報復の水 〜第六章:過去からの怨念〜


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「……同じ通路?」

 意味深な言い方に、快斗は首を傾げながら、コナンの言葉をオウム返しした。
不思議そうに訊き返す快斗に、コナンは何も答えないでいる。
その間、快斗は何かを呟いていたと思うと、小さく何度か頭を縦に振った。

「なるほど? 昨日、事件が起こってから部屋に戻ってきた時、
 オメーが俺に向かって『雨が吹き込んだか』って訊いたのはそのせいってわけ」

「ああ。俺はあの日の晩、オメーと違ってドア側向いて寝てたからな。
 外が豪雨なら、ある程度床が水浸しになってても分からなくもない。
 ただ気になったんだよ。雨で部屋が水浸しになったのなら、窓も濡れてて当然だ。
 でも窓のサッシは濡れていなかった。それで、これは何かあるなと思ったんだよ」

「要するに、窓のサッシが濡れてないってことは、雨が吹き込んでないってこと。
 事件のあった部屋と同方向に位置するこの部屋に、雨が吹き込んだかそうでないかを、
 窓側向いて寝てた俺に確かめたかったってわけね」

「まあ、そういうことだな」

 頷くコナンに、快斗は少し思考を巡らせて疑問を探る。

「――あ。でも一つ質問。雨が降るのを待ってたか、狙ってたんだかしたとして、
 雨が入り込んだと見せかけてまで、何を隠したかったんだ?」

「そりゃー……毒だろ?」

 不思議そうに訊く快斗だが、コナンはその質問自体が予想外だったようで、意外そうに言う。

「さっきも言ったけど、被害者の周囲から検出されたコンバラトキシンは水に溶けやすい。
 室内が水浸しになってなきゃ、被害者が嘔吐したこと自体もすぐに分かり、
 被害者の体内、傍に落ちていたグラスも含め、嘔吐した内容物まで調べられるだろ?
 そうなれば、直接の死因が体内やグラスから検出されたジキトキシンでなく、
 コンバラトキシンだとバレちまうよ。元々ジキトキシンは強心剤で有名だからな」

「……水に溶けやすいなら、周りを水浸しにして分からなくしようって魂胆か?」

「恐らくな。でも、ただ水浸しにしたんじゃ逆効果だ。それで雨の日を狙ったんだろ」

「でもさ、仮にそのコンバラトキシンってのを飲まされたとして、
 体内からそれが出てくりゃ、意味がねーんじゃね?」

 しかめ面で訊く快斗を、コナンは面白そうに笑う。

「出てきても不思議じゃねーよ。被害者の立原さんは心臓に持病を持ってんだ。
 心臓病の人間に強心剤を投与するのは普通だし、ジキトキシンは体内に蓄積されやすい上、
 多量摂取すれば逆に危険だ。それを回避するために利尿剤と並行して投与されるんだよ。
 そこに持って来て、コンバラトキシンは利尿剤としても用いられる成分でもある。
 万が一、体内からそれが検出された場合、言い訳はいくらでも出来るさ」

「んー?」

 大して詰まることなく、サラリと説明していくコナンの言葉を聞きながら、
快斗は除々に眉間に皺を寄せて行くと、しまいには首をゆっくり横へ傾けた。

「あー……いや、ちょっと待て。それなら色々おかしくねえ?
 水浸しの部屋がカモフラージュで、実際の死因になった毒を特定させないための工作だろ?
 ってことは、グラスから検出された毒ってのも、ミスリードさせる材料なんじゃねーの?
 何つーか、そのジキトキシンってのを、警察に印象付けるための裏工作とか……」

「ああ。だろうな」

 あっさり返すコナンに、快斗はますます顔を渋らせる。

「『だろうな』って……。いや、だからさ。万一、直接の原因の毒の成分が見つかっても、
 もっともらしい理由がつくんなら、水浸しは良いにしても、グラスの工作は不必要だろ」

 快斗は、感想とも意見ともつかない言葉を言ってから、コナンの反応を待った。
しかし、コナンの方はと言えば、不思議そうな様子で快斗を見る以外は無反応である。

「……なあ。何か反応くらいしてくんない?」

 そんなコナンの態度に苦笑いしながら快斗がぼやくと、コナンは息をついた。

「――やっぱりな、と思ってよ」

「は?」

 ようやく出たコナンの言葉に、快斗はしかめっ面でコナンを見返す。

「わざわざ暗号文にした予告状を送ってくるくらいだから、頭の回転は速い方だろ?
 最初は遠慮してたのかどうかは知らねーけど、最近はたまに口出してきてたからな。
 材料さえ与えたら、意外と意見とかあるんじゃねーかなと思ってたんだよ」

