「ところで探偵君」
満月の月明かりで照らされている船の甲板。
キッドは船の手すりに肘を置いて、海に背を向けコナンの方を見ながら続けた。
「夕飯食べに、この船の食堂に行った時から気になってたんだけど、
七時頃、お前一旦食堂から出て来なかったか?」
「へ?」
コナンはキッドの言葉に目を丸くした。
「いや、俺が食堂に着いたら子供が俺の横を走って通ってってな?
危うくぶつかりそうになったのを寸でで避けて、何だこいつと思って振り返ったんだよ。
その時の後ろ姿がお前に似てたなーと思ったんだけど、まさかいるとは思わねーだろ?
見間違いだって思い直してそれ以降気にしなかったんだけど、実際、今ここにいるからさ」
コナンは近くの壁にもたれながら、月を眺めるかのように空を仰ぐ。
「そう……だな。食堂からだろ? 食堂から…………。
ああ、そう言われると覚えはあるな。ぶつかりかけたってのは気付かなかったけど。
あの時ちょっと、食堂にいた知り合い達から死角になるところに行きたくてな」
「死角って……何でんなとこに行く必要があるんだよ?」
不思議そうに訊かれ、コナンは呆れたようにキッドの方へ目をやる。
「バーロ、蘭たちの前で堂々とオメーの予告状、見れると思うか?
本来中森警部が持ってる予告状を、俺が持ってたらおかしいだろ」
「……確かに。でも何でわざわざ?」
コナンの言葉に、妙に納得したように頷いてから、キッドは不思議そうに首を傾げた。
「予告の件を中森警部に聞いた時に、ちょっと気になることがあってな。
貸してほしいって頼んだら、意外とあっさり貸してくれたんだよ」
「でも今回のはひねってねーぞ? 一度見りゃ、それで充分だろ?」
「後から聞いた園子の情報と照らし合わせた時に、
ちょっと引っかかった事があったんだよ。それを確かめたくてな」
「引っかかる事、ねぇ……」
意味深に呟くコナンにキッドは肩をすくめた。
(……それが何か聞いてやってもいいんだけど、また手伝わされんのも面倒だしな)
キッドは苦笑いすると、上着のポケットから固形物を取り出して右腕を軽く上に上げた。
「おい、名探偵」
「ん?」
キョトンとした顔でコナンがキッドを見ると同時に、キッドが右手に握った物をコナンの方へ放り投げる。
突然のことにコナンは一瞬驚いた様子を見せるも、慌ててそれを手でキャッチした。
「警部に渡しといてくれ。もう必要ねーから。
こればっかりは俺から警部に渡すと、怪しまれる可能性もあるからな」
その言葉を聞き終えてから、不思議そうに手を開けると、
そこにあるのは、煌々と真っ赤に光るペンダント状になった宝石が一つ。
「あれ? これ……」
不思議そうに言うコナンにキッドはニッと笑う。
「そ。俺が盗むと予告したルビー・ローズ」
「……これだけ……か?」
拍子抜けしたような驚いたような口調で言うコナンに、
キッドは目を瞬かせると、しかめっ面でコナンを見返した。
「何言ってんだよ? 俺は元々それだけ盗むつもりのはずだろ?」
「……え?」
どう聞いても嘘のない態度のキッドに、今度はコナンが驚いた。
それを受けてのコナンの様子に、キッドも不思議そうに続ける。
「警部に出した予告状だってそれ一枚だけだろ? 何勘違いしてんのか知ら――」
「やっぱり変だ……」
言葉を最後まで聞かない内に呟いたコナンを、キッドは不思議そうに見る。
だが、それには気が付いていないようで、コナンは難しそうに眉を寄せて何やら考えている。
そんなコナンの行動に、キッドはますます不審そうに眉を寄せた。
「何が変なんだよ? 俺は別に妙なこと言ってねーだろ?」
コナンはその言葉にはすぐに答えない。
しばらく黙り込んだ後、首を傾げてから難しそうな顔のままキッドの方を向いた。
「俺が知ってる情報と違うんだ。中森警部から借りたオメーの予告状。あれは一枚じゃなく――」
言いかけてコナンは言葉を切った。
いや、というより、ホールの方から聞こえて来た爆音と悲鳴に遮られたのだ。
止まない複数の悲鳴に、二人は顔を見合わせてから、コナンは反射的にホールへと向かい出す。
その直後、後ろから追いかけてくる足音に気付き、コナンは足を止めて振り向いた。
