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晴れやかに澄んだ、ある日の朝。
重たそうな少し大きめのバッグを肩から提げた蘭は、靴を履きながら、
自分を送りに出てきているコナンへ心配そうに目を向ける。
「本当に大丈夫? コナン君……やっぱりお母さんか園子に来てもらおうか?
博士、風邪で寝込んじゃったんでしょ?」
「大丈夫だよ。食事ならポアロで食べれるし」
「うん……でも、コナン君。一週間も一人なんて……」
「だって、ただ過ごしてるだけでしょ? 心配ないよ。
事務所の方には『一週間不在です』って張り紙もしてあるから、依頼人だって来ないだろうし、
来ても断りやすいしね。――あ、ほら、蘭姉ちゃん!」
そう言って、コナンは腕時計を指差す。
「バス、九時半なんでしょ? もう行かないと間に合わないんじゃない?」
「うん……」
コナンに言われて、時計に目を落とした蘭は、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
「じゃあコナン君。行ってくるけど、気をつけてね?」
「はーい。行ってらっしゃい、蘭姉ちゃん」
無邪気に手を振りながら、蘭が玄関を出て行くのを確認した後ドアを閉めて、コナンは息を吐き出した。
「――ったく。いくら小学生のガキが一人になるからって、心配しすぎだってんだよ。
大体、博士の代わりに、妃先生や園子が来る方が、過ごしづらくってしゃーねーよ……」
部屋の住人が自分だけの、閑散とした居間。
取り立ててする事もなく、適当な位置に腰を下ろすと、テレビを点けた。
聞き慣れたニュースが、ぼんやりと耳に入ってくるが、
良いのか悪いのか大きな事件もなく、平凡なニュースばかりで、興味がわかない。
うたた寝をしようと、横になってしばらく目を閉じるものの、
つい二時間ほど前に起きたのでは、眠気が襲うはずもない。
ふと時計へ目をやれば、十時少し前。コナンはテレビを消すと、腰を上げた。
「……出かけるか」
気持ち良く晴れた、昼前の商店街。
丁度、学生達の長期休暇が重なっているせいか、行き交う人々は若者が多いようだ。
その人ごみに埋もれながら、散歩がてらに、と当てもなく商店街に来たコナンは、
喫茶店の前を通りがかった際に、ガラス戸を叩くような音を耳にした。
空耳かと最初は気にせず歩いていたが、次第に音が増してくるのを聞いて、
音のした方へ視線を向けたのだが、一時呆然とその場に立ち尽くしてから、
面倒くさそうに、通りがかった喫茶店へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
喫茶店のウェイターが、決まった言葉で出迎える。
コナンはそのウェイターに軽く会釈をしてから、店内の奥へと赴いた。
窓際の席まで来ると、最初から定まったかのように、四人用の空いているスペースへ腰を下ろす。
「――何か頼む?」
そう言いながら、向かいに座っている人物がメニューを取り出したが、
コナンはそれを手で遮って、不機嫌そうに頬杖をつきながら呟く。
「いいよ。コーヒーか何かで」
「……世間には年齢認知度、ってのが一応あるとは思うけど?」
「余計なお世話だよ!」
「だろうな」
笑いながら言われたことに、コナンが不満そうな顔を見せると、
相手は企み顔でそれを返してからウェイターに声をかけ、追加でコーヒーを一杯頼んだ。
一旦、ウェイターがコーヒーを持って来るまで待ってから、相手がコナンへ話しかける。