「『意外』だけ余計だっつーの! つーか、こっちは探偵じゃねーんだよ!
 俺に意見求めるのは筋違いってやつだろーが!」

 不服な顔で抗議する快斗とは裏腹に、コナンは落ち着いた様子で言葉を返す。

「そうか? 『グラスの工作は不必要』とか、結構良い線行ってると思うけどな」

「ホォ? どの辺が?」

 興味半分、皮肉半分に、そう訊くと、コナンは答えるのに少し間を置いた。

「グラスに残っていた水から、ジキトキシンが検出されたってことは、
 元々、ジキトキシンを混ぜた水がグラスに入ってたってことだろ?
 薬を飲む際、水を入れたグラスにそのまま薬を入れ、それを溶かしてから飲む、
 という習慣があったとする。被害者が、それを飲みかけた際、心臓発作を起こして、
 床に倒れたんだとしたら、普通はグラスも一緒に床へ落ちるはずだ。
 仮にテーブルの上に倒れたとしても、グラスの中に入った水は派手にこぼれちまうよ」

「おいおい。まさか、最初からジキトキシンが溶かされた水を入れたグラスを、
 テーブルの上に倒して置いてたってのか? いくらなんでもそれじゃ、本人が気付くだろ。
 それに、俊之さんが心臓発作で倒れてから、あの部屋水浸しにしてるほど時間はなかったぜ?
 こっちは物音がしてから直ぐにあの部屋に行ったんじゃねーのかよ?」

「バーロ。部屋を水浸しにする時間なんて、有り余ってたに決まってんだろ?
 事件が起こったのは夜中だぜ? 家の人間が全員寝た後、あの部屋に水を持ち込むのは簡単さ」

「は? でもそれじゃ、あの部屋から物音が聞こえたのは何だったんだよ?
 今のオメーの理屈じゃ、俺達が物音聞きつけて、あの部屋に行くよりも前から、
 俊之さんが殺されてたってことなんだろ? あの物音が倒れた音じゃなきゃ一体――」

「利用するため、ってのはどうだ?」

 途中で言葉を遮ったコナンは、不敵な笑みを口元に浮かべながら快斗を見る。

「……利用って、第一発見者に仕立てるってことか?」

「それもあるが、もう一つ。――雨さ」

「雨?」

 コナンの言った言葉に、快斗は怪訝そうに返してから、無意識に窓へ目をやる。
しばらく、小降りの雨を眺めていたが、じきに「ああ……」と呟いた。

「さっき言った水浸しの部屋のせいか。いつ豪雨でなくなるか分からない。
 朝まで発見を遅らせても構わねーけど、その時にもし雨が止んでいたとすれば、
 水浸しの部屋は逆に不自然。かと言って、犯人自ら第一発見者になったんじゃ、
 自分に疑いの目が行くから、たまたま二階で音がしたのを利用したってわけか」

「ああ。それと、お前がさっき言ったテーブルに倒したグラスの話だが、
 あれも被害者が倒れた後で、グラスを横にしてテーブルに置いたんだと思うぜ?」

「……なーんか、そこがしっくり来ねーんだよなぁ」

 不思議そうに呟くと、首を傾げて苦笑いしながらコナンを見る。

「言っちゃなんだけど、それって憶測だろ? その話が本当だとすると、
 俊之さんはジキトキシンって薬を飲んでないことになるってのに、体内からその成分が検出されてるし、
 直接の死因になったって言う、コンバラトキシンってのは一体いつ盛られたんだよ?」

「言っただろ? ジキトキシンは体内に蓄積されやすいって。
 ジキトキシンってのは、胃腸管へ吸収された後、二十日以上かかって排出されるんだ。
 たとえ、その日に一度もジキトキシンを服用していなかったとしても、体内から検出されて当たり前だよ。
 もう一つ。コンバラトキシンは盛られたんじゃない。
 元から利尿剤として服用しているのなら、本人自身が服用するはずさ」

「本人自身って……なら自殺じゃねーか!」

 コナンの言った言葉に、快斗は驚きと不満を同時に発する。

「オメー、あの事件が起こった直後は『殺人だ』とか言ってたんじゃねーのかよ!?」

 抗議する快斗に、コナンは表情一つ変えずにいる。

「ああ、言ったぜ? それに、俺はそれを撤回した覚えは一切ねーけどな」

 淡々と答えるその態度に、快斗は段々と顔をしかめていく。

「はあ? ……あのな、名探偵。
 何処の世界に自分から、毒だと分かってるものを飲むやつがいるんだよ?」

「――内容物が変わっていたとしたら?」

「『変わって』って…………え?」

「俺とお前が、なりゆきでこの家へ来て、昼食をご馳走になっただろ?」

「は? 何? いきなり?」

 話が急に道を逸れたように感じ、快斗は目を点にしてコナンを見る。
しかし、そんな快斗には目もくれず、コナンは話を続けた。

「あの後、立原さんと、奥さんの美智子さんにあの部屋へ案内されたの覚えてるか?」

「ああ……覚えてるけど、だからそれが何?」

「あの時、俺があの部屋にあった小瓶の数個を手に取って眺めたのは?」

「あ? ……ああ、そう言やーな。『探偵って物好きだよな』って思ったのは覚えてる」

 悪ぶる様子なく、平然と言われて、コナンは一瞬眉を上げた。
それを目ざとく見ていた快斗は、面白そうに口元に笑みを浮かべる。

「何かご不満でも?」

「……わざとやってんだろ?」

「訊きなおしたのはな。普通に言った時はただ率直な感想を言っただけ」

「うるせーよ」

 陽気に答える快斗を、コナンは不機嫌に睨むが、快斗本人は涼しい顔で気にも留めない。

「それで? あの小瓶が何だってんだよ? さっきの『内容物が変わった』ってのを考えるなら、
 昼間見た時と、事件後に見た時と、小瓶の位置が変わってた、とか言う気か?
 でもな、んなもん、何を何処に置こうかなんて本人の勝手だろ。
 どうせ間違えねーようにラベル貼ってんだから、場所違ってても――」

