重複した出遭い:第四章


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 新一は、手首の状態を確かめると、相手が負っている傷をいたわる様子で、
傷に触らないよう、ゆっくりと、熱をなくした床に横たえた。
かがんでいた体勢から立ち上がると、携帯を取り出し、ボタンを押す。
電話口で二言三言話してから、電話を切ると、自分の傍らで横になっている人間へ再度目を向けた。



 しばらくしてやって来たのは、救急車と警察。
警察が一通り救急隊員に容態を聞いた後、宮内は近くの救急病院へと搬送された。
救急隊員の話によると、新一が宮内を発見した時点で、いつ死んでもおかしくない状態だったという。
そのため、一目見たところでは、助かるかどうかは分からない。
後は患者の精神力、体力次第で事情が変わってくる、とのことだった。

 宮内を乗せた救急車が、サイレンを鳴らしながら遠ざかっていくのを、
現場にいた人間が静かに見送った後、馴染みの警官が新一へと声をかける。

「それで工藤くん。何があったのか教えてくれないかね」

「ええ。……といっても、僕の方も詳しくはまだ把握しきれていないんですが、
 実は今日の昼過ぎ、僕の所へ事件の依頼に来られた方がいまして――」

 新一は手短に、かつ依頼人に差しさわりのない程度で、依頼内容を話す。
その後、ここへ来た経緯について説明すると、目暮は頷きながら現場へ目をやった。

「しかし、犯人はよほど宮内さんを恨んでいたんだろうな」

「ええ。相当数の刺し傷があるだけでなく、頭部には数箇所殴打の痕がありましたから」

 目暮は、新一の言葉にため息をもらす。
丁度その時、周辺の住人に訊き込みをしに行っていた高木が帰ってきた。

「警部ー!」

 その声に振り返った目暮は、高木の姿を認めると、軽く手を挙げる。

「ああ、高木君。結果はどうだったかね」

「それがですね……」

 言葉を濁してそう言うと、警察手帳を開けながら困ったように頬をかく。

「少し前――工場があった頃は人の出入りもあったんですが、
 それが閉鎖されてからというもの、ここへ立ち寄る人間はいないに等しかったらしく……。
 一番近い家に住んでいる住人へ訊いたんですが、さすがに五キロ近くも離れていると、
 聞こえるものも聞こえないだろう、と口を揃えられまして……」

「目撃者の方は他にいなかったんですか?」

 新一の問いかけに、高木は空しく首を振ると苦い顔で新一を見た。

「どうやら工藤くんが会ったっていう女の子二人以外は、残念だけどいないみたいだね」

「そうですか……」

 そう呟いて無意識に新一がため息をつくと、傍にいた二人もつられたように息を吐き出す。

「それで、どうだね工藤君。――工藤君?」

 新一に問いかけた目暮だったが、新一からの反応が無い。
不思議そうに目暮は新一へ目を向けると、何やら現場の入り口を凝視している。

「どうかしたのかい?工藤君」

 再び同じ言葉をかけられて、新一は我に返った様子で、目暮たちを振り返った。

「あ、いえ。ちょっと考え事を。――すみません、それで何でしたっけ?」

「いやな、本人たちさえ良ければ、
 唯一の目撃者であるその少女たちに話を訊きたいんだが……」

「ああ、それでしたら、後で僕の方から訊いてみます。ただ……」

 新一は少し言い辛そうに言葉を切ってから、言葉を続けた。

「多分事情を聴かれることに同意はすると思うんですけど、聴取の方は明日以降で良いですか?
 警部の都合さえ宜しければ、明日僕の方から二人を連れて警視庁へ出向きますので」