「――で? 何でまた一人で街中歩いてたんだよ?」
「それはこっちのセリフだよ。少なくとも、オメー、米花町の出身じゃねーだろ?」
「都民なのはそうだけどな。まあ、こっちは平たく言えば調査かな?」
「調査?」
言われた言葉に、コナンは相手を不思議そうに見返しつつ、言葉を続けた。
「調査って……キッドのか?」
「副職であれ、探偵や刑事をしてない人間に、他に何がおありとお察しを?」
澄まして言った後、何事もなかったかのように、手元にあるケーキを口にする快斗を見て、
コナンは疲れたような諦めたような様子で、ため息をつく。
「……なあ」
「何?」
「その、俺を小バカにしたキッドの口調で言いながら、しかも何で男がケーキなんか頬張ってんだよ?」
コナンの言葉に、快斗はキョトンとして言い返した。
「変か? 甘いもの好きだぜ? 俺は」
「へぇ……」
真面目に言った快斗に、コナンは小さく笑う。
「意外ついでに似合わねーな」
「ほっとけよ!」
「――それで? 結局、そっちはどうなんだよ?」
さっきの言葉の不満さも手伝って、若干不機嫌そうにコナンへ話す。
「別に理由はねーよ。ただの暇つぶし」
「何で?」
「な、何でって……理由はないって言っただろ?」
眉間に皺を寄せて言うコナンに、快斗は不思議そうに言葉を返した。
「いや、だから何で暇なんですかって訊いたつもりなんですけど?」
そう言われて、コナンは不服そうに快斗を睨んでから、コーヒーを口に含んだ。
「数十年ぶりに海外の仕事先から日本に帰ってきた、っていう学生時代の友達と会うとかで、
おっちゃんは一昨日から一週間不在。で、蘭は今日から四泊五日の空手部の強化合宿。
お陰でその間は、事務所に一人で気楽な反面、暇を持て余してるってわけさ」
「なるほどねぇ。でも、よく許したな。
中身はどうあれ小学生の子供を、一週間近くも一人にするなんてこと」
「ああ、それか? 最初、博士の家に泊まる予定だったんだけど、
今朝になって風邪引いて寝込んでるって連絡が来てな、
お陰でそれ知った蘭が、出かける直前まで、色々言い出して、大変だったよ」
「へぇ? 例えば?」
間髪いれず、出された言葉にコナンは怪訝そうに快斗を見やる。
「例えばって……んなこと聞いて、一体何が……」
「いいじゃねーか。別に言ったって何かが減るわけでもねーんだし?」
そうは言うものの、コナンとしては、やはりどこか納得が行かないらしく、
しかめ面で快斗を見ながら、ため息をもらす。
「普通だよ。『大丈夫?』とか『心配』とか。でもなぁ、それが何だって――」
「そんな感じねぇ……」
特別、コナンに言うでもなく、快斗は聞こえるか聞こえない程度に、そう呟いた。
それから、チラリとコナンに視線を投げてから、咳払いを一つ。
『コナン君、本当に大丈夫? 心配だし、やっぱり私休んで一緒にいようか? 』
「――とかな感じ?」
楽しそうに快斗が話す近くで、歯切れのいい水音が聞こえた。
その後に、前面が濡れている自分の状態を確かめた快斗は、コナンに目を向ける。
「……冗談、って言葉知らねーのかよ」
「世間には『限度』って言葉もあるんだよ」
快斗の言葉を軽くあしらいつつ、コナンは空になったグラスを、乱暴にテーブルへ置いた。
「そうなら、こいつもいい『限度』だぜ?」
苦笑いしながらそう言って、快斗は濡れた髪と顔を、
とりあえずハンカチで拭いてから、自分の服とズボンへ目を落とす。
「ったく、この状態で後、どうしろってんだ?
