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新一は、手首の状態を確かめると、相手が負っている傷をいたわる様子で、
傷に触らないよう、ゆっくりと、熱をなくした床に横たえた。
かがんでいた体勢から立ち上がると、携帯を取り出し、ボタンを押す。
電話口で二言三言話してから、電話を切ると、自分の傍らで横になっている人間へ再度目を向けた。
しばらくしてやって来たのは、救急車と警察。
警察が一通り救急隊員に容態を聞いた後、宮内は近くの救急病院へと搬送された。
救急隊員の話によると、新一が宮内を発見した時点で、いつ死んでもおかしくない状態だったという。
そのため、一目見たところでは、助かるかどうかは分からない。
後は患者の精神力、体力次第で事情が変わってくる、とのことだった。
宮内を乗せた救急車が、サイレンを鳴らしながら遠ざかっていくのを、
現場にいた人間が静かに見送った後、馴染みの警官が新一へと声をかける。
「それで工藤くん。何があったのか教えてくれないかね」
「ええ。……といっても、僕の方も詳しくはまだ把握しきれていないんですが、
実は今日の昼過ぎ、僕の所へ事件の依頼に来られた方がいまして――」
新一は手短に、かつ依頼人に差しさわりのない程度で、依頼内容を話す。
その後、ここへ来た経緯について説明すると、目暮は頷きながら現場へ目をやった。
「しかし、犯人はよほど宮内さんを恨んでいたんだろうな」
「ええ。相当数の刺し傷があるだけでなく、頭部には数箇所殴打の痕がありましたから」
目暮は、新一の言葉にため息をもらす。
丁度その時、周辺の住人に訊き込みをしに行っていた高木が帰ってきた。
「警部ー!」
その声に振り返った目暮は、高木の姿を認めると、軽く手を挙げる。
「ああ、高木君。結果はどうだったかね」
「それがですね……」
言葉を濁してそう言うと、警察手帳を開けながら困ったように頬をかく。
「少し前――工場があった頃は人の出入りもあったんですが、
それが閉鎖されてからというもの、ここへ立ち寄る人間はいないに等しかったらしく……。
一番近い家に住んでいる住人へ訊いたんですが、さすがに五キロ近くも離れていると、
聞こえるものも聞こえないだろう、と口を揃えられまして……」
「目撃者の方は他にいなかったんですか?」
新一の問いかけに、高木は空しく首を振ると苦い顔で新一を見た。
「どうやら工藤くんが会ったっていう女の子二人以外は、残念だけどいないみたいだね」
「そうですか……」
そう呟いて無意識に新一がため息をつくと、傍にいた二人もつられたように息を吐き出す。
「それで、どうだね工藤君。――工藤君?」
新一に問いかけた目暮だったが、新一からの反応が無い。
不思議そうに目暮は新一へ目を向けると、何やら現場の入り口を凝視している。
「どうかしたのかい?工藤君」
再び同じ言葉をかけられて、新一は我に返った様子で、目暮たちを振り返った。
「あ、いえ。ちょっと考え事を。――すみません、それで何でしたっけ?」
「いやな、本人たちさえ良ければ、
唯一の目撃者であるその少女たちに話を訊きたいんだが……」
「ああ、それでしたら、後で僕の方から訊いてみます。ただ……」
新一は少し言い辛そうに言葉を切ってから、言葉を続けた。
「多分事情を聴かれることに同意はすると思うんですけど、聴取の方は明日以降で良いですか?