 意味ありげな新一の口調に、目暮は不思議そうに首を傾げつつ、言葉を返す。

「それは構わんが、何かあるのかね?」

「いえ、それは全く」

 カラッとした表情でそう言ってから、視線を先ほどまで見ていた出入り口へと傾ける。
その後に出た新一の表情は妙に曇っていて、口調もどこか警戒を伴っていた。

「……少し気になることが一つだけあるんですよ」



 それから、しばらく目暮や高木と話していた新一だったが、二人に断ってその場を去った。
少し歩いて何度か辺りを見渡し、人の気配がない事を確かめると、携帯を取り出す。

「――博士か?俺だけど」

 コール音が鳴り止んだので、相手へそう言ったのだが、電話口での応答がない。

「……博士?」

 不思議に思って相手の名前を呼ぶと、電話口から何やら騒がしい音が聞こえた。
その状況に、新一は訳が分からず首を傾げて、相手が出るまで怪訝そうに携帯を眺める。

『おっそーい!』

「へ?」

『こっちが気にしてるのに、何ですぐ知らせてくれないのー?』

 いきなり聞こえた声に、新一はため息をつく。

「それはいいから、博士に代わってくれ」

『良くない。どうだったかくらい教えてよ』

 この言葉を聞いて、新一は困ったように頬をかいた。
教えるにしても、どう答えればいいものか。
死んでいないにはしても、あの状況では経過によれば、その可能性がないとも言えない。
かと言って、それを丸々伝えてしまえば、まだ幼い少女二人だ。

 現場を見ただけでも、ショックを受けていたに違いないというのに、
生と死を彷徨っている、などという言葉は言うに言えまい。

「……とりあえず、死んじゃいなかったよ。――ほら、博士に代わってくれって」

 悩んだ末に、随分曖昧な言葉で返したが、どうやらそれで納得したらしい。
受話器の奥から、多少の会話が聞こえてきた後、ようやく目的の人物が出た。

『すまんな、新一。どうしても話したいと――』

「そいつは良いんだ」

 博士の言葉を殆ど断ち切るように言う。
その後で、声のトーンを落とすと、少し緊張した声で話し出した。

「悪ィけど、そいつら俺の家に送り返しといてくれねーか?」

『今……かね?』

「ああ。それ以上長居してると厄介なことになりそうな気がするからな。
 それで、出来る限り遠回りで帰ってくれた方がありがたいんだけど」

『それは構わんが……』

「じゃあ悪ィけど頼むよ」

 そう言って電話を切ると、疲れたような安堵したようなため息が無意識に出た。
(とりあえず、これで今のところあいつらは大丈夫だろうから、俺も現場に戻るか)

 その場で軽く体の筋を伸ばすと、新一は元来た道を戻りだす。
その際、視線の片隅で何かが動くのを認めて、怪訝そうな面持ちでそちらへ目を向けた。
しばらくの間、黙って注視していた新一だったが、何事もなかったように現場へと赴きだす。
――何メートル歩いただろうか。新一は不意に勢いよく後ろを振り返ると、
目に飛び込んできた人物を黙って見据える。

 背後にいた人物が、細長い棒のようなものを、今まさに振り下ろそうとしていた矢先だった。
新一が突如振り向いたために、相手は驚きのあまり動きを止める。
幸か不幸か、辺りには街灯もなく、月も木で隠れているせいか、暗闇に近い。
相手の顔がよく見えないが、それは逆に相手も新一の顔がよく見えていないに等しくなる。
新一は目の前にいる人物を無言で見つめながら、心で苦笑いした。

(って、俺が相手の顔見えてなくても、向こうは俺のこと誰だか知ってるよな?
 だからこそ、わざわざこんな棒構えて、俺の目の前に突っ立ってるんだろうし……)

 ヒョイと軽い気持ちで上を向いて、上げられたままの棒へと視線を動かした。
すると突然、相手が棒を持っていた両手を放した。当然、棒は音を立てて地上へと転がり落ちる。

「……え?」

 相手が襲い掛かって来た場合に備え、身構えていた新一は、予想外の相手の動きに目を丸くする。
棒を落としたまま、相手が自分に踵を返し足早に走っていくのを慌てて追いかけた。

「おい!待て――!」

 新一が相手を追いかけようと、走り出した瞬間だ。
急に後ろから感じた気配に、新一は足を止めて振り返りかける。
だが、完全に振り返るよりも先に、新一の後頭部を何かが強く打ち付けた。