ズボンはともかく、トレーナー、びしょびしょじゃねーか……」
「帰れよ、そのままで」
「おいおい……」
無感情なコナンの口調に、快斗は面食らったように、コナンを見る。
「何だよ、その表情」
「いや……ホラ、その……」
不機嫌そうに睨まれて、快斗は詰まりつつ話すが、その内にため息をつくと、コナンから目を逸らした。
「いいや。これ以上言ったら、何か飛んで来そうだし」
「希望とくりゃ麻酔銃飛ばしてやるぜ?」
そう言いながら、コナンは自分の左手首に右手を置いた。その行動を見ると、快斗は両手を小さく挙げた。
「せっかくですが辞退しますよ。……大体、俺がこの姿の時に、そいつ向ける方が筋違いだろ?」
「まあな……」
コナンは肩をすくめてそう言って、残りのコーヒーを口に含む。
「そう言やー、名探偵。その暇な数日間、ずっとどっかでブラブラしてんのか?」
「することが何もなけりゃ、そうするしかねーだろ? まさか家で一日中寝てるわけにもいかねーし」
つまらなさそうにそう言うと、コナンは喫茶店の窓越しに、行き交う人の波を見つめる。
そんなコナンを見て快斗は、とぼけるような口調で呟いた。
「『事件の一つでも起こったら、暇つぶしにはなるんだけど』とか思ってるだろ?」
言われてコナンは不服そうな呆れたような顔で、快斗を振り返る。
「あのなぁ……殺人事件が好き、みたいに言うなよ。そりゃ確かに事件起こった方が、
興味は湧くけど、それより人が殺されねー方が良いに決まってんだろ?」
「へぇ。それはそうなんだ。でも、オメーの暇つぶしって、結構事件系だろ?」
その言葉に、コナンは露骨に不満そうな表情を快斗に向けた。
「……悪かったな」
「いや、別に俺はオメーにひねてもらおう、とかいう魂胆で言ったわけじゃ――」
「あれ? もしかして快斗君?」
「へ?」
急に背後から声をかけられて、快斗は驚いて声のした方を振り返る。
振り返った先には、せいぜい三十代そこそこの、茶髪でショートカットの女性が立っていた。
不思議そうな顔で快斗が自分の方を見ているのに気付いたのか、彼女は快斗に確認するように、再度似た言葉を発する。
「違う……かな? お兄さん、名字、黒羽じゃない?」
「え? ええ……それはそうですけど……?」
「そっか! 覚えてないのね! 最後に会ったの、快斗君まだ小学生だったからなー……。
君のお母さんが高校に通ってた頃、委員が一緒でね、そこで知り合って――」
そこまで聞くと、快斗が大きく頷いた。
「ああ! おまけに結婚後の家が近くて、よく遊びに行ったり来たりしてた……?」
「そうそう! ついでに、ホラ! 名前なんて思い出せない?」
「……確か、立原明子さん?」
「あら、嬉しい! よく覚えてたね!」
そう言うと、明子は嬉しそうに胸の前で両手を合わせて音を鳴らした。
「そりゃ、あそこまで思い出せば、出てきますよ。
第一、あの頃から相当賑やかでしたから、印象は強いです」
「へぇ。言うじゃない? ちょっと見ない内に、一丁前の口利くようになっちゃって!」
皮肉めいた口調でそう言いながら、明子は快斗へ近づくと、軽く快斗の頭を小突くも、
小突いた右手をすぐに不思議そうに眺めた。
「……髪の毛、少し濡れてない? 外、あれだけ快晴なのに、雨に濡れたわけじゃないでしょ?」
「ああ、それは……」
意味ありげに快斗は言葉を切って、コナンへ視線を向けた。
「何処かのガキのいたずらで、コップの水かけられてしまいまして」
「――なっ! 待てよ! それはそっちが先に、頼んでもいねーことしやがるから……!」
「だからって、あれはねーだろ?」
「バーロ! テメーのやったことに比べりゃまだマシな――」
「はーい、ストップ、ストップ」
両手を挙げて、二人を制してから、明子はコナンの方を見る。
「ゴメンね、気付かないでずっと喋りっ通しで」
「あ、いえ……」
「仕切りなおしに、どう? ボウヤも快斗君も。私の家近いし、寄ってかない?
そうね。快斗君は、そのトレーナーとズボンも乾かすついでに」
言い終わってから、何食わぬ顔で、明子は快斗の着ていた服のすそを引っ張った。
「随分濡れてるし、これじゃ大変でしょ?」
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比較的新しい作品のせいか、簡単な描写修正程度の編集。
一番大きく変えたことと言えば、タイトル変えたことかな。
書き終わった時点でちょっと気になってて、第二候補だった「報復の水」に思い切って変更。
「応酬の水」じゃ、恐らくタイトルの意味を成してない。
当時のあとがきによると、やってみたかったことを二つ採用した作品だそう。
「コナンと快斗が街中で偶然遭遇」、「容疑者の一人が快斗と直接的な知り合い」
という二つのパターン。推理物の場合、快斗の影が薄くなりがちになるため、
それをどうにかしようと取った行動が後者の設定だったとか。
誘いその後に触れた冒頭も考えたそうですが、いつかの探怪で触れられると良いな。