 言い出して、快斗は途中で言葉を切った。

「おい……まさか、場所そのままで中身入れ替えたっていうんじゃねーだろうな?」

「――ジキタリスの致死量は色々諸説があるけど、一キログラムに対し最低でも五ミリグラム以上。
 それとは逆に、コンバラトキシンの方は、一キログラムに対し〇・三ミリグラムだ。
 ジキタリスの多量摂取と見せかけ、コンバラトキシンで殺すつもりなら、
 薬自体をすり替えれば、相手に疑われることなく、本人自ら服用してくれるってわけさ」

「いや、でも、それならまだ自殺って線が……」

「バーロ。最終的に、薬の分量をチェックするのは美智子さんだぜ?
 法外な分量を服用しようとしてたんなら、美智子さんが気付いて止めるはずだからな」

「え……? ちょ、ちょっと待てよ。ならまさか犯人って……美智子さん?」

「そうなるな。薬剤師位――特に毎日のように煎じてた薬なら、
 すり替えられてても気付くだろうから、他の人間が、出来上がった薬をすり替えても、
 分量を量る際、美智子さんにバレたら計画が無駄になっちまうからな」

「……それなら警察呼んだほうが良いんじゃねーの?
 違和感持ち始めたって言ってたけど、警察はまだ事故死の判断でいるんだろ?」

「ああ、そのつもりだよ」

 頷きながら言うと、コナンはベッドから腰を上げた。

「ま、とりあえずその前に美智子さんの部屋に――」

 コナンはドアの方へ歩いていき、ドアノブに手をかけようとしたが、それより早く部屋のドアが開いた。
途中で言葉を切ったコナンを不思議に思って、快斗はドアへと目を向ける。
ドアの前に立っていた人物を見て、驚いて思わず声を上げた。

「明子さん……」

 呟くように言われたその言葉に、明子はバツが悪そうに視線を逸らした。

「…………ゴメン。最初は聞く気はなかったの。朝食出来たからって呼びに来て……。
 ノックしかけたんだけど、聞こえて来た言葉でつい……」

 時折、言葉を詰まらせながら言うと、明子は身を屈めてコナンの両肩に手を置いた。

「コナン君……あの話、途中から聞いてたけど……ホントに……?」

 途中から目に涙をためて、訴えるように訊く明子を見て、コナンは一瞬言葉を失った。
その、困ったようでいて、どこか悲しげな表情を浮かべるコナンと目が合うと、
明子は無理に笑顔を作った。――頬に涙を伝わせながら。

「…………昔、お義父さんとお義母さんがもめたことがあったのよ。原因は二人の患者さん。
 その日、お義父さんは顔馴染みの患者さん二人を看たの。
 それがお義母さんの両親で、よく家の方にも遊びに来てたわよ。
 お義母さんは、その二人の症状に合わせて薬を煎じ、医者であるお義父さんに手渡したわ。
 名前のよく似た薬だから間違えないでね、って」

 涙ぐみながら言い出した明子の話に、コナンと快斗は不思議そうに顔を見合わせた。
明子の意図するものが一体何なのかが分かりかねたのだ。
それでも明子は、そんな二人の反応に気付かないかのように話を続ける。

「お義母さんのご両親は、それぞれ別な病気だったんだけど、お祖父さんが服用してた薬の中で、
 一つだけ、お祖母さんにとって致命的な薬があったの。
 ……それがあったから、お義母さんは薬の管理だけは厳重だった。
 でもその日。お義父さんは誤ってお祖父さんの薬の袋をお祖母さんに渡し、
 お祖母さんの薬をお祖父さんへ渡してしまったの。
 お祖父さんには問題なかったんだけど、それでお祖母さんが亡くなってしまったって」

「……え? それって……?」

「そう。今回、お義父さんが亡くなった原因とそっくりだった。
 さっき、このドアの前で快斗君やコナン君の話を聞いて驚いたわよ。
 ……お祖母さんが亡くなった年齢とお義父さんが亡くなった年齢、それが同じだったし、
 お祖母さんが亡くなったのは心臓発作。……全く同じなんだから」

 言い終わると、明子は苦しげに優しい笑みを浮かべた。
コナンと快斗は知らされたその事実に、ただひたすら目を丸くするばかりであった。



 ――そして、その日の朝食後。
美智子の自室へ、このことを話に行くと、美智子は静かに犯行を認めた。
被害者と自分の母親が亡くなった年齢が同じだったのは、被害者がその年齢になるまで待った上で、
犯行に踏み切るつもりでいたのだという。警察への通報にも反発することなく、
その後コナンが呼んだ目暮達に連れられて、美智子は警視庁へと連行されていった。



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