「遅いですね、工藤くん」

 鑑識と共に現場検証を再開していた高木は、思い出したように目暮に呟く。

「そうだな」

 高木の言葉に、目暮は軽く頷きながら返事をして腕時計へと目を落とす。

「工藤くんがここを出て行ってから、大体三十分程度経つな」

「電話をしてくるだけ、と言ってたんですけ……ど――って、警部!」

 高木は偶然、工場の出入口へと目をやった。
慌てた様子で言う高木の声に、目暮も同じ方向へ目を向ける。

「――工藤くん!?」

 現場への出入り口である場所へ目をやれば、
今にも倒れそうなほど体をふらつかせ、塀伝いにこちらへやって来る。
そんな新一に、二人は慌てて駆け寄ると、両側から新一の体を支えた。

「……すみません」

 実に申し訳なさそうに言いながら、新一は二人に誘導させられるがままに、
覚束ない足をゆっくりと動かしていく。

「確か、近くの交番に医務室があっただろう。そこで手当てしてもらうと良い」

 目暮はそう言って、新一を高木と共にパトカーへと連れて行く。
先に高木がパトカーの前へ駆け寄ると、後部座席の扉を開けるとそこへ新一を横たわらせた。

「すまんが高木くん。工藤くんを連れて行ってくれ」

「分かりました」

 扉を閉めながらそう答えて、高木はそのまま運転席へと乗り込む。

「ひどく痛むようなら言ってくれたら良いからね」

「ええ……」

 運転席から後部座席を振り返った高木に、新一は痛みをこらえつつ口元に笑みを浮かべた。

「――工藤くん、理由訊かない方が良いかい?」

 車の行き交う回数も大分少なくなった私道を走りながら、高木が静かに問いかける。

「ああ、いえ。大したことじゃないんですよ。
 帰りがけに、通りがかった浮浪者に絡まれただけなんで……」

「絡まれただけで、そんな傷を?」

「え……いや、どうもかなり酔っていたみたいで」

 不思議そうに言った高木に、新一は戸惑った様子で言葉を返す。
いくらなんでも、ここまで殴られた理由にはならないだろう。それは高木も気付いているはずだ。
だが、新一の態度に何かを感じ取ったのか、高木はそれ以上何も言わなかった。



 二人が交番に着くと、用件を言わないまま、すんなりと医務室に通された。
どうやら目暮が先に連絡を入れていたらしい。お陰で手当ての方も比較的早くに終わった。
怪我自体は大事に至るほどではないにしても、強く殴打されているため、
手当てに当たった医師は、新一の方を見据えてたしなめるように言う。

「動いても構わんが、激しい運動を数日は控えた方がいいね。
 いや、君なら……犯人を追いかけたり、争うようなこと、と言った方が無難かな?」

「……はい」

 医者の言葉に、新一は思わず苦笑いする。

(無茶なこと言ってくれるよな……)



「――すみません、わざわざ」

「そんな怪我で歩く方が無茶だよ、工藤君」

 手当てを終えた新一は、医師と交番の人間へ礼を言ってから、再度パトカーへ乗り込んだ。
最初は、とりあえず現場へ戻ると言い張っていた新一だったのだが、
目暮から『今日は家へ帰りなさい』と強く言われ、自宅へと戻ることになった。
その際、歩いて帰ろうとした新一だったが、高木は半ば無理矢理に新一をパトカーへ乗せたのだ。

(何か今日の俺、人に世話になってばっかりな気がするんだけどな……)

 自分に呆れてため息をつきながら、新一は車から見える街の夜景を眺めた。

(まあ、まっすぐ自宅に帰れるのは、俺としちゃ安心なんだけどな。
 ……俺を殴って逃げて行った人物。俺の予想じゃ、アイツらはおそらく――)

 新一は、まるで今、目の前に存在でもしている人物を見るように、
窓の向こうに見える街頭を、迷いのない視線で見つめていた。



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