「一応言っといてやるけど、オメーそのままホールに来たら
中森警部や向こうのボディーガードに袋叩きだぞ?」
コナンがホールへ着くと、丁度数人のボディーガードと、
ゲオルク氏と思われる男性に支えながら、女性がホールから出てくるのが見えた。
コナンはすれ違った彼らを不思議そうに見ながら、ホールに入って行く。
いつの間にか電気は点いていたようで、中はキッド出現時とは打って変わって明るい。
コナンは出入り口付近にいた博士と哀を見つけると声をかけた。
「おい? 一体、何が……」
「――殺されそうになったんや。ドイツから来たっちゅう女性がな」
訊いた相手とは別の方向から声が聞こえて、コナンは後ろを振り返る。
そこには、怪訝そうな表情で腕を組んだ平次が立っていた。
「ドイツから来た女性って……フリーダーさんのことか?」
コナンの言葉に三人は目を丸くする。
「よく分かったのォ……ここに乗っとる女性は三人程おるのに……」
「そりゃ、園子の言ってたストレートでロングヘアーの女性とさっきすれ違った――」
「すれ違たて工藤、お前ホールにおったんとちゃうんか?」
不思議そうに問う平次にコナンは呆れたように見返す。
「バーロ。あんな人ごみの中にいても、実際に奴が現れたら身動き取れねーだろ。
どうせここは逃げ場のない海。逃げるとしたらハンググライダーを使うしかない。
かと言って、あんなホールでそんなもの開けるわけがねーし、
となると、騒ぎに乗じて甲板に出て、そこから逃げるのが筋だ」
「じゃあ、あなた最初から甲板にいてたってこと?」
「ああ。その証拠に、あの時間帯、ホールで俺の姿見なかっただろ?」
ニッと笑ってみせるコナンの横で、平次が口を尖らせた。
「せやったら言うてくれても良かったんと――」
「おっちゃんじゃねーし、多少考えれば分かるだろうと思ったんだよ」
この言葉に平次はムッとした様子を見せる。
「せやけどお前、ホールまでは一緒に来たっちゅうんに、いきなりおらんくなる奴がおるか」
「しゃーねーだろ? 大体、こっちにだって色々都合ってもんが……」
「どんな都合や。『キッド捕まえる』っちゅう趣旨は同じやんけ」
不満そうに睨まれて、コナンは面倒くさそうに顔をしかめる。
「だからー……奴捕まえる前に、今回の件で確かめたいことがあったんだよ。
予告状見てる時に言ったろ? 『気になることがある』って。
オメーの場合、キッド見つけたら掴みかかるかと――あ!」
「何やねん?」
コナンの態度に平次は怪訝そうな表情をする。
「なぁ、服部。中森警部からもらったキッドの予告状、二枚だっただろ?」
「いきなり何言うか思たら……。せや? 赤と紫、二つの宝石盗む言うて――」
「そうだよな? でもあいつ、俺にこれ渡して言ったんだよ」
コナンは先程キッドから渡されたルビーローズを平次に見せる。
「『これだけか?』って訊いた俺に『中森警部に出した予告状はその一枚だけだろ?』ってな」
「せやから何やねん?」
「え? ……な、何って?」
予想外の平次の反応に、戸惑う様子を見せる。
その反応を不思議そうに見てから、平次はショーケースを指差した。
「ショーケースん中にあった宝石は二つともなくなってんで?」
「ええぇっ!?」
平次の言葉から出た意外な言葉に、コナンは思わず声を上げると、指差されたショーケースへ視線を動かした。
確かに二つあるショーケースのガラスは、両方とも派手に破壊されており、
中に展示されていたと思われる宝石は、二つともが姿を消している。
「どうせホンマに欲しかったんは、もう一つの宝石の方で、
一応予告通り二つ盗んだはええけど、そいつは必要あらへんから、お前にやったっちゅうとこやろ」
「だったら、何ももう一つの宝石を、わざわざ俺に返す必要なんて……」
今度は横で聞いていた哀が口を挟む。
「あら! でも、キッドって後で盗んだ宝石返したりしてるんでしょ?
それなら、工藤君に必要のない宝石渡したって変なことないんじゃない?
逆に自分で返す手間が省けるんだから」
「そりゃそうだろうけど……」
どこか釈然としない様子のコナンに、哀は肩をすくめた。
「どうせ『嘘を言ってるような表情じゃなかった』とでも言いたいんでしょ?