警部の都合さえ宜しければ、明日僕の方から二人を連れて警視庁へ出向きますので」
意味ありげな新一の口調に、目暮は不思議そうに首を傾げつつ、言葉を返す。
「それは構わんが、何かあるのかね?」
「いえ、それは全く」
カラッとした表情でそう言ってから、視線を先ほどまで見ていた出入り口へと傾ける。
その後に出た新一の表情は妙に曇っていて、口調もどこか警戒を伴っていた。
「……少し気になることが一つだけあるんですよ」
それから、しばらく目暮や高木と話していた新一だったが、二人に断ってその場を去った。
少し歩いて何度か辺りを見渡し、人の気配がない事を確かめると、携帯を取り出す。
「――博士か?俺だけど」
コール音が鳴り止んだので、相手へそう言ったのだが、電話口での応答がない。
「……博士?」
不思議に思って相手の名前を呼ぶと、電話口から何やら騒がしい音が聞こえた。
その状況に、新一は訳が分からず首を傾げて、相手が出るまで怪訝そうに携帯を眺める。
『おっそーい!』
「へ?」
『こっちが気にしてるのに、何ですぐ知らせてくれないのー?』
いきなり聞こえた声に、新一はため息をつく。
「それはいいから、博士に代わってくれ」
『良くない。どうだったかくらい教えてよ』
この言葉を聞いて、新一は困ったように頬をかいた。
教えるにしても、どう答えればいいものか。
死んでいないにはしても、あの状況では経過によれば、その可能性がないとも言えない。
かと言って、それを丸々伝えてしまえば、まだ幼い少女二人だ。
現場を見ただけでも、ショックを受けていたに違いないというのに、
生と死を彷徨っている、などという言葉は言うに言えまい。
「……とりあえず、死んじゃいなかったよ。――ほら、博士に代わってくれって」
悩んだ末に、随分曖昧な言葉で返したが、どうやらそれで納得したらしい。
受話器の奥から、多少の会話が聞こえてきた後、ようやく目的の人物が出た。
『すまんな、新一。どうしても話したいと――』
「そいつは良いんだ」
博士の言葉を殆ど断ち切るように言う。
その後で、声のトーンを落とすと、少し緊張した声で話し出した。
「悪ィけど、そいつら俺の家に送り返しといてくれねーか?」
『今……かね?』
「ああ。それ以上長居してると厄介なことになりそうな気がするからな。
それで、出来る限り遠回りで帰ってくれた方がありがたいんだけど」
『それは構わんが……』
「じゃあ悪ィけど頼むよ」
そう言って電話を切ると、疲れたような安堵したようなため息が無意識に出た。
(とりあえず、これで今のところあいつらは大丈夫だろうから、俺も現場に戻るか)
その場で軽く体の筋を伸ばすと、新一は元来た道を戻りだす。
その際、視線の片隅で何かが動くのを認めて、怪訝そうな面持ちでそちらへ目を向けた。
しばらくの間、黙って注視していた新一だったが、何事もなかったように現場へと赴きだす。
――何メートル歩いただろうか。新一は不意に勢いよく後ろを振り返ると、
目に飛び込んできた人物を黙って見据える。
背後にいた人物が、細長い棒のようなものを、今まさに振り下ろそうとしていた矢先だった。
新一が突如振り向いたために、相手は驚きのあまり動きを止める。
幸か不幸か、辺りには街灯もなく、月も木で隠れているせいか、暗闇に近い。
相手の顔がよく見えないが、それは逆に相手も新一の顔がよく見えていないに等しくなる。
新一は目の前にいる人物を無言で見つめながら、心で苦笑いした。
(って、俺が相手の顔見えてなくても、向こうは俺のこと誰だか知ってるよな?
だからこそ、わざわざこんな棒構えて、俺の目の前に突っ立ってるんだろうし……)
ヒョイと軽い気持ちで上を向いて、上げられたままの棒へと視線を動かした。
すると突然、相手が棒を持っていた両手を放した。当然、棒は音を立てて地上へと転がり落ちる。
「……え?」
相手が襲い掛かって来た場合に備え、身構えていた新一は、予想外の相手の動きに目を丸くする。
棒を落としたまま、相手が自分に踵を返し足早に走っていくのを慌てて追いかけた。
「おい!待て――!」
新一が相手を追いかけようと、走り出した瞬間だ。
急に後ろから感じた気配に、新一は足を止めて振り返りかける。
だが、完全に振り返るよりも先に、新一の後頭部を何かが強く打ち付けた。
「遅いですね、工藤くん」
鑑識と共に現場検証を再開していた高木は、思い出したように目暮に呟く。
「そうだな」
高木の言葉に、目暮は軽く頷きながら返事をして腕時計へと目を落とす。
「工藤くんがここを出て行ってから、大体三十分程度経つな」
「電話をしてくるだけ、と言ってたんですけ……ど――って、警部!」
高木は偶然、工場の出入口へと目をやった。
慌てた様子で言う高木の声に、目暮も同じ方向へ目を向ける。
「――工藤くん!?」
現場への出入り口である場所へ目をやれば、
今にも倒れそうなほど体をふらつかせ、塀伝いにこちらへやって来る。
そんな新一に、二人は慌てて駆け寄ると、両側から新一の体を支えた。
「……すみません」
実に申し訳なさそうに言いながら、新一は二人に誘導させられるがままに、
覚束ない足をゆっくりと動かしていく。
「確か、近くの交番に医務室があっただろう。そこで手当てしてもらうと良い」
目暮はそう言って、新一を高木と共にパトカーへと連れて行く。
先に高木がパトカーの前へ駆け寄ると、後部座席の扉を開けるとそこへ新一を横たわらせた。
「すまんが高木くん。工藤くんを連れて行ってくれ」
「分かりました」
扉を閉めながらそう答えて、高木はそのまま運転席へと乗り込む。
「ひどく痛むようなら言ってくれたら良いからね」
「ええ……」
運転席から後部座席を振り返った高木に、新一は痛みをこらえつつ口元に笑みを浮かべた。
「――工藤くん、理由訊かない方が良いかい?」
車の行き交う回数も大分少なくなった私道を走りながら、高木が静かに問いかける。
「ああ、いえ。大したことじゃないんですよ。
帰りがけに、通りがかった浮浪者に絡まれただけなんで……」
「絡まれただけで、そんな傷を?」
「え……いや、どうもかなり酔っていたみたいで」
不思議そうに言った高木に、新一は戸惑った様子で言葉を返す。
いくらなんでも、ここまで殴られた理由にはならないだろう。それは高木も気付いているはずだ。
だが、新一の態度に何かを感じ取ったのか、高木はそれ以上何も言わなかった。
二人が交番に着くと、用件を言わないまま、すんなりと医務室に通された。
どうやら目暮が先に連絡を入れていたらしい。お陰で手当ての方も比較的早くに終わった。
怪我自体は大事に至るほどではないにしても、強く殴打されているため、
手当てに当たった医師は、新一の方を見据えてたしなめるように言う。
「動いても構わんが、激しい運動を数日は控えた方がいいね。
いや、君なら……犯人を追いかけたり、争うようなこと、と言った方が無難かな?」
「……はい」
医者の言葉に、新一は思わず苦笑いする。
(無茶なこと言ってくれるよな……)
「――すみません、わざわざ」
「そんな怪我で歩く方が無茶だよ、工藤君」
手当てを終えた新一は、医師と交番の人間へ礼を言ってから、再度パトカーへ乗り込んだ。
最初は、とりあえず現場へ戻ると言い張っていた新一だったのだが、
目暮から『今日は家へ帰りなさい』と強く言われ、自宅へと戻ることになった。
その際、歩いて帰ろうとした新一だったが、高木は半ば無理矢理に新一をパトカーへ乗せたのだ。
(何か今日の俺、人に世話になってばっかりな気がするんだけどな……)
自分に呆れてため息をつきながら、新一は車から見える街の夜景を眺めた。
(まあ、まっすぐ自宅に帰れるのは、俺としちゃ安心なんだけどな。
……俺を殴って逃げて行った人物。俺の予想じゃ、アイツらはおそらく――)
新一は、まるで今、目の前に存在でもしている人物を見るように、
窓の向こうに見える街頭を、迷いのない視線で見つめていた。
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>>あとがき(ページ下部)へ
多少なりと描写部分の修正が、他の章に比べると多め。
後は、地の文部分が割と多い章だったので、適当に段落分けするための文章修正とか。
新一が襲われる部分の描写だけ、原案と少し変えてる感じかな。
というか、この章は特に描写部分の回りくどさが激しく感じた。何故だろうか。
今思うと、どうせ携帯で報告するのなら、
子供たちを現場までいちいち連れて行かなくても良いんじゃないの、と思いながらの編集。
おまけにあそこまで被害者のこと気にしてた子供たちが、
『とりあえず死んでない』の発言で、よく納得したなと我ながら感心した。