナン達は耳を疑った。
だが、子供たちは誰一人としてその言葉に異を唱えようとはしない。

「……元々酒癖がかなり悪い人で、お酒を飲む度に人が変わったかのように、
 私たち家族に対して、暴力や暴言を吐くなど日常茶飯事でした。
 何度か警察沙汰になりかねたことすらあったくらいです」

「でも、さすがにそれだけでは……」

 苦笑いして言う小五郎に、由里はゆっくりと首を振る。

「それぞれに別の理由があります」

「別の理由?」

「私の場合は……主人の浮気性……と言うんでしょうか」

 言いづらそうに目を伏せると、由里は小さく息を吐いた。

「あの人は浮気を隠そうとはしていませんでした。
 ――いえ。公言していたという方が正しいですね。
 私に知らされていただけで、五人はいたと思います」

「五、五人もおったんか!?」

「ええ。お恥ずかしながら……」

 由里は困ったように眉を寄せると、寂しそうに笑った。

「……浮気は良いんです。最初こそ怒りましたが、それもすぐに無駄だと分かりました。
 『お前はここがダメだ』『お前は出来損ないだ』などと言うようになったんです。
 あの人の目的は浮気じゃないんですよ。それぞれに秀でている女性と付き合い、
 私を彼女たちと比較して、その反応を楽しむのが目的だったんです」

「そんな……」

「嘘だと思いでしょう?……最近はますます酷くなる一方でした。それと、あともう一つ……」

「――姉さんです」

 言葉を濁した由里の言葉を俊哉が代弁するように言うと、小五郎の顔を見る。

「お姉さん?……となると、詩織さんのことですか?」

「いえ。詩織は次女です。今はここにはいませんが、美佐という姉がいたんですよ」

「ほう。それで、彼女は今何処に?」

 その言葉に、俊哉は一瞬小五郎から目を離した。

「……二年前に亡くなりました」

「亡くなった?」

 俊哉は静かに頷くと、再び小五郎へと視線を戻す。

「自殺……いえ、父さんに殺されたような形で首を吊って亡くなりました」

「……と言いますと?」

 俊哉は黙って隆に目を向ける。二人は視線を交わすと共に無言で頷くと、今度は隆が口を開いた。

「酒癖の悪かった父から暴行を受けていたのは、主に私達兄弟でした。
 でも、その現場に出くわす度に、美佐は私たちをかばっていたんです」

「姉さんはとても優しい人で、僕達をかばって暴行を受けても決して文句を言わなかった。
 それどころか、決まって言うんです。『お父さんを悪く思っちゃいけないよ』って。
 ……家族の中で、唯一父さんを信じていたのが姉さんだったんですよ」

「でも、だったらどうして自殺を?」

「私が父から受けた暴力で、右腕を骨折したことがあったんです。
 ようやくギプスも取れようかという頃、また父が私達に暴力を振るい始めました。
 それを見かねて止めに入った姉が、初めて父に抗議したんです」

「それが父さんにとってはかなり不愉快だったようで、
 姉さんを部屋の端まで突き飛ばしてから、凄い剣幕で言い放ったんです。
 『俺に口答えするような奴は娘でもなんでもない!文句があるなら死ねばいい!』と」

「さすがの美佐もこれはショックだったらしくて、しばらく部屋にこもったんです。
 全く姿を見せなくなった美佐を心配して、母が様子を見に行ったら、首を吊って自殺を……。
 美佐の足元には『力になれなくてごめんなさい』と書かれた紙が置いてありました」

「それ以来、兄さんと話したんです。姉さんの無念はいつか僕達で晴らそうと」

 その言葉に驚いた様子を見せた小五郎に、二人は慌てて手を振った。

「だからって殺そうと言っていたわけじゃないですよ。
 ただ、せめて償いの言葉を言わせたり、暴力を振るうのをやめさせたり、
 何とかして父を改心させられないかと思っていたんです」

「でも、言葉での説得が無理だった場合、拳を交える可能性がなかったとは言いません。
 ……そうでもしないと、姉さんが自殺した意味がなくなってしまいますから」

 聞かされた事実にコナン達は言葉を失う。
どうすればそこまで自分の家族を傷つけ合う気持ちが双方に芽生えるのか――。
重苦しくなった場の雰囲気を誤魔化すかのように、小五郎は咳払いした後、話題を変えた。

「奥さんと息子さんの動機は分かりました。それで詩織さん。あなたは……?」

「……当時付き合っていた彼が家族と一緒に心中したんです」

 詩織はうつむきがちに言うと、膝の上で両手を握りしめた。

「初めてこの家に彼を連れて来て、父に紹介した時、父がいきなり彼を殴ったんです。
 最初はいつもの癇癪が出たのかと思ったんですけど、そうじゃなかったみたいで……」

「と言うと?」

「それまでは和やかに話していたのに、彼を殴った途端声を荒げて
 『二度と私の前には現れるな!娘にも一切近付くんじゃない!』と声を荒げて、
 彼をそのまま屋敷の外へ追い返しました。理由を訊いても全く話してくれなくて……。
 ただ、それから一ヶ月ほど経った時、彼の父親の会社が倒産したと聞かされたんです」

「……まさか、それを敏夫さんが?」

 その言葉に詩織は静かに頷くと、口惜しそうに唇をかんだ。

「負債額も計り知れなかったみたいで、その影響で彼は高校を中退する羽目になりました。
 彼の父親がやっとの思いで仕事を見つけて、必死で家族のために働いていた最中、
 父がその職場までも潰そうと企み、その責任を取らされる形で、彼の父親は解雇。
 それからどれだけ奮闘してもその度に機会を奪われ、どうしようもなくなり一家心中したんです」

「しかし、詩織さんは敏夫さんから交際を止められたんでしょう?その事実は一体誰から?」

「交際は反対されていました。でも、バレないように時折会ってはいたんです。
 事情を知った彼の両親からも交際は反対されていたので、本当にこっそりと。
 ……ただ、彼が亡くなった事実に関しては、しばらくしてから友人を通して知りました」

 どこか寂しげにそう言うと、詩織はやりきれない様子で首を左右に動かした。

「父の傲慢さは今に始まったことではありません。
 それでも、無関係の人たちをも巻き込んだ父の行動は、許されるものではないと思うんです」

「なるほど……」

 全てを聞き終わると、小五郎は安堵と疲労が混じったようなため息をもらした。



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