そんな甘ぬるい考えでいるから、向こうも簡単に騙されてくれるって思ってるんじゃないの?」
「ホンマやで。ポーカーフェイス、ゆうて周りから言われてるんやったら、
嘘言う時にそれがバレるような顔して言うかいな。
泥棒の言うこと自体、そもそも疑ってかからんでどうすんねん」
呆れた様子で立て続けにそう言われ、コナンはそれ以上の反論を諦めた。
確かに、二人の言ってる内容ももっともだ。
確実にそうじゃないと言える理由もない以上、異を唱える方が不自然だろう。
「――まぁ、いいや。話、元に戻すけど、
フリーダーさんが殺されそうになった経緯は何なんだ?」
「あぁ、それか? 俺らもよー分からへんねや。何せ暗かったからなぁ……。
ただ分かったんは、二〜三発の銃声が聞こえた直後に、
多分フリーダーっちゅうドイツから来た人の叫び声やろうけど、女の叫び声が聞こえたんや」
「それを聞いて、中森警部が無線か何かで『明かりをつけろ』って電気室の人へ叫んだけど、
間が悪いことにキッドに眠らされてたから、応答なんてあるわけないでしょ?」
「そうこうしとる間に、もう二発程銃声が聞こえてのう……。
見かねて哀君が、声の聞こえた方へ、時計型ライトを向けたんじゃ。
そこにいたのは銃で撃たれて体から血を流して、
恋人のゲオルクさんに支えられとった、フリーダーさんの姿じゃったというわけじゃよ」
「それ見て和葉らが叫び声上げよるし、
中森警部は慌てて電気室に電気点けに行くわで、大騒動や」
そこまで聞いてから、コナンはふと我に返ったように辺りを見渡す。
「そういや、蘭たち何処行ったんだ?」
「姉ちゃんらなら、さっき部屋に戻ったで?
女だけやったら怖い、言うから部屋まで俺が送らされたけどな」
「それじゃあ、あいつらは?」
「……あいつら?」
キョトンとする平次とは裏腹に、哀がコナンの方を見て皮肉っぽく笑う。
「こういう事が起こった時、彼らがどんな行動見せるか、
あなたならよく分かってると思うけど?」
「――じゃあまさか、あいつら……!」
「今、丁度中森警部がいないからね。ホラ、御覧なさいよ。ホールの中」
中央の方を指差す哀の視線の先には、
ショーケースや、その辺をうろちょろしている探偵団の姿。
時には、まだ残されたままの血痕なども眺めている。
事件の捜査に夢中で、コナンがホールに来たことすら気付いていない。
もちろん、コナンとしても事件の概要を聞くのに気を取られていて、
現場を引っ掻き回していた探偵団には気付かなかったのも事実だが。
「――おい! オメーら! 何やってんだ!」
コナンの怒鳴る声に、初めて気づいた様子で探偵団は後ろを振り返る。
「よう、コナン!」
「一体、今まで何やってたんですか? ホールにいませんでしたし」
「哀ちゃんに訊いても、コナン君知らないって言うから、
私達だけで先に事件の捜査しちゃってるよ? コナン君もホラ、早く!」
予定外の三人の反応に、コナンはしばらく呆気にとられた。
「そうじゃねーだろ!? 勝手に現場引っ掻き回して良いって誰が……!」
「何言ってるんですか! 誰も捜査しようとしないから僕たちがやってるんですよ」
「誰も捜査しなかったら、犯人捕まらねーじゃんかよ!」
「それに、この船旅の中で犯人捕まえなきゃ、捕まえる機会なくなっちゃうもん!」
正論をまくしたてられて、さすがのコナンも返す言葉に一瞬詰まるが、
ここで引き下がっては元も子もない。
「――んなもん、ガキのオメーらがやるようなことじゃねーだろ!
確かに船の中じゃ犯人の逃げ場はねーが、逆に犯人に殺されそうになった場合、
オメーらが逃げれる範囲だって限られてくる! そこで殺されちまったらどーすんだ!」
怒鳴るコナンだが、三人はケロッとした様子で顔を見合わせてから、
不満そうにコナンを睨み返した。
「でもそんなこと言ったって、コナン君は捜査するんでしょ!?」
「そうですよ、コナン君! コナン君は捜査出来て、何で僕達がダメなんですか!」
「……いや、それは――」
「どうせ、またお前一人だけで抜け駆けする気だろ!」
事件に首を突っ込む子供たちの対処に慣れていれば、
子供たちも、そんなコナンに対しての対応は当然慣れている。
反論の余地がない反論に、ついにはコナンが白旗を揚げた。
「……分かったよ! その代わり、勝手に動くんじゃねーぞ!」
「ほーいっ!!」
返事だけは毎回良い。声を揃えって元気に言うと、三人はコナンに背を向けて、
そのままホール内を見て回り始めた。その状況に、コナンはそれ以上の注意を諦めて、ため息をもらす。
「ったく……」
「ホント弱いわね、彼らには」
「うるせー……」
コナンは哀の言葉に対して、つまらなさそうにそう答えた。
2007年度版の編集内容の記録がありません。未編集なのか、書いてないだけなのか。
今回の修正範囲は、冒頭のコナンとキッドの会話に、一部追加したのと、
哀と平次のキッド談義を少し変更、コナンと探偵団のやり取りを一部削除、
後は全体的にセリフと描写の修正作業をしております。
哀はどうか微妙ですが、平次はキッドに対する容赦が一切ないイメージを持ってる。
だからかして、コナンの行動をたしなめるような言い方にしております。
当時は深く考えてなかったんですが、今回のコナン、キッドの言動全面的に信用してる前提なんだよな。
少し後の章にも出てきますが、多分そもそもがこういう二人が好きなんだろうなと、しみじみ